第15話

「な、なんでもないよ!」

 僕は咄嗟に叫んで誤魔化す。烏末は狼狽している僕に訝しげな視線を向ける。鏡の中の自分が話しかけてきたなんて馬鹿な話、信じられるわけないのだから。烏末は心配そうに僕のつま先から頭から見た後、ふいっと視線を外し背を向ける。

「僕はそろそろ出るべきだと思う」

「そうだね。真正と天使ちゃんを呼んでくる」

 僕は逃げるように烏末に背を向けて服屋に走った。


「いやーホクホクですなー」

 真正はパンパンに膨らませた背嚢を叩きながら言う。僕はガラスの破片を踏みつけ空を見上げる。日が既に昇っていた。霧を貫いた太陽の光がわずかに体を温める。天使は僕の後ろに引っ付き、烏末は僕らから少し離れた石の上に退屈そうに座っていた。

「見て隊長」

 真正の声に振り向くと、彼女の両手に二つのボールを持っていた。サッカーボールとバスケットボールだ。背嚢が空いているところを見るにデパートから強奪したらしい。

「絶対食料の方が価値ある」

「遊びは心の余裕だよ。生き残るためには余裕が必要なーの」

 真正はドヤ顔でこちらを見てくる。何だか無性に顔面に正拳突きを決めたくなる顔だ。真正は人差し指でサッカーボールをくるくると回転させ上に蹴り上げた。同時にバスケットボールを地面に突きながら、突然、僕に突進してくる。僕は咄嗟に横に避ける。股の下を何かが通り過ぎた。

「股抜き大成功!」

 背後を振り返る。真正がバスケットボールを左手で回収。同時に飛び上がる。落下してきたサッカーボールを全力で蹴った。嫌な予感がして行き先を見ると烏末が視線の先に座っていた。烏末はつまらなさそうにため息をつき。素早く立ち上がる。右足でトラップ。あっさりと回転のかかったボールを止める。

「遊びは一人でやれ」

 烏末はボールを足で踏みつける。

「さっすがー! 私のライバル。いよっ、ナイストラップ!」

 真正は親指を立てて烏末に向ける。

「てなわけで、暇だしみんなでゲームしない? 負けた人は勝った人の言うことを聞く! 一度、やってみたかったです」

 烏末は沈黙。顎に手を当てて考え口を開く。

「…………お前は名前の通りの鳥頭なのか? 僕らにそんな悠長している時間はないぞ」

 烏末は腹立たしげに言う。真正はニンマリと笑う。

「あっれれー、唯愛ちゃんは負けるのが怖いのかな? かな?」

「とうとう霧に頭がやられたか? ゾンビと知能勝負したらきっと接戦だぞ」

「もしかして唯愛ちゃん――ビビってるの?」

 沈黙。烏末は顔を下に向けて体を震わせている。どう考えても怒っている。寒気がし始めた。怒らせた当の本人は平然と楽しげにサッカーボールを指で回している。烏末はぎこちく歪められた口元を晒す。

「良い――だろう。そんなに自信があるならやってやろう。自称名探偵の頭を本物の馬鹿にしてやる」

 僕は烏末の形相を見て後ずさる。柔らかな手が僕の手を突然、強く握った。何だろう? 真正が爽やかな笑顔でこちらを見ていた。

「隊長も参加するよね? ねぇー?」

 拒否権はないらしい。僕は助けを求めて天使を見るが、天使は一人で笑いを堪えていた。僕もそっちの立場が良かったよ。

 僕と真正はデパートに戻って壊れたフラフープと糸を回収する。真正はバスケットゴールを自作するらしい。

「で、どうやって作るの?」

「わかんにゃい! 一緒に考えて」

 真正を殴りたくなった。その後、僕はフラフープと糸を上手いことを結んでそこら辺の木に取り付けた。真正は僕がゴールを設置し終えたことに気づき、立ち上がる。いつも通り、黒い書物を読んでいた烏末も立ち上がる。天使は楽しそうにベンチに座って足を振っている。

「では、第一回戦、真正つばめ、バーサスゥゥゥ、鏡音鷹也です! ちなみに勝ち抜き戦なので負けたら後はありません。無条件退場です慈悲はない」

「過酷だ……」

 僕はボヤキならも自分でゴールを作ったことで何故かモチベーションが少しだけ上がっていた。ゴールを背にして真正と向かい合う。

「鷹也のボールで良いよ。先にゴール決めたほうの勝ち」

 真正は僕にバスケットボールを軽く投げてくる。舐められている。残念ながら僕はついさっき秘策を思いついたばかりだ。

「じゃあ、開始の合図をー天使ちゃんにお願いしようかな。唯愛ちゃん、隊長応援しそうだし」

 天使はこくりと頷く。僕は大きく息を吸う。ボールを握って感触を確かめる。チャンスは一度だけ。

「……始め」

 天使の小さな声が耳に残る。僕は一歩大きく踏み込み、両足で跳んでその場でボールを投げて直接ゴールを狙う。身体能力お化けに勝つにはこれしかないのだ。ボールは鮮やかに弧を描きゴールへと直進。僕は分かる。作ったから。あの輪の大きさは明らかに通常のゴールポストより広い。素人の僕でも入る可能性は十分。地を抉るような音が聞こえた。ボールが真正の頭上を通り過ぎ――ない。真正は自らの身長の倍の高さの位置にあるボールに指先で触れた。指の力だけで地面に勢いよく叩きつける。僕は咄嗟に前に出てバウンドしたボールを取ろうと動く。伸ばした手が空振る。代わりに地面をボールが打つ音が反響した。

「貰いぃ!」

 真正は素早くドリブルしてゴールの下に直進。踏み込んで跳躍。木の上にあるゴールに触れる。そのまま鮮やかにダンクシュートを決めて地面に危なげなく着地。ボールがぽつりと地面に転がった。

「すご……」

 僕は唖然として真正を見た。真正は自慢げに胸を張る。

「でしょでしょ。名探偵でしょ」

「それは……分かんないけど」

「名探偵の素養は身体能力で決まるのか」

 烏末は首を捻る。

「いやいや某シャーロックさんとか、バリツめっちゃ使って闘うじゃん!」

 真正はシュシュっとシャドーボクシング。

「全ての探偵がそんな能力を持っているわけがないだろうが」

 烏末は鷹也の側による。

「まぁ、任せておけ隊長。僕は煽られた相手は徹底的に潰すと決めている」

 烏末は殺伐とした笑みを浮かべる。真正はドヤ顔で応える。僕はその場から早々に立ち去る。天使が座っているベンチに座った。

「……負けたね」

「本当に無様に負けましたね。ゴールポストの大きさ的に本当に決まると思ってたんですか?」

 天使は意地悪な笑みでこちらを見てくる。凄く楽しそうだ。

「思ってたよ……情けなくてごめんね」

「いえ、可愛いかったです」

 天使の柔らかな笑顔を見て僕は目をそらす。頬が少し熱い。もしかしたらロリコンかもしれない。試合会場を見ると真正が落ちていた拳銃の銃身でデパートの壁面を抉りサッカーゴールを制作していた。烏末はサッカーボールを足で固定したまま静かに直立していた。真正は銃器を放り捨てて腰を低く構える。

「よっしー! いつでも来い、唯愛ちゃん!」

「――そうか」

 烏末はボールの上に乗せていた足を軽く浮かせた。僕は無意識に瞬き。次の瞬間、ボールが音を置き去りにした。轟音が遅れて届く。ポツリとボールが真正の背後で転がる。烏末は右足を蹴り上げた後の状態のまま静止。軽く息をついて足を降ろした。

「えっ!?」

 真正は呆然と足元に転がったボールを見ている。

「これで終わりか――名探偵様?」

 烏末は軽く腹を抱えて笑いを堪えていた。真正は呆然としていた目つきを細める。

「もう一回」

 苛立ち混じりに真正は言う。

「良いぞ。何度やっても結果は同じだからな」

 真正はボールをゆっくりと烏末に転がす。烏末の足にボールがこつりと当たった瞬間。真正が右上に跳ぶ。弾丸が放たれた。ボールは正確にゴールの線の右上端ギリギリに着弾。真正はボールの下に倒れていた。砂を払って立ち上がる。

「もーう一回!」

 真正は牙を剥き出しにして笑う。烏末は失笑。

「何度やっても――僕の勝利は揺るがない」

 鬼気迫るオーラを走ってサッカーをする二人を見ながら僕は空を見上げた。やっぱり二人のほうがゾンビより怖い。そう思った瞬間、眼前にボールが現れた。


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