第16話

「獲ったあぁぁぁ!」

 耳の近くで大声。眼前に迫っていたボールの前に体が現れ衝撃波が背後にまで飛び散る。真正が満足げにボールを転がす。

「やっと止めれた」

「それぐらいは止められないと困る」

 烏末はこちらを見ずに歩き始めた。僕も立ち上がる。

「そろそろ、行こうか?」

 僕は言った。

 

 霧の道を進むうちに、空から茜色の光が降り注ぎ始める。ゲームのせいで予想以上に時間が経っていたらしい。

「そろそろ寝床探さなきゃー」

 真正がぼやく。僕は耳を澄ませてゾンビの声が聞こえないか確認する。

「見た限りではゾンビは見当たらない。室内は知らんないが」

 烏末は立ち止まって言う。天使は何もせずにじっと待っている。

「おっしゃー! あの家にしよ。名探偵の勘がそう言っている。そうしよう!」

 真正は右方向にあった二階建ての青色の屋根の家屋を指差す。僕は家の庭と窓を確認しにゾンビが見当たらないことを見る。

「僕は賛成。何処の家でも変わらないし」

「文句はない」

 烏末はこくりと頷く。僕は頷き返し庭へと入る。人の足音の血液のスタンプが残っているのが不気味だがうめき声は聞こえない。僕は恐る恐る扉を開けた。空っぽの玄関が僕らを出迎える。念のため銃を背から下ろして構える。

「前衛いっきまーす!」

 真正は僕の前に出て四年分の埃が重なった階段を上る。二階で真正が扉をゆっくり開け、銃口をすかさず室内に突きつける。

「おけぇークリアクリア」

 僕らは真正に続いて部屋に入る。子供の部屋なのだろう小さなベッドの上に熊のぬいぐるみが置いてある。不気味なことに腹の綿が零れ落ちていた。僕らは背負っていた背嚢を降ろし大きく息をつく。

「今夜はここで良さそうだ……」

 僕は安心して言う。

「ねぇねぇ」

 真正は背嚢を漁って物を放り投げながら、ある一つの長方形の箱を自慢気に取り出す。

「見て見てこれ?」

「モンドカレー?」

 僕はなぜ真正がそれを持ってきたのか不思議に思い首を傾げる。

「何だ、そいつは?」

「唯愛ちゃん、知らないの? モンドカレーだよモンドカレー。カレーだよカレー」

「似たようなカレーの存在を知っているが食べたことはない」

「このお嬢様め」

 真正はけっと烏末を睨みつける。

「誰か私以外に料理できる人いる?」

 僕は恐る恐る手をあげる。あまり自信はないが、姉と一緒に何度か料理を作ったことはある。

「さっすが隊長! 作ろ作ろ! まぁ野菜とか全部冷凍のやつだけど」

 真正はウキウキで立ち上がり部屋の扉を開ける。僕は呆れながらも立ち上がる。最近は非常食ばかりでまともな食事などしていないから興味があったのだ。

「天使ちゃんと烏末さんはどうする?」

「僕はこの家を散策する」

「では、私もついていきます」

 烏末はそう言った天使を睨めつける。天使はどこ吹く風で壊れたティディベアを見ている。仲が悪そうだ。

「じゃあ、お願いね。烏末さん」

 僕は念のため烏末に笑顔で牽制。問題が起こると大変だ。烏末は一瞬だけびくりと体を震わせる。ぷいっと視線を僕から逸らす。

「……分かってる。僕がちゃんとやるよ」

「ありがと」

 僕は扉を開けて廊下に出る。階段を降りて先程見たリビングを訪れる。予想通り、真正が台所を漁っていた。

「ガス絶対切れてるでしょ?」

「うん、けど目的のものが見つかったぜ!」

 真正が自慢気に引き出しの中からカセットコンロとボンベを取り出す。本気でカレーを作るらしい。僕は台所に無造作に置かれているパックからキャベツの塩漬けを取り出す。真正は机の上にコンロを設置して、鼻歌をまじりに点火する。

「お肉は?」

「ででん!」

 真正はビーフジャーキーを掲げる。ずいぶんと貧相な肉だ。

「まぁ良いんじゃない。それで良いなら」

「食べてお腹壊すよりは良いでしょ」

「キャベツとか変色してないのが奇跡なレベルだけどね」

 僕たちはだべりながらテキパキと各種野菜を切り、真正が手際よく入れ鍋に具材を入れていく。十分炒めたところで僕が水を投入。真正が心底楽しそうにカレールーをパキパキと割って全部鍋に突っ込む。明らかに供給過多だ。やることのなくなった僕らはリビングにあったソファに座る。

「いやー! ようやくまともな料理が食べられるね」

「好きなの? 料理」

 僕は純粋に疑問に思って聞く。真正はブンブンと首を振る。

「ううん、食べ専。隊長が全部作ってくれても良いんですぜ?」

「やだね。作るって言ったのは真正さんでしょ。だから頑張って」

「……真正さんって違和感あるね。つばめたんでいいよ」

「じゃあつばめさん、年齢考えてね」

「私、またニ十歳じゃい」

 つばめは年甲斐もなく頬を膨らませて抗議する。とても成人しているとは思えない。自分の将来が心配になってくる。自称名探偵な時点でお察しだが。足音が聞こえ、僕らは立ち上がる。見回りを終えた烏末と天使がリビングに下りてきた。

「お帰りなさい貴方。ご飯にする、お風呂にする、それともわ――」

「貴様の命だ!」

 烏末は右足で思いっきりつばめの顔面を放つ。つばめはすかさず背を反らして蹴りを回避。

「ふん、流石に学習したよ。名探偵だからね」

「そうか」

 烏末はさっとつばめの足をかけた。

「ちょっ、まっ!」

 真正は体勢を保てずに背中から勢いよく床に落ちる。

「ふっ!」

 天使が背中を抑えているつばめを失笑した。


「頂きます」

 真正はパシリと手を合わせる。僕らは席に座って皿に盛られたカレールーだけを見る。

「インド式だな」

 烏末はスプーンでルーを掬いながら言う。米はもちろんない。僕は無言でカレーをスプーンで掬って口に含む。辛さなど微塵もない甘くてまろやかなカレー。あまり嫌いではなかった。周囲の反応を見て、視線が固まった。烏末はスプーンを持ったまま呆然して、その眼からは微かな涙が流れ頬を伝った。

「どうしたの?」

「い……や、何でもないよ」

「ありゃりゃー、唯愛ちゃんには私のカレーは美味しすぎたかにゃー! 感動級超弩級の美味しさだからね。仕方ないね……」

「まずい」

 烏末は涙を右手の人差し指で拭い笑顔で吐き捨てる。

「はっ! 味覚音痴ですよ、この娘!」

 真正は早口でまくし立てる。その様子がちょっとだけ可笑しくて、僕は笑みを零した。ふともう一度見ると、烏末はぼーとカレーを見ていた。

「――こんな結末もあったのか……」

 烏末はぼそりと呟いていた。どういう意味だろう。


 できる限り腹にカレーを詰め込んだ僕らは烏末と天使が把握してくれていたそれぞれの部屋に入る。僕はベッドの上から埃を払い寝転ぶ。天井の木目が眼球に見えた。ぼーと見ているとコンコンと規則正しい小さなノックが聞こえる。

「誰?」

「私です」

 天使の鈴の音のような声が聞こえる。僕は立ち上がって扉を開ける。天使は腕に枕を抱いてこちらを上目遣いで見る。どうしたのだろうと不安に思っているといつもの如く腰に抱きつかれた。

「怖いので一緒に寝ましょう」

 天使は明らかに感情のこもっていない声でそう言う。

「別に……良いけど。部屋には何もないよ」

「良いんですよ。何もなくて……」

 天使は僕の視線から目をそらす。

「じゃあ、僕はもう寝るから」

 僕は再びベッドに寝転がる。背中に人肌の暖かさを感じ振り返ると、天使が僕を抱きしめていた。子供特有の暖かさを感じる。

「……鷹也さん」

「ん?」

 僕は身じろぎする。

「あんまり油断していると――殺しますよ」

 凛とした氷刃の如き声で天使は言った。


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