第13話

 微かなうめき声をあげながら僕は布を敷いただけのベッドから起き上がる。キョロキョロと辺りを見渡すと、烏末がスースーと規則的な寝息を立てて体を丸めて寝て、真正は布を足で吹き飛ばして大の字で寝ている。対象的な二人だ。僕は頭を振って先程まで見ていた嫌な夢を忘れる。

「姉さんどうしてるんだろ?」

 生きてるのかな? アイツらはどうだって良いけど、姉とはもう一度だけ会って謝りたい――何を、よく思い出せない。けどそうする必要があると思っているのだ。僕は燃え尽きた焚き火を見下ろす。足音が聞こえた。神経が急激に張り詰める。僕がちらりと見ると、扉の隙間から真紅の眼球がこちらを見ていた。僕と目が合ったことに気づいたのか、さっと扉から視線が消える。僕は立てかけていた突撃銃を持って扉を開けた。左右を見る。誰も居ない。

「……愚かですね。まず仲間を起こすべきでしょう?」

 皮肉げな声。鈴の音のように何処か落ち着いた響きを持っている。足元を見ると一人の少女がしゃがんでいた。灰色のボロ布を来た真っ白な肌を持った少女。髪はきらやかな銀ではなく少し濁った灰。眼球はルビーのような鮮血の色で飲み込まれてしまいそうになる。僕は咄嗟に銃口を少女に向けた。

「私を殺しますか?」

 少女はニヒルに口元を歪め僕の顔を見上げる。僕は何だかその姿が酷く悲しげに見えて恐る恐る少女の頭を撫でた。サラサラで思ったより心地よい。少女は一瞬だけ驚いた表情をした後、こちらをちょっとだけ恨めしげに見てくる。

「何?」

「いえ、やっぱ馬鹿だったんだなと思っただけです。楽しいですか?」

「結構、気持ちいいかも」

「……そうです……か」

 少女はなぜか顔を俯かせプルプルと震えている。僕は落ち着かせようとゆっくりと頭を撫でる。

「昔、姉によくやってもらってたなー。これ落ち着くんだ」

 僕の言葉に、少女はため息をついた。その表情に既視感を覚えた。そういえば――。

「君みたいな子と昔出会った気がする。僕より年上だったけど、街で迷子になってて案内してあげたんだ。あの子、最後まで自分が迷子だと認めなかったけど」

「どうでもいいです」

「そうだね」

「それにお仲間が来ましたよ」

「えっ!」

 僕は驚いて周囲を見渡す。黒く冷たい回転式拳銃の銃口が少女の頭部に突きつけられていた。烏末がいつの間にか少女の背後に立っている。

「鷹也どけ、そいつを殺す。外すとまずい」

 氷刃の如き声。烏末の無表情の裏に確かに怒りが見えた気がする。僕は反射的に少女を守るために華奢で小さな体を抱きしめる。少女は意外そうに首を傾げる。何故か、烏末が唇を強く噛みしめた。

「殺す必要なんてないでしょ?」

「……鷹也、この世界に生きている子供がまともだと思うか?」

 烏末は銃口を離さずにじっと僕の瞳を見る。何も言えなかった。一人で生きている少女が怪しいのは百も承知だ。

「分かった。殺したくないなら、今すぐそこら辺に放置しろ。運が良ければ生き残れるだろう」

「どっちも結果は同じでしょ」

 抱かれている少女を見る。僕はその少女の姿が過去の僕自身に重なった気がした。

「嫌だ。僕はこの子を守る。少なくとも安全な場所まで連れて行きたい」

 烏末は顔を伏せる。ちらりと愛らしい赤い眼球が恨めしげに僕を見てくる。おもちゃを取られた子供に似ていた。何だか烏末の方が我儘を言っている子供のように見えてきた。

「わったしも賛成! なんか面白そうだし」

 烏末が声の主を睨みつける。真正はふらふらと歩き、大きくあくびをしながら言う。烏末はゆっくりと少女に突きつけていた銃口を降ろす。烏末はそっぽを向いて部屋に戻る。やっぱり怒らせてしまったらしい。真正は少女に目線を合わせるためにしゃがむ。

「ね、君なんて名前なの?」

「人の名前を尋ねるときはまずは自分から名乗るべきなのでは」

 少女は小馬鹿にした顔で真正の顔を見る。ふんっと鼻を鳴らす。真正がちらりとこちらを見てくる。

「もしや隊長の趣味!? マゾヒストだったの……だったら次から考えてあげないこともないけど」

「ぜんぜん違う!」

 僕はブンブンと頭を振って否定する。

「ではそこまで聞きたいならば聞かせてやろう」

 真正は勢いよく立ち上がり、くるりと一回転。

「泣く子も黙る。真正の名探偵、真正つばめ、です!」

 廊下を静寂が支配した。真正はバッチリとウィンクを決めたまま静止する。僕と少女は冷めた視線を真正に浴びせ続ける。真正はがっくりと膝をついた。

「いいもんいいもん! 別に人気じゃないしー。井の中の蛙だし。てかお皿の上の蛙だし。もうすぐ美味しく頂かれて鳥みたいな味がするってけど鳥のほうが美味しいって言われるし。つばめちゃんなのに高級感のない味だねで止めです!」

 よく分からないけど、落ち込んでいるらしい。

「僕、鏡音鷹也。君、名前は?」

 僕は少女に視線を向ける。少女は顎に手を当てて考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「ありません」

「えっ! ありません……さん?」

「貴方、馬鹿ですか? そうですか。名前がないという意味です。ないんですよ。名前なんて……私には」

 少女は自嘲気味に笑う。だから僕は――。

「じゃあ天使ちゃん」

 僕は天使の頭を撫でた。天使は心底、不機嫌そうに頬を膨らませ僕に抗議する。

「キラキラネームは重罪です。拒否します」

「じゃあ……烏、つばめ、鷹だから……白鳥? 白……ちゃん?」

「私は猫ですか良いです。ネーミングセンスが壊滅的ですね。良いです天使で……少し気に入りました。――ある意味で的を得ていると言えなくもないです」

 天使は顔を伏せる。お腹でも痛くなったのだろうか? 突然、僕の腰に抱きついてきた。柔らかな女の子の体に一瞬だけ驚く。

「おおー懐かれてる。じゃあ、鷹也君。自分が拾ったんだからちゃんとお世話しなさいよ」

 真正は興味なさそうに立ち去っていく。僕は天使の体を昔、自分がそうされたようにゆっくりと抱きしめる。そのたびに天使は応えるように僕に強く抱きついた。彼女に触れた腕が少しだけ冷たい気がした。悪寒が走る。視線。咄嗟に振り返る。廊下の角を曲がる銀の髪が見えた。烏末はまだ怒っているらしい。床に一滴の赤い小さな雫が見えた気がした。瞬きの後には、何故か忽然と赤は蒸気を上げて霧の溶けた。


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