第11話

 霧の隙間から赤い血液が吹き上がったのが一瞬だけ見えた。血の匂いにつられゆらりゆらりとゾンビたちが集まってきた。団子状態になってゾンビたちがうめき声をあげる。じっと見ていると倒れた人影はいなくなった。きっと彼らと同じ存在になったのだろう。耳が壊れそうな爆音が付近で三度鳴る。散弾銃だ。真正が戦っているのか? 僕は銃を無人の扉の前に構える。耳を澄ますと微かな足音。徐々に近づいてくる。僕は床に這って突撃銃を扉の前に向け――引き金を引く手が震える。怖い、音が近づく。撃たなきゃ、撃たなきゃ撃って――誰かが扉を蹴破った。深緑色の布を顔面に巻いた男。僕に気づく。すかさず短機関銃の銃口を向けて来る。マズルフラッシュ。僕は呆然とそれを――力を任せに床を砕いて横に飛ぶ。ギリギリで短機関銃の銃弾の雨がボロボロの壁を木端微塵に破壊。男は驚きながらもこちらを銃口で追う。俺は手近にあった机を持ち上げて投擲。弾丸が頬を掠めて鮮血を零す。

「盗賊風情が軍人もどきの格好。良いねぇ! 似合ってるねぇ! お礼に、俺が、殺してやるよぉ!」

 俺は投げた机の影から銃を構えたまま飛び出る。相手の姿を確認せずにそのまま引き金を引く。硝煙で一瞬だけ視界が潰れる。霧に満ちた視界で微細な動きを捉え、一歩、踏み込む。見様見真似で銃器をバットのように持つ。

「レッツ! ホームランだあぁぁぁぁぁ!」

 全力で横に振り切る。ぐしゃりという鈍い音、霧の中に鮮血の花が艶やかに咲いて、壁に激突。人間だったものは脱力してただ捕食される獲物に成り下がる。倒れた男の口が何かを紡いだ。ギ・フ・ト――そんな風に読めた。何だそりゃ? まぁ、どうでもいいけどな。俺は血が貼り付いた銃を構え直して倒れた人間を見つめる。引き金を引く。弾丸が男の銅を貫通するたびにびくりと衝撃で跳ねる。それが病みつきになり、もう一度もう一度と引く。口元がニヤける。返り血が頬に飛び散った。つい、ぺろりと赤い舌で真っ赤な血液を舐める。

「ハッピィィィィィ! 俺がハッピならみんなハッピーさ!」

 勢いよく匂いを嗅ぐ。鼻から血の匂いで脳髄を浸す。直接やれば、モットモットきっと気分がイイ。俺は銃身を柄のように握ってもう何も語らなくなった肉塊に振り下ろした。

「ギャハハハハァ! 俺が、俺が勝者。俺が頂点――俺が捕食者だァァァ!」

 興がノリ、叫びながら鉄で獲物の頭を砕いた。




 パチパチと眼の前で炎が燃えている。真正が壁の木を叩き割って焚き火に焚べる。一際強く、炎が燃え上がる。鼻孔に未だに血の残り香が漂っている気がする。少し、気分が悪い。

「いよぉーし! とりあえず、全員死なずに生き残れたね」

「当然だ」

 烏末はいつもの調子で黒い装丁の本を読む。それが何処までも自然でいい知れぬ不気味さを感じる。殺したことをなんとも思っていないのか? 真正は乾いた血の付いた背嚢を漁り、ビニールで包装されたパックを取り出す。赤々とした脂のった牛の肉だ。

「……ありゃ、これ消費期限切れてから一ヶ月経ってないんだけど?」

 真正は小首を傾げながら指を折る。烏末はぴくりと頭を動かし反応する。

「目が腐ってるのか? 死のクリスマスが起こったのは四年前だ」

 烏末の言葉に納得しつつも、僕は真正が持っている肉を見る。確かに小さい字で一ヶ月と一日前の消費期限が記述されていた。何か違和感を感じる。

「分かったかな? 隊長」

 真正はふふんと自慢げに指を振る。

「――予測だけなら」

「この肉はそう――何処かで家畜を飼っている人間が居ることを示してる」

 真正はいつものふざけた笑みを消して静かに語る。

「情報聞き出しておくべきだったかな」

 僕は言う。

「もしそんな社会が未だに残っていたとしたら興味深い。色々、狂っていそうだ」

「唯愛ちゃん、辛辣ー!」

 真正はビニールを雑に破いて肉に銃器を解体して作った鉄の棒を突き刺す。真正は鼻歌を歌いながら焚き火で一切れの肉を焼き始めた。じっと炎を見ていても心は落ち着かない。僕は自分の手を無意識に見る。いつも通りの生命線の長さとシワの数々。いつも通りなのがどうしようもなく怖くて――手が微かに震えた。押し殺すために強く手を握る。

「はい、あーん」

 突然、話しかけられてびくっと震える。声の方を見ると、真正がいい感じに焼けた肉をこっちに突き出してきた。

「何で?」

「毒見毒見、隊長でしょ?」

「隊長って雑用の代名詞じゃないよね」

 僕は文句を言いながらも黙って貰った肉を食べる。モゴモゴと柔らかな肉と溢れ出る肉汁を楽しむ。ニマニマとこちらを見て笑っている真正の顔を見るとなんだか――いつもより甘いと感じた。

「どう、美味し?」

「まあまあかな。……期限が切れていなかったらもっと良いね。今思ったけどさ。その肉の消費期限、もしかしたらただの誤表記かも知れないよね?」

 真正はすっと目を晒す。その可能性は知った上で言わなかっったらしい。騙された。

「いやいや、その可能性は低い。低いよきっと……ねぇー」

 僕はじと目で睨みつける。

「まぁ、ほらほらもっとお肉あるから。機嫌直してね。狂人と戦って疲れた君にプレゼントだよ」

「狂人?」

 僕は差し出された肉に犬のように噛みつきながら聞く。烏末は満足したのか本を閉じる。

「お前の部屋から妙な高笑いと音が聞こえた。死んだ人間を徹底的に叩いてるような――な? まぁ、しかし変な男も居たもんだな。見たところ、鷹也は擦り傷以外ないしたぶん、敵が薬物でもキメていたんだろう」

「う、うん。そうだね」

 よく覚えていない。瞼を開いたときにはぐしゃぐしゃに飛び散った――考えたくない。きっと男が錯乱して自傷行為でも行ったのだろう。良かった。運良く生き残れて。けど、次はどうなるか分からない。何だか無性に不安になって、自分の背嚢から板チョコを取り出す。パキりと手で割って口に含んだ。いつもより少しだけ苦くて――鉄の味がした。俺が、俺が勝者だ。俺が――変な言葉が頭に残響する。次に響くのは聞き慣れてしまって、けど未だに体が慣れないズドンっという生命の危機を感じる音。嫌な音嫌な音。嫌な音がひっきりなしに頭を支配して――僕、は。

「鷹也」

「えっ!」

 僕ははっとして隣を見る、烏末が手を僕の肩において小首を傾げていた。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫」

 その子供っぽい仕草に妙に既視感があって僕は顔を咄嗟に逸した。僕は――何を考えていた? 何もない虚空を呆然と見つめた。


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