第10話

「喜べ。偉大なる私が馬鹿の直し方を教授してやろう」

 烏末は冷めた目で男をちらりと見る。男の包丁が烏末の心臓に突き刺さる――寸前、男の掌から刃が消えた。僕には見えなかった。男の表情が烏末を見て恐怖で染まる。僕には見えなかったものが男に見えたのだろう。男は海老のように体を曲げて蹲る。タイルにぽつりぽつりと血が垂れる。男は顔面蒼白になり数秒蹲ってからごぼりと口から血を吐き出した。

「――殺してやる殺してやる殺してやるんだ。コロ、して――」

 男は怨嗟の言葉を放った後、ばたりと頭から倒れた。血がタイルを徐々に範囲を広げながら赤色に侵食していく。周囲が静寂に包まれる。僕は呆然として頭が働かなかった。烏末が人を殺した。人が死んだ。たった数秒前、生きていた命が同じ人間の手によって殺された。

「喜べ鷹也。これだけ目立てば奴らも自分が狙われてることに気づくだろ。あの女を助けられるぞ」

 烏末はさっきまでの冷酷な顔をいつもの皮肉げな表情に変え平然と僕に話しかけた。烏末は僕の表情に気づいたのか――ただ不思議そうに顔を傾けた。

「どうした? 体調が悪いのか?」

 烏末は本当に何処にでも居る女の子のように心配そうな顔で僕の体に触れる。

「――いや、何でもない、よ」

 僕は何を言いたかったのか自分でも分からなくなって――何も言わないことにした。


「よっしー、みんなそんな湿気た顔してないでテンション上げてこう。戦闘だよ戦闘!」

 真正はアパートの屋上で散弾銃を持って言う。くるくると本当に楽しそうに銃を回しながら踊る。

「戦闘狂が……焦って無駄な行動をしないでくれ。僕が困る」

 烏末は真正をため息をつきながら見る。烏末の手には身長ほどの長さの近代的な長銃がある。

「配置はどうするの?」

「鷹也と真正は別棟に移ってくれると助かる。僕にヘイトが集まると狙えなくなる」

「……分かった」

 僕はできる限り気丈に頷く。

「じゃーあ、行こっか隊長」

 真正が僕の肩を軽く叩いた。


 薄暗い部屋の一室から僕は半壊した窓から外を見る。不気味なほど静かな霧に満ちた道路とぽつりと置かれた標識。固唾を呑んでただひたすらに待つ。本当に敵は来るのか? 不安になって冷たい銃身に頬を押し当て――人影だ。銃を握る手が震える。誰だ? 撃つべきなのか? 疑問がぐるぐると渦巻きただ呆然と口を開けて霧の動きを見ていた。次の瞬間、影が忽然と倒れ耳をつんざく銃声が遅れて鳴り響いた。

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