第7話
「そうだ、水族館に行こう! そうしよう」
朝っぱらから真正が右手を天に突き上げて大声で叫ぶ。僕は夜更かししたせいで再び眠ってしまいそうだ。ほぼ同じ時間寝たはずなのに烏末はいつものように黒い装丁の本を静かに読んでいた。
「なんで?」
僕は肉と皮がくっつきそうな空腹に苛まれながら言う。
「飯だ。観賞魚はたいてい食える部分は少ないが腹には入るだろ」
「ロマンチックじゃないなー。まぁ、その通り。地元民である私の記憶ではここから北東に向かえば水族館があるはずです」
真正は方指磁石をいじりながら言う。水族館なんてあったのか。あまり遠出しないから記憶にない。
「じゃあ早く行こう。これ以上ここに居るとゾンビだって食べたくなりそう」
僕は重たい銃器と背嚢を背負って外に出た。
霧に満ちた街を一時間ほど歩き、疲労困憊してきたところで明かりが一つもない不気味なドーム状の建物が見えた。
「ようやく……着いた」
「歩くと意外と遠かったー」
真正は大げさに地面にへたれこむ。僕は受付に向かい、その惨劇を見てすぐに目をそらした。それでも腐臭が鼻につく。頭部が半ばから切断された男がうつ伏せに倒れていた。蠅が集り羽音を立てる。きっと……僕らと同じ人間の仕業だろう。真正と烏末が遅れて近づいてくる。
「見ないほうが良いよ。受付、死んでるから」
「珍しいことでもない。こんなところに居て生きてるやつがいたらそいつは化け物だ」
烏末はちらりと死体を見てから壊れた改札を通る。真正は死体を見ずに改札をひょいっと乗り越える。僕は素直に改札を押して水族館に入った。
白身魚を噛む。ガリッと骨が歯とぶつかる。到底、噛み砕けそうにない。僕は骨を口から無理やり取り出して水槽の中に捨てる。
「不味くはないけど、思ったより中身ない」
「言っただろう。観賞用の魚はそんなものだ」
烏末は器用にすべての骨を手で抜いてから魚を口に放り込む。ライトアップも何もされていない館内はそれでもなお普段とは別種の美しさを醸し出していた。暗闇の中で泳ぐ僅かな魚。小さな水槽の水に浮かんだ波紋が揺れる。廊下に僕らが新聞紙をライターで点火して灯した火がゆらりゆらりと揺れる。
「真正さんは?」
「さっき、奥の方に行った。鮫を食べるなど馬鹿なことを言っていたな」
僕はある程度、空腹もましになってきたので立ち上がる。
「ちょっと見てくるよ」
僕は何処までも続きそうな廊下を歩いて行く、奥の方に僅かに光が見えた。きっと天井をガラス張りにでもしているのだろう。足音を反響させながら円形のホールに出る。視界一面に巨大な水槽があった。ほとんどの魚は死に絶えた中で巨大な海の王者は悠々と水槽を泳いでいた。壁があることに気づけば逆らうこともせず、くるりと回転しまた元来た道を泳ぐ。真正は水槽のガラスに手を当ててじっと見ていた。
「綺麗だね」
僕は素朴な感想を零す。それ以外にも色々感じたこと考えたことはあったのだが、そんなこと彼女も分かっているだろう。
「だね。超美味しそう!」
分かっていなかった。僕は真正の隣に並んで鮫を見上げる。
「下、見てよ」
真正に言われて、見ると水槽の砂利の上に尾ひれだけがぽつりと落ちていた。よくよく俯瞰してみると岩の隙間にも死んだ魚の痕跡が微かに残っていた。
「優しいよね。本当に……これだけ単純な世界だったら良かったのに」
悲痛に満ちた声が聞こえて思わず振り返る。真正はいつもの馬鹿みたいなニマニマした笑みを浮かべていた。
「さーって、こんな寂れた水槽見てても仕方ないし、エイ見に行こ! エイ、エイエイオー!」
真正は突然僕の手を取って引っ張る。柔らかくて線が細い手のひらの感触に一瞬戸惑う。視界の端の方で、旋回していた鮫が一人ぼっちっで泳いでいた魚をバクリと丸呑みした。二人の足音だけが反響し、片方が突然止まった。
「どうしたの?」
暗がりでよく見えない真正の背中に問いかける。真正は腰に手を当てていつも通りの笑顔で振り返った。
「ごめん、居たバレてた。間に合わない」
真正は僕の目の前に散弾銃の銃口を突きつけた。なぜ――。
「動かないで。当たったら死んじゃうから!」
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