第17話

 僕は静かに眼を閉じて考える。殺しますよ――か、天使の言葉はあまり冗談には聞こえなかった。だというのに僕の心は何処か落ち着いていた。

「……それなら、それでいいよ」

「なぜ……です?」

 天使は自分で殺すと言っておきながら僅かな怯えを含んだ声を零す。

「色んな場所を見たからかな。けど……今死ぬと、あんまり迷惑がかからないかもしれないけど、つばめさんや烏末さんに無駄な心配をかけたくないから少し死にたくない……かな。実を言うとね。あんまり僕は生きていたいと思っていはいないんだ。もちろん、死にたくもない。そんな気持ち」

「よく……分かりません」

 天使は不安になったのか僕の背中を抱きしめる。

「天使ちゃんみたいな子に殺されるなら……それも良いかなってちょっとだけ思うんだ。あのクリスマスの日からずっと、ずっと宙に浮いたみたいな気分で。唯一の心の残りがあるとすれば――そう……だね、姉さんに飛鳥姉さんに会いたかった」

「別に殺しません。冗談です」

「そっ、なら良かった」

 僕は安心して瞼を閉じた。明日もきっと霧だろう。


「次の目的地だが……本屋に行こう」

 烏末は外に出るなりそうポツリと零す。僕は大きくあくびをする。僅かな息苦しさを感じた。今日は特に霧が濃い。つばめは隣で瞼をこすっている。天使はじっと草の根本を見ている。

「いいけど……何か意味があるの?」

 僕は烏末に言う。勉強するわけでもないのに。

「隊長……情報は力だぞ。死のクリスマスに関する与太話の一つぐらい手に入るだろう。楽園を目指す以上、可能性は低くても行く意味はある」

「えー、つばめちゃん勉強嫌い」

 つばめは頬を膨らませ下手すぎる口笛を吹く。ただ息を吹いているだけだ。

「そういことなら……行こうか。楽園が北にあるって情報だけじゃ頼りなさすぎるしね」

 僕はこくりと頷く。本当に楽園などあるのだろうか。ずっと追放の言い訳だと思っていた。けど、烏末は諦めていない。なら、どうしてなのか分からないけどなし崩し的に隊長になった僕が諦めるわけにはいかない。

 

 僕らは全国展開している本屋TSUTYの店舗を近場で見つけた。見事にシャッターが降りている。きっと死のクリスマスの時からずっと閉まっているのだろう。

「どうやって入ろうか。窓ガラスを割るとゾンビがいると面倒だし」

「つばめちゃんにお任せあれ。なんとピッキングできます」

「初めて探偵らしい技術が出たな……」

 烏末は呆れた目でつばめを見る。つばめは店の周りをたったか走る。関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉をガンガンと何度か叩く。つばめは首を捻った後、背嚢から針金をいそいそと取り出して鍵穴に差し込む。僕らはつばめに近づく。ガチャリと良い音が鳴った。つばめは扉をゆっくりと開ける。

「嘘じゃなかったんですね」

 天使がぼそりと零す。僕と烏末は同時に頷き同意を示す。


 霧が蔓延した店内を歩く。本が規則的に整列して並べられており暗がりに僅かな色を灯す。烏末は目的があると言ってさっさと二階に行ってしまった。僕は手持ち無沙汰になって適当に目立つ場所に置いてあった漫画を取る。ビニールに包まれていて開けない。一瞬だけ迷った後、ビニールを伸ばして引きちぎった。もう誰も咎める人などこの世にはいない。それに読まれないよりは本としてもマシだろう。パラパラとめくってみた感じ僕が小学生の頃に流行っていた異世界転生なるものだった。ご都合主義だとよく言われていた。けど主人公は確かに誰かを救っていて僕なんかよりも紛れもないヒーローなのだろう。今思うと少しだけ憧れていたのだ。けど今の世界との乖離が凄まじくもう夢にも浸れそうにない。僕は飽きてパタリと本を閉じる。濃霧の片隅に人影が見えた。近づくと十八という数字が刻まれた暖簾があった。中に居るつばめの姿を見てため息が出る。やっぱりとても成人した女性とは思えない。僕は頭を抱えながら暖簾を潜る。

「なるほどなるほど。あっ、落ちた。即落ち二コマ。これはー記録更新ですなーむふふ!」

 明らかに本よりも厭らしい笑みを浮かべつばめは熱心にページを捲っていた。

「何してるの?」

「ひゃっ!」

 つばめは気づいていなかったのか奇声をあげてぴょんとジャンプ。意外と可愛らしい声だった。やってることは可愛くないけど。そして恐る恐るこちらを見る。

「ああ、隊長? 隊長も見に来たの?」

「いや、見に来てないから」

「嘘だッ!! これだけ可愛い女の子に囲まれてるんだよ。ハーレムだよ。食べ放題だよ」

 つばめは信じられない物を見るような目で僕を見る。じわじわと薄い本を持ってこちらに近づいてくる。

「じゃあじゃあ。今一度、聞こうではないか。隊長の好きな女の子のタイプを、この子とかオススメ――あっちょっと――」

 僕はその場から全速力疾走して階段を上る。

「待てぇー! この子、ロリロリで隊長の好みだから! 絶対!」

 背後から悲痛な叫び声が聞こえる。つばめに絡まれると面倒だ。別に僕だって何も感じないわけじゃないしそういったことを考えないわけでもない。ただ少しだけ――怖いのだ。呼吸を整える。二階には無数の分厚い書物が棚に並びなられていた。解析、細胞生物学、物理学、日本史、無味乾燥なタイトルの本にいくつか触れる。もしかしたら何か奇跡が起これば、僕が学んだかも知れない本。そう考えると、感慨深い気分になった。本を探していてパタリと足が止まった。小さな文庫本を片手で持ちながら烏末が立っていた。

「烏末さん」

「ああ、隊長か」

 烏末は僕に視線を向けずに応える。

「その本、面白いの?」

「神は死んだだとさ――そんなこと今の人間は既に分かっているさ。救いがないことも、努力や欲望に果てがないことだってな」

 烏末は唇を噛み締めて言霊を込めているのか如く強く吐き捨てる。僕はその姿に微かな儚さと絶対的な美を感じる。烏末はパタリと書籍を閉じる。

「鷹也、霧の正体について考えたことがあるか?」

 烏末は視線だけこちらに向ける。

「正体?」

「そう。霧は何処から来て、何処で生まれ、そして――誰に作られたのか?」

 烏末の真紅の瞳が僕を見る。僕は無意識に息を呑んだ。

「知らない。国が調査しても分からなかったんだよ。僕らに分かるわけが……ない」

「そうだな……私もだ」

 烏末はため息混じりの言葉を零す。並べられている書籍の埃を一つ一つ払う。

「これら一つ……一つが過去の競争道具だ。競い合い憎み合い――そして殺し合った。知恵あるものは利得を独占し愚か者はその頭に知恵の欠片があることにさえ気づかない。鷹也、僕は……この状況は誰かに作られたものだと思ってる。この世に不幸な偶然はないんだ。あるのは始めから決まっていた終わりだけ――」

 階下で重く心臓に響く音が反響した。銃声!? 僕は驚きながら烏末を見た。一瞬だけ見えた烏末の表情は妙に落ち着いていた。

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