「今日から高校生なんだから、ちゃんと自分で起きなさいよ」

 キッチンから、母が言う。そんな母の忠告を聞き流しながら、希春は即席のたまごサンドを急いでほお張り、カップに注がれた牛乳を胃袋に流しこむ。ごちそうさまの言葉もそこそこに洗面所へ向かい、ヘアスプレーで一心に寝癖を整える。

「じゃあお母さん。行ってくるね!」

 リビングに声を飛ばすと、自室の前に置いておいた学生鞄を掴んで玄関に行く。光沢を帯びた新品のローファーに足を入れると、自分が今日から高校生になるという実感が少しずつ湧き起こる。

 両足のかかとがぴったりと靴に収まったところで、希春は父の革靴が見当たらないことに気が付いた。

「お母さん、もうお父さん仕事行っちゃったの?」

 玄関から声を張って母に訊(たず)ねると、食器と食器がこすれ合う音とともに、母の声が玄関に届いてくる。

「最近忙しいみたいで、もう行っちゃったよ。――今朝、『希春の入学式行きたかったな』ってボソボソ言ってた」

 言い終わるや否や、リビングからパタパタとスリッパの音が近づいてくる。希春がおもむろに振り返ると、エプロンで手の水気をふき取りながら、母がにっこりと笑って佇んでいるのが目に入る。

「うん。かわいいぞ希春! さすがはママの子だなぁ」

「はいはい。――お母さん、入学式だけど……」

「九時からでしょ? ちゃんと行くから、心配しないの」

「ありがと。行ってきます」

 玄関の扉を開く。新しい一日が始まる。希望と緊張がぜになった感覚で、心臓が普段より大きく脈打っているのが分かる。

 ――大丈夫。今までは人見知りのせいで、ろくに友達もできなかったけど、今日からわたしも高校生。わたしの高校生活は、きっと素敵なものにしてみせる!

 希春は、自身の胸元を飾る制服のリボンをいじりながら、生まれ変わったような気持ちで歩き出す。

 四月一日、金曜日。

 織坂希春は、今日から瑠璃ヶ丘(るりがおか)高校の一年生になる女の子である。

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