第9話 おっさん『テネブル・ムーティス』
「父さん!」
「母さん!」
「エリナ!」
「姉さん!」
叫んだ。俺は叫んだんだ。叫び続けたんだ。
でも、もう今は、叫ぶことなんて、やめた。
だって、誰も振り向いてくれないじゃないか。
何をしても『悪魔』扱いだからな。
わかっているよ、わかっている…
もう、嫌だ…嫌だよ…
消えたはずの記憶は、まだ微かに残る。
しかし、これもまた、すぐに消えていく。
夢にはもう、二度と出てくることなんてあり得ないだろう。
「嫌だってばっ!」
叫びながら目を開く。
「はあ、はあ、はあ、」
なんだか、あまり良くない夢を見た気がする。
寒い。体が凍っているような冷たさだ。
でも、目の前には焚き火がある。
火が風で揺れている。
温かい。温かいんだ。
村にいた時は、何もかもが冷たくて、ひんやりとしていて。
でも、ここは違う。寒いのに、温かい。
俺、焚き火なんか作れたっけ?
そんなことを思いながら、俺は、起き上がる。
「お。起きたか。」
「え?」
俺は驚いて、固まる。
焚き火の向こう側には、おっさんがいた。
俺は警戒心に変わる。
「誰だ。」
「ああ、ごめん、ごめんな。俺の名前はプリスト・パーブリだ。有名人なのだが、その感じからして、俺のこと、知らないっぽいな。ははっ。まあいい。あまり昔語りは好きな方ではないからな。」
おっさんは「ははは」とにこやかに笑うが、俺は完全に警戒しているため、そんなものでは動揺などしない。
「おっさん、そんな笑っている場合じゃないぞ。俺は『悪魔』だ。俺の近くなんていたら、あんたも呪われる。」
嘘だ。だが、こんな脅しで逃げる奴なんて大勢いた。あの村を燃やした時なんか特に。
「ははははっ!いい感じの厨二病だな!」
「はあ?ちゅ、なんだって?」
「おっと、知らないのかね?厨二病。」
「知らないで悪いかよ。」
「厨二病だよ。お前みたいな人のことを言うんだよ。」
「はあ?」
言っている意味がわからない。
「おっと、失礼。私はさっき名乗ったので、次はあなたの自己紹介といきましょうか。」
話と口調がガラリと変わったが、俺は首を横にふる。
「すまないが、俺はもう行かないと。」
「ダメです。私は名乗りました。あなたもそのフードをとって、顔を私に見せ、名乗ってください。」
めんどくさいおっさんだな。それに、フードなんか取れるわけがない。この体を見たら、こいつは絶対、逃げ出す。絶対だ。だから、無理だ。逃げ出されたら、俺はもう、完全に心が折れる。
「フードは取れない。でも、名だけは言える。テネブル・ムーティスだ。」
「ムーティス…ほう。そうですか。テネブル。私についてきなさい。」
「はあ?なんで。」
「私の家でお茶を出してあげますから。」
雪は止んでいた。空を見上げると、透き通る青い空が広がっていた。だが、地面にはまだ、雪が残っている。
「ちなみに、まだ歩けますか?」
「まあ、さっき寝てたみたいだし、行ける。」
「そうですか。でも、それは無理してますよね。」
「え?」
「待ってください。天を司どりし、神よ。どうか、この方に癒しを。」
おっさんは、天に向かって両手を広げる。
「え、わっ、」
俺の体が軽く思える。足もこんなにも軽い。
「テネブル。これは神様からのプレゼントです。大事にしてください。」
大事にしろと言われても、俺はどうすれば良いかわからず、軽い足取りでそっと頭の中で神様という者に感謝を伝えた。
まるで、そのことに勘づいたように、おっさんは微笑んでいた。
「ここです。」
木造の一階建ての家だ。屋根の上には昨日の雪が積もっている。
ギイイイという音を鳴らしながら、木のドアを開ける。
「さ、入って。寒いですから。」
「は、はい…」
俺はおっさんの思うがままにされているような気がしながらも中に入る。
バタンとドアが閉まる音がした。
「これから、お茶を淹れますね。」
おっさんはそう言って、台所へと向かい、ポットを持って、コップに注いだ。俺はそんな光景を突っ立ったまま、ぼんやりと見つめた。
どこかで、見たことがあるな。
そんな言葉が過ったが、すぐに黒い何かで覆われていった。
「テネブル。」
「?」
「椅子に座っていて良いですよ。」
「あ、ああ。」
はっきりとしない返事をしてしまったが、おっさんは気にするような表情をすることなく、まだ台所で何かをしている。
俺は、目の前にある丸椅子に座った。
「なあ、おっさん、俺、、、」
「なんですか?行くのは許しませんよ。」
「わかってるよ。ただこれだけは言わせてくれ。俺は…」
「言ってはなりません。テネブル。あなたは言霊を知っていますか?」
「言霊…なんとなくなら…」
「なんとなく、ですか。言霊というのは、発した言葉通りになってしまうことです。あなたが今、言おうとした言葉は何かは、私は知りません。でも、その言おうとした言葉が、とても良いような感じはしませんでした。だから、言わないでください。たとえ、その言葉通りのことをした後でも、言ってはなりませんよ。」
「わ、わかった。言わない。」
「それで良いのです。さ、できました。ちょっとしたものですが、食べてください。」
そう言って、目の前のテーブルに、湯気が出ているコップとクッキーが入ったバスケットを置いた。
「俺、今は…」
「良いですから、お茶だけでも飲みなさい。」
おっさんも丸椅子に座って、コップに口をつけてゴクリゴクリと飲み始めた。
熱くないのか?なんて俺は思ったが、俺もコップに口をつけて、コクリと飲んだ。
冷えていた体が温まる。
「おっさん。」
「うん?」
「俺、雪山で倒れていたのか?」
「そうですよ。」
おっさんは、コップに入ったお茶を見つめながら言った。
「もしかして、俺に触れたか?」
「いいえ。そこで焚き火をしましたから。」
パクリとクッキーを頬張る。おっさんは、そのクッキーの甘さに顔がとろけている。
「なんで…」
「わかりますよ。あなたの体からは、昔、感じたものと全く一緒だからです。」
おっさんは、またお茶を飲む。
俺は、何も言えない。この人は一体、何者だ?
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