第5話

 ――噛まれる。僕は瞬時に避けようと身を捩るが遅すぎる。ゾンビの歯が僕の肩に触れ――鋭い銃声、ゾンビの顎が破裂した。ぼたぼたと地面に血を零す。僕は姿勢を崩して砂にへたれこむ。

「僕の――汚らしい顔を見せるな、死体風情が」

 烏末は硝煙が上がった漆黒の回転式拳銃を持ちながらゾンビを睨みつける。続けて引き金を引く。弾丸がゾンビの脳に着弾。ゾンビは僕の足元に倒れる。脳を潰されてなおピクリピクリと腕が不気味に動いている。


 七日間、上からの指示で僕らは食料調達と戦闘を重ねた。大体、真正が戦って、烏末が援護して、僕は何もしない。出る幕がなかった。当然だ。僕は殺人鬼でも何でもないのだから。

 背後にある昔は高級ホテルであったビルを見上げる。今では全国でも最大規模の犯罪組織の八咫烏の根城だ。土瀝青を踏みしめる。掠れた石碑の前で、ちょっとばかり赤が残った白のTシャツを着た少女と、黒装束の銀髪の少女が睨み合っていた。

「隊長、昨日ぶり!」

 真正が軽く手をあげてこっちに振ってくる。僕もつられて手を振り返す。

「烏末さん……おはよう」

 僕の言葉に烏末はコクリと頷く。彼女が手に持っている方位磁針と擦り切れて黄ばんだ地図を見る。

「黒服共がご丁寧に渡してきた。殺す気なのか、それとも本当に――」

「楽園を探させる気なのか、だね」

 烏末は小さくため息をつく。楽園――ゾンビも居ない過去の平和が残った社会であり世界。噂では遥か北方にあるとされる。それも八咫烏内部だけでの噂。

「見つかればおーけー、なければさっさと遠方に逃げちゃおうよ」

 真正は僕らの憂鬱そうな顔が嫌だったのか、からっと笑う。

「上手くいくと良いがな。例え僕らでもたった三人で今の日本を歩くのは容易じゃない」

 街中にはゾンビ。それよりも恐ろしいのは銃器を持った人間。人間は知恵が回る。腐った脳を持つゾンビよりよっぽど危険だ。

「なんとかなるなる。行こ! あんまりちんたらしてると――ばんされちゃうからね」

 真正が頭の上で腕を組んでホテルの一室を睨む。僕もちらりと見ると鈍くレンズの光が反射した。逃げ道はないらしい。真正はホテルを警戒しながら前に進んでいく。僕も一歩だけ恐る恐る踏み出した。


 背後にはもうホテルは見えない。周囲は霧に包まれ隣りにいる真正達の姿でさえ気を抜くと見失いそうだ。足音が止まる。

「とりあえず、射程圏外には出ただろう」

「スナイパーが言うと、説得力が違うねー」

「この天候なら本当はもっと近くても狙えないが念には念を入れた」

 烏末は疲れたのか地べたに座り込む。僕らは座り互いに言葉を探り合う。

「これから、どうしようか?」

 僕は沈黙に耐えきれなくなって言葉を零す。

「食料を探すべきだ。渡されたものだけでは二日持てば良い方だからな」

「賛成。どうせなら美味しいもの食べたいし」

「消費期限一年切れの肉ぐらいなら見つかるかもな」

「それは、ラッキーだね。烏の餌に使えそう」

 真正と元気に立ち上がる。僕は漠然と不安を感じながらも霧の先を見ようと目を凝らす。何も見えはしなかった。


 僕らは屋根が崩れ落ちたオフィスビルの一室でぺたりと座り込む。真正はふらふらとしながらダンボールから就寝用のタオルを取り出している。

「予想外だ。ここまで食料がないのか」

 烏末の顔からは頬骨が少し見える。元々、痩せていて肌が異常に白いこともあってさらに病的に見える。

「もうあの最悪のクリスマスから四年経ってるしね……それに八咫烏の領内。全部、ほぼ取り尽くされてるんでしょ」

 真正は非常食の乾パンを齧りながら不満げに言う。僕は自分の腹が鳴ったのに気づく。八咫烏の基地からくすねておいた板チェコを取り出そうと背嚢を漁る。ない。空っぽである。あるのは不味そうな乾パンだけだ。嫌な予感がして改めて真正と烏末を睨む。烏末は堂々と何処かで見たことのあるカカオマスと砂糖を塗り固めた板を噛み砕く。

「それ……?」

「落ちてた。僕のだ」

 烏末は僕の視線を無視してさらにパキリとチョコレートを折る。烏末がもう一口食べるタイミングで、僕は烏末に猛然と掴みかかった。烏末の折れそうな細い肩に触れた瞬間、顔面に鋭い痛みが走る。

「ぶぼぉ!」

 衝撃で頭から後ろに倒れ込む。烏末はふっと僕を見下して冷笑する。手のひらで顔面を抑えるとべっとりと鼻血と泥の後が付いた。僕は烏末を睨みつける。ふつふつと怒りが湧いてきた。食べ物の恨みは恐ろしいのだ。僕は右拳で烏末の顔面を狙う。烏末の頬が微かに爪で抉れる。次の瞬間、烏末は僕の腕を捉えていた。華奢な体の何処にそんな力があるのかそのまま僕を持ち上げ――投げる。背中に鋭い衝撃。肺が圧迫されて咳き込む。

「はいストップストップー! 喧嘩だめ絶対」

 立ち上がって掴みかかろうとした僕の前で真正が両腕を広げて塞いでくる。真正の腕の隙間から烏末を睨みつける。

「真正さん……勝手に僕の食料を奪ったんですよ」

 真正は僕の言葉を聞いて、ジト目で烏末を見る。烏末は肩をすくめた。

「名前は書いてなかった。落とした奴が悪い」

「リュックに入れてたのに落とすわけないだろ!」

 僕は血の混じった唾を吐き出し、声を荒げる。

「どうどう、落ち着いてー隊長。うーん、うーん。よっし、はいはい唯愛ちゃん回収です」

 真正は烏末に近づく。烏末は警戒しながら真正を見る。一瞬の静寂の後、真正の手のひらにはいつの間にか板チェコの銀紙と中身の半分が握られていた。烏末はぽかーんとした表情で自分の半ばで折れたチェコを見る。

「半分個ー! 仲良し! 元気いっぱい!」

 真正はニコニコ笑顔で僕にチェコを渡して来る。僕はそれを勢いよく奪い取って座り込む。顔面から流れる血を手で拭う。

「全部僕のだったのに」

「同感だな」

「はっ!?」

 背後から烏末の声が聞こえ硬直。振り向く。烏末が勢いよく蹴りを放っていた。

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