第7話 キャンナ師匠『ルナ・ムーティス』
お母さんが朝食の準備をしている。
幼い私は、その香りにつられて台所へと向かう。
「あら、おはよう。」
お母さんは振り向いて、私に言った。私も「おはよう」と返そうとした。
でも、声が出ない。出てくれない。
言いたいのに、言えない。
あれ?なんのお歌?この、お歌は、どこかで…
「ふん♪ふん、ふ〜ん♫」
何やら鼻歌のようなものが聞こえてくる。
「んっ、んん。」
ゆっくりと体を起こす。目を擦り、大きく体を伸ばす。
「あら、起きたの?」
とても透き通る、優しげな声が耳に入る。
目を開く。
「えっ、こ、ここは?」
テントの中にいるのだろうか。私は、周りを見渡す。私の隣には凛とした背筋で鍋の中のものを何も使わず、指を宙でくるくると混ぜている女性が座っていた。
「おはよう、勇者の子さん。」
「あ、えと、おはようございます…」
「そんなにかしこまらないでよ。私はかつてあんたのお父さんと旅した仲間の一人よ。名乗った方がいいわよね。私は『魔法使い』のキャンナ・グイダータ。魔女の一族よ。」
ふふんといった調子で鼻を高くしたが、私は初めて『魔法使い』を見たため、ぽかんとした表情で、見つめる。
「おーい、そんな顔をぽかーんってさせないでよ。っていうか、あんた、すっごい美人ね。とても綺麗だわ。その汚れているパジャマを除いて。」
私はそんな急に嬉しいことを言われたため、口をぱくぱくさせて、なんて返せばいいのか考えた。
「あ、ありがとうございます。その、キャンナさんも綺麗ですね。」
「あら、いいこと言うじゃない。ふふっ、気に入った。私の弟子になりなさいよ。困っていたのよね〜、私、全然、弟子をつくれなくて。どう?ならない?」
「で、でも…」
「じゃあ、衣食住ありで、旅もできるっていう条件付きで!」
「あ、えと、は、はい!」
「よし!決まりね。」
「はいっ、」
少し流されているような気もしながら、でも衣食住に関しては助かると思いながら、私はキャンナさんの弟子になることを決意した。
「っていうか、私、聞いてなかったわね、あなたの名前。」
「あ、はい!えと、私はルナ・ムーティスです。」
「ムーティス…ふふっ、そう。ルナね。よろしく、私の弟子さん。」
「はい!」
キャンナ師匠は鍋で作っていたスープのようなものを木の器に入れ、私に手渡した。
「ありがとうござ……」
これってスープ?それともシチュー?どちらかもわからない、このドス黒い液体…一体、何?
キャンナ師匠は私に期待の眼差しを向ける。「美味しい」という言葉を待っているのだろうか?
私はもう一度、液体を見つめる。見たことがない。お母さんの料理では、こういうものは一回も出てきたことがない。私は唾をゴクリと飲み込む。食べてみよう。何事もやってみることが大切ってお父さんから言われたし。
器に口をつけて、こくりと謎の液体を体内に流し込む。
「んっ、んん⁉︎」
わけがわからない。おいしすぎる!ちょっと、待って。本当に美味しい!
「お、美味しいっ!です!」
そういうとキャンナ師匠は照れた表情を浮かべて、笑った。
「あら、本当⁉︎よかったわ!」
あまりにも嬉しそうに言うため、私もなんだかつられて、笑ってしまった。
「ルナ、食べ終わったら、ここに置いておいて。外には出ないでね。まだ体調は良くなってないっぽいから。」
はっと思い、自分の手を器からおでこに当ててみる。液体の暖かさよりも遥かに上回っている熱さが手に伝わってくる。
「うわ、熱い。」
「言ったでしょ?まだルナは体調が良くなっていないの。だから、今日は寝なさい。」
「は、はい!」
「じゃあ、私は食料を見つけに行ってくるよ。」
キャンナ師匠はそう言って、出て行った。
器に口をつけ、また液体を飲み込む。よくみると、人参や大根が細かく切られている。
なんだか、冷え込んでいた体が、心が温まっていくように思える。
あんなにも冷たかった心が、氷が溶けていくように液体が心を溶かしていく。
今でも、あの時の記憶が鮮明に残っている。忘れてはならない記憶が判子を押したように鮮明に映り出される。
生臭い匂いが今でも匂ってくるように思える。
あとで、師匠に聞いてみよう。村はどうなっているのか。
「はあ…」
テネブルを止めなければならない。これ以上、絶対に人を、家を、村を、生き物を殺させない。
私は、どうすればよかったのか。過ぎ去った記憶の中、私は考える。
飲み終わると、私は、師匠が敷いてくれたであろう布団の中に潜って、ひたすらに願った。
弟を、テネブルを、これ以上、苦しませないでくれと。
誰のせいでもない。全ては、あの魔王が作り出した『呪い』だ。
一体、どうすれば解かれるのか、これから考えていけば、きっと、きっと、見つかる。きっと…きっと…
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