第5話 二人の冬
「ね、ねえ、テネブル!テネブル!」
冷たい風が肌に突き刺さる。雪が降り始める。雪はふわりふわりと宙で転がり、地へと重なっていく。
「待ってっ!テネブルっ!い、行かないで!」
ルナは凍える手を温めようと手どうしを重ねるが、両手とも暖かさを求めているため、手は真っ赤になったままだ。
吹雪が強くなる。
「テネブル!」
吹雪の中、微かに見えるテネブルをルナは呼ぶ。テネブルの歩く足が止まっている。こちらに振り向いて、笑みを浮かべた。
「テネブル、お願い、帰ってきて。みんなが…」
「姉さん、もういないよ。」
テネブルの体は、もう『呪い』に蝕まれていた。テネブルのあの美しい肌はほとんど、黒いアザのようなもので覆われ、体からは煙が出ている。今まで以上に吹き出している。
「もう、みんなは、いない、よ?」
テネブルも震えているのだろうか、それとも…?ここからでは、とても見えにくい。
「姉さん、俺は、村を殺したんだよ。」
「テネブル、それは…!」
「俺は、あの村では嫌われていた。いくら、勇者の子でも、今では『悪魔』扱いだ。わかる?姉さんには、わかる?」
「……」
何も言えないのは事実だった。いくらテネブルに全力を尽くそうとしても、テネブルの心には触れられなかった。それは、ルナにとってもわかっていた。
「俺は、俺は、大事だった父さんも母さんもエリナも殺した。もう、もう、散々なんだよ。俺は殺ってしまったんだ。」
「テネブル、だったら、私と旅に出よう?きっと、もっと広い世界を見れるよ。私と一緒に…」
「ごめん、それは無理だよ、姉さん。俺はどこ行っても嫌われる。どこ行ってもだよ。それは、あの村の中と一切、変わらない。」
テネブルがルナに背を向けた。
ルナには、あの後ろ姿を見て、震えた。
もう、私には止められない。
テネブルは、もう、変わったんだ。
もう、無理だ。
「テネブル!お願い、これだけは約束だよ。これ以上、人を殺さないで。お願い、お願いだから!」
「姉さん、俺はもう、人を殺すことに何も躊躇を抱かなくなったんだ。ごめんね、姉さん。でも、これだけは言わせて、俺は、姉さんが嫌いだ。何も理解しなかった姉さんが嫌いだ。俺のことなんて、ただ可哀想な奴。そんなふうに思っていたんだろ?」
「違う!違うよ!そんなこと思ってない、思ってないよ!」
嘘だ。思っていた。思っていたんだ。なのに、嘘を言うときだけ、口の調子がいい。
「じゃあね。姉さん、さようなら。」
テネブルが吹雪の中へ消えていった。
バレていたんだのだろう。嘘だということに。
私はバカだ。
もう、何も取り戻せない。ルナはわかっていた。だから、せめて自分の村へ帰ろうとした。しかし、体力的に限界になっていた。
吹雪の中、月の光が微かに差し込む。
「あ…」
ルナの髪色が変わる。吹雪が止み始める。
まるで体力が戻っていくような感覚に襲われ、ルナは積もった雪を力強く踏み込みながら、村へと帰った。
一体、どれだけテネブルを追いかけたのだろうか。
あの時の記憶が悲鳴を上げながら蘇ってくる。
「ルナ、逃げなさい。」
シェーンがベットで眠るルナを起こし、逃げるよう促す。
「な、なんで⁉︎何があったの⁉︎」
しかし、シェーンはただただ逃げるようにしか、言わない。
「あなただけが、光になるわ。」
そう言い残し、シェーンは倒れる。
全く理解ができていないルナは、震えながら、母の肩を叩く。
「お母さん、お母さん、お母さん?」
シェーンの体からはどこからか赤い血液が流れていた。
「ひっ!」
悲鳴にもならない声が出る。
窓の外を見れば、村が黒い煙で覆われては燃え、人が死んでいる。まるで春風に吹かれ、揺れた花のように人が死んでいく。
昨日一緒に遊んだであろう子どもも、昨日一緒に話したであろうお婆さんもみんなが、地面に倒れ、血を流しながら死んでいる。
あまりの悲惨さにルナは部屋の中で吐いた。
「何、これ?」
頭が回らない。呆然と立ち尽くし、ただただ自分の部屋の床を見つめた。
「テネブルは?」
ルナは、ふと、気づいたようにその場で立ち上がり、テネブルの部屋へ向かう。
「いない。」
ルナは全ての家具が投げ倒されている部屋を見渡し、テネブルがいないことを確認した。
「テネブル?待って!テネブル!」
窓の外にテネブルが突っ立っていた。それを見た途端、ルナはすぐ家から出ようとした。しかし、動いた足に何かが引っ掛かる。家具かと思ったが、何やら柔らかい。視線を下にすると、
「ひっっっ!」
勇者が倒れていた。勇者もまた血を流して死んでいた。
「お、お父さん?お父さん?」
いくら呼びかけても返事はない。
「なんで?なんで?なんで?」
ルナの頭はパニック状態になる。もう、何も考えられない。
「あはは。なあに、これ?だあれがやったあの?どおこのだあれがやったあのかなあ?」
フラフラとする足をなんとか動かしながら、何やら独り言を呟いて、テネブルの元へ向かった。
外に出れば、村の真ん中にある噴水の近くで、テネブルが、突っ立っていた。しかし、テネブルの背の後ろには、エリナがいた。
ルナは、パニック状態になりながらも呆然とその光景を見ていた。
「テネブル様。あなたは何をやっているのですか?」
「ああ。エリナか。」
「テネブル様、お願いです。出ていってください。」
「え?」
「この、この『悪魔』が!」
エリナは言ってしまった。言ってはならない言葉を言ってしまったのだ。決して言ってはならない言葉を。
「あああ。ありがとう。『悪魔』だって言ってくれて。あああ、これでももう、何も思わなくて済む。俺は『悪魔』だ。これで全てが解決だ。」
その時、しんしんと小さな雪が降る。まるで今、起こったことを消すように。
「あははは。エリナ、俺に『悪魔』だと教えてくれてありがとう。とても
とても助かったよ。これで変に考えなくて済むからね。よし、解決したことだし、エリナ、俺を育ててくれてありがとう。向こうで母さんや父さんにも言っておいて。」
「へ?」
エリナは、何が起こったのか考える隙もないまま、雪が静かに降る中、天へと向かった。
ルナは見ていた。
「テネブル?」
ボソリと口から、『悪魔』の名を呼ぶ。
「テネブル!」
呼ぶ。しかし、悪魔は振り返ることなく、村の外へ出ていく。
ルナは追いかけた。
それが先ほどまでの記憶だ。ルナに残る記憶だ。
ルナは、歩く。
もう、何も考えたくない。
そう、彼女は願った。
『ルナ・ムーティス』18歳
『テネブル・ムーティス』14歳の時の出来事だった。
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