陽炎-2
「と言うか、そういう話は総帥として下さいよ」
舎弟のくせに生意気だとフユトから剣呑な視線を向けられる前に、セイタは正論で牽制した。カウンターに突っ伏すように大きく前傾姿勢を取りながら、肘をつく腕に頬を載せるフユトが不機嫌に目を細める。やらかした、とセイタが内心で青くなっていると、
「もう、フユトさん、後輩にタチ悪く絡まないで下さいよ」
洗い物を終えたバーテンダーが小走りにやって来て、喧嘩腰の雰囲気を醸すフユトを窘める。
子犬のような可愛い系の顔立ちと小柄で華奢な体格から、気弱そうに見えたバーテンダーだが、なかなかどうして、有無を言わせぬ圧が言葉に込められている。おや、とセイタが感心して見守っていると、バーテンダーをきつく睨み据えたフユトの反応にも関わらず、子犬顔の青年は動じることなく柳眉を顰めた。
「うっせェな、しゃしゃり出て来んな」
「オーナーが居ないときに八つ当たりしないで下さいって、前も言いましたけど」
見守るセイタが思わずちらりとフユトを見ると、バーテンダーと睨み合う彼の額に僅かに青筋が浮かぶ。あぁ、これは本気で苛立っている。セイタより更に薄い身体付きのバーテンダーなど、軽く殴られただけで倒れてしまうだろう。
しかし、フユトはしばらくバーテンダーを睨んだあと、忌々しそうに舌打ちしただけで、矛先を下げた。若輩ながら店を任されているだけはあり、子犬顔のバーテンダーの胆力と手綱さばきは見応えがある。
事情を知らなかったとは言え、キラーワードからフユトの地雷を踏んでしまったことに、セイタは少しだけ罪悪感を覚える。この人はそこまで、『塩の街』の経営者であり斡旋組織の総帥である彼のことが好きなのかと思うと、何だか憎めない。
「気にしないであげて下さいね」
傍観に徹していたセイタに、不意にバーテンダーが話しかけて来た。
「えっ、」
「構ってくれる相手がいないから寂しいだけなんです」
呆気に取られるセイタに、バーテンダーはにっこりと笑って告げた。フユトの険悪な視線が向けられた。
バーテンダーは通名をアゲハという。もともとは、デートクラブ在籍の男娼だったらしい。可愛い系の顔立ちと、小柄で華奢な体躯を思えば納得はするが、それらしい雰囲気を感じさせないのだから不思議だ。
勝手なことを吐かすな、とフユトが噛み付いたことで喧嘩が始まりそうになってヒヤヒヤしたものの、アゲハはフユトの性格を知り尽くしているらしく、「次に店で暴れたらどうなるかわかってますよね?」と冷静に脅して事を収めた。不貞腐れたフユトが空のボックス席に移ってしまったのを幸いと、セイタはアゲハと話をすることにした。
「何かスゲェんスね」
乏しい語彙力で尊敬を伝えるセイタに、アゲハがくすぐったそうに笑う。
「フユトさんの
聞くと、アゲハはセイタよりも二つほど歳上だった。今年で二十歳と言われても違和感のない見た目ながら、中身がしっかりしているのはそういう理由らしい。人は見かけによらないことを痛感しながら、セイタは更に、アゲハがフユトと身体の関係を持っていた時期があることに驚かされた。道理で扱い方を完璧に心得ているわけである。
フユトが同業者から最も恐れられる理由──同業殺しが日常だった頃から、アゲハはフユトを間近で見て来たのだった。当時、二十歳過ぎだったフユトの荒れようは凄まじく、ただ目と目が合っただけで喧嘩を吹っ掛ける状態だったのだと聞かされて、知り合ったのが落ち着いてからで良かったとセイタは内心、ほっと胸を撫で下ろす。
「何でそんなに荒れてたんスか?」
セイタが当然の疑問をアゲハに投げると、子犬顔のバーテンダーは困ったように眉尻を下げながら、
「……いろいろあったんですよ」
言葉を濁して答えを避けた。
セイタはボックス席で行儀悪く寝そべるフユトを見やる。今でも悪餓鬼がそのまま大きくなったような雰囲気の彼だけれど、近付く者を皆殺しにしてやろうというような殺気は感じられない。確かに人懐こくはなさそうだが、会釈をすれば会釈で返してくれるような、人並みの社会性は持ち合わせているだろう。傍若無人な振る舞いの噂はよく聞くけれど、実力と実績あってのことだから、末端から僻み混じりで悪し様に言われているのもわかる。
フユトさんの過去ね──セイタは思いつつ、ジントニックで慣らした舌で、ハイボールをちろりと舐めた。
勝手に気に入られてから、それなりに連れ回されもして来たけれど、彼がどんな人なのかを根底から知りたいと思ったことはない。過去が積み重なっての今であることは理解しているが、他人の口で囁かれる噂と、実際にこの目で見たフユトの人物像で事足りると思うから、興味を抱いたこともなかった。
けれど、はぐらかされてしまうと少し気になる。
「まぁ、可愛い人なんだってことは付き合っててわかりますけどね」
様々な含みを持たせてセイタが言うと、ボックス席から地を這うような低音の威嚇が聞こえた。アゲハが苦笑して、
「本人はそう思われたくないみたいですけどね」
フユトをさり気なくフォローした。
世界中にあらゆる戦禍をもたらし、およそ一世紀前に第三次世界大戦が終結したあと、壊滅した首都は郊外に戦災遺構を留めたままの形で復興した。都心の庁舎を中心に、なだらかな円錐を描くようにして広がる街並みの繁栄は、この街の全てではない。
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