第4話

 僕ら三人は薄っすらと漂う霧の中、道路を歩く。前方では真正と烏末が距離を開けて歩いている。辺りを見渡すと外壁が崩壊して内部が見えたホテルがある。中には壊れたベッドがぽつりと置いてあった。コンビニの前で足に違和感を覚える。べっとりと乾燥した赤い血が地面にこびりついていた。何かから逃げようとしたのか、その後も点々と血を垂らし道路の中央に向かっている。店内を見ると、チェコレートやタオルと同じようにご丁寧に黒々とした銃器が立てかけられている。誰が何処から持ってきたのか知らない銃。

「あー、それほんと謎だよね。何で、日本にこんなに銃があるんだろうね。アメリカ人も卒倒しそうなレベル。私達の知らない間に戦争でも起こったのかな」

 僕の視線に気づいたのか真正は言う。

「名探偵なのに碌な推測もできないのか?」

「名探偵は時給制だからね。時間外労働はしない主義なの」

 真正は烏末の皮肉を軽く流す。前方の二人の足が止まった。

「着いたな」

 烏末が言う。僕も立ち止まり見る。ねじ切れた柵の奥には校舎があった。看板に書かれた文字を読む限り京都市立一条中学校らしい。

「目的は覚えてるな?」

 烏末がこちらを振り返る。

「ご飯探し。しかも他人の……嫌になっちゃう。烏に渡す前に私達が食べちゃおう」

「殺されたいならそうしろ」

「唯愛ちゃん怖いねー」

 真正は軽く肩をすくめる。あの後、部屋に入ってきた黒服の男は僕らに命令を授けた。学校からの食料の奪取。一緒にいるメンバーが違うだけで、いつも通りのだ。

「学校か……」

「何? たかやんは学校大好きだったの?」

「たかやんって誰? いいや、嫌いだったよ。小学校の頃の思い出なんて、たかし君に悪役ごっこやらされたことだけさ。ヒーローは人数制限が厳しいらしいよ。今、もう死んでるかな?」

 とはいえ、当時の僕はたかし君のことを友達だと思っていたらしく文句も言わずにスーパーキックを食らっていたわけだが。

「流石、隊長だな。冷酷だ」

 烏末はくすりと縦断混じりに言う。柵に手を掛けてあっさりと敷地内に入った。真正も軽く乗り越える。僕は……どうやって乗り越えるんだ?

「そこに手をかけてっこう……グイッだよ」

 僕が呆然と立っていると真正が役に立たない抽象的すぎるアドバイスをしてくる。僕は見よう見まねで柵に手を置いて乗り越え――頭から落ちそうになって咄嗟に手で柵を掴む。鈍い衝撃を感じながら、なんとか立ち上がる。

「おーい、早く行くよ! 隊長!」

「これの何処が隊長だ!」

 僕は恥ずかしさから早口で言い返す。烏末と真正はグラウンドの奥の方にある巨大な倉庫の前に居る。僕は痛む体を抑えて走って近寄る。

「ほいっ!」

 真正が軽快な声で倉庫の扉に回転蹴りを放つ。ズドンと鈍い音がなるが、銀色の扉は一向に開く気配がない。

「鍵は?」

「ある分けがないだろ。校舎の中だろうな」

 烏末は言いながら背嚢から何かを取り出す。緑色の布で巻かれた小包だ。烏末はぺたりと倉庫の扉に貼り付ける。

「それって……」

 僕は後ずさり、小包を指差す。梱包爆弾だ。真正は笑顔で離れる。烏末はふんと自慢気に鼻を鳴らす。

「こんなこともあろうかと拾っておいた」

 烏末は慣れた様子で起爆装置をセットして、こちら側に走ってくる。僕は衝撃に備えて咄嗟に顔を腕で覆う。耳を塞ぎたくなる轟音と大地が揺れる感覚。砂埃の隙間から抉れて穴が開いた扉が見えた。

「ミッションコンプリート」

「本読んでるくせに脳筋だね。唯愛ちゃん」

「蹴り壊そうとする貴様よりは賢い」

 真正と烏末は言い合いながら倉庫に近づく。僕は周囲にゾンビが集まってないことを確認してから後を追う。

「見張りは僕がやるから、隊長は入れよ」

「だから隊長じゃないから」

 僕はさっきの失態を思い出して顔を逸らす。倉庫の中には無数のダンボール箱が積み重なっている。真正がさっそくダンボールを破いて中身を取り出す。箱いっぱいに乾パンの缶が敷き詰められていた。

「持っていけるだけ持って帰ろー」

 真正は次々と乾パンを取り出して背嚢に入れていく。僕は真正と同じように乾パンを入れる。

「ででん、ここで問題です」

 真正が突然、自慢げに鼻歌交じりに喋る。僕はジト目で先を促す。

「どんな食料を優先すべきでしょ。理由と合わせて答えなさい」

「状況による」

「……正論過ぎて何も言い返せない。けどけど違いまーす! ぶっぶー!」

 真正は両腕でばつ印をつくる。

「正解はですね――味です。私、まずいと食べられないから」

 真正は乾パンを勝手に開けて口に含む。もごもごと数分間、味わった後、げぇと舌を出す。

「パッサパサ」

「パサパサじゃない乾パンなんて無いでしょ」

「やっぱ時代はカップ麺だね」

 真正は乾パンを回収することを諦めて、満面の笑みでダンボールからカップ麺を取り始める。ふと、頬が緩んだ。


「来たぞ」

 倉庫の外から烏末の声が聞こえる。僕と真正はパンパンになった背嚢を背負って立ち上がる。

「やりましたぜ隊長」

「隊長じゃないから」

 僕は苦笑いしながら外に出る。空は薄暗くなって霧はより濃くなった。グラウンドの遠方にゆっくりと歩く人影が四つ。全員が全員、目が虚ろで、血の混じったヨダレを垂らしている。男が三人、女が一人。ゾンビだ。僕は背負っていた突撃銃を構えようとすると、真正が手のひらを開き静止。

「隊長の出る幕じゃありませんよ」

「…………」

 僕はもう無視することにした。

「ごめんねー、一度言ってみたかったの。我が生涯に一片の悔い無し!」

「殺るならさっさと殺れ。真正。僕はもう眠い」

 烏末は倉庫に背を預けて瞼をこする。ゾンビの前の対応とは思えない。集団で連携しないことも、ゾンビの接近にも一切怯んでいないことも異常だ。真正は歩きながら散弾銃をくるくると曲芸師のように回しゾンビ達に向かって構えた。

「真正、いっきまーす!」

 気の抜けた掛け声。真正は強く砂を踏み込み、跳ねた。迷いなくゾンビに向かって直進する。前方に居たスーツを着た男のゾンビが真正に反応する。ゾンビは真正に向かって疾走。肉体の負担を無視した速度で接近する。真正はゾンビと衝突する寸前、散弾銃の銃身をポールのようにして地上から飛び上がった。体を反らしてゾンビの頭上を乗り越える。空中で散弾銃を構え直しゾンビの頭を狙う。

「ばん!」

 真紅の華が咲いた。ゾンビは一発で頭部を破壊され地面に倒れ込む。真正は砂埃を撒き散らしながら着地。待ち構えていたもう一人の男のゾンビの爪が真正に襲いかかる。真正は端正な口元を獰猛に歪めた。

「ナイスタイミングゥ!」

 真正はゾンビの顎を真上に蹴り上げる。怯んだ一瞬のすきに散弾銃を金属棒としてゾンビの頭部を殴打。ゾンビの顔面にめり込み軋みを上げる。真正はさらに銃を握る手に力を込め――振り切った。ゾンビの首が根本から千切れボールのようにグラウンドをバウンド。首の断面から血が噴出して真正の桃色の髪と白の無地のTシャツが染められる。

「ホームラン、大・成・功!」

 真正は歯をむき出して叫ぶ。女のゾンビが四足歩行で爆走し背後から飛びかかる。噛みつこうと口を開く。真正は散弾銃をくるりと一回転。同時にコッキング。ゾンビに視線を向けずそのまま引き金を引く。ゾンビは散弾の雨を食らって腕がひしゃげ、衝撃で硬直。真正は素早く二発目を発射。ゾンビの頭蓋に着弾。ゾンビはふらふらと後ずさりながらどさりと沈黙。

「ラスト一匹も――」

 筋肉質で大柄なゾンビが真正の小さな体に向かって拳を振る。あまりの拳の速度で周囲の砂が抉れ飛ぶ。真正は危なげなく後退。拳の連撃を躱し足をかけた。ゾンビの巨体が傾く。真正は正面から散弾銃を突きつけた。

「月に変わってお仕置きぃぃぃ!」

 銃声が鳴り響きゾンビの顔面に蜂の巣状の穴が開いた。大柄なゾンビは姿勢を保てずに頭から砂に倒れ込む。どくりどくりと砂に血が染み込んでいく。

 僕は未だに壊れた笑みを浮かべる真正を見て、一歩後ずさる。隣の烏末は軽く肩をすくめる。

「正義のヒーロー役、やらなくて良かったな」

 烏末は僕を見て言う。離れていてもなお感じる濃厚な血の匂い、僕は顔を手で覆った。

「後、モブ役もお勧めできない。すぐに死ぬ」

 烏末が僕の真横を指差して言う。僕は反射的に振り向く。やせ細ったゾンビが僕の肩に噛みつこうと口を開いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る