坩堝
坩堝-1
男もイケるのか、と問われたら、男娼なら抱いてきた、と答えられる。育ってきた環境が劣悪だったので、恐らく、真っ当に生きてきた人間と比べたら、性的自認も性的指向も滅茶苦茶なのかも知れない。
別に、ゲイだのヘテロだの、そういう括りにカテゴライズされる必要なんぞない。好きなものにたまたま性別があって、それがたまたま同性だったというだけで、生殖本能がどうたらという類の高説を聞く気にはならない。世の中、正常か異常かなんてものは綺麗な二律背反じゃないし、マーブル模様で蔓延っている。ともすると、グレーゾーンが大半を占めていることだってある。
「血に酔うのは相変わらずだな」
そう言って出迎えた飼い主は暗澹とした瞳の奥で情欲を飼い慣らす。悪魔を彷彿させる微笑に頷く。
血の匂いに酔う、という表現は正しくない。正しくは、惨たらしく殺される被害者に自分を重ねるから欲情する。圧倒的な高みから見下ろされ、屈辱を覚えるほどの下卑た笑みを浮かべる顔に見つめられながら、何処と言わずに踏み潰されたい。救えない。
頷いたまま俯く顎を取られ、顔を上げさせられる。至近距離で見る飼い主の瞳は常にドロドロとしている。なけなしの理性を総動員しても溢れる唾液で溺れそうになるし、腹の奥底がぎゅっとしてむず痒いような切なさに満たされるよう、躾けられて来た。だから、尊大に微笑む飼い主の唇に擦り寄るように顔を近づけて、
「……キス、したい」
ずっと、いつか殺してやりたいと、思っていたのに。
両腕の付け根から手首に至るまで、びっしりと描き込まれた墨色の大蛇の彫り物。光に当たると青みのある艶を発する黒髪。この世の全ての絶望と失望の果てを見てしまったかのような昏い瞳と、仮面をつけているかのような完全な無表情。それが、シギという名前の男の特徴だ。中性的な面立ちで、女性を惹き付ける完璧な微笑は、経済系の雑誌の巻頭インタビューを飾ったこともある。が、完璧に装われた表情に騙される連中には、シギの目が決して笑っていないことまでは見えていない。
表の世界では、世界規模で事業を手掛ける大企業グループ総裁として知られた彼の本質は、猟犬や、ハイエナと呼ばれる死体解体屋といった危険な人々に仕事を斡旋し、取り纏める組織の総帥の役割に出る。在籍しながら依頼の達成率が悪いポンコツ、血の気が多い余りに同業者から堅気にまで喧嘩を売る素行不良者、組織が抱えるクライアントの暗殺依頼を勝手に引き受ける裏切り者等々を、文字通りスクラップにして廃棄する。フユトはその瞬間にこそ立ち会ったことはないものの、無表情だと綺麗な造形が際立つ顔を、きっと、誰もが見惚れるほど恍惚とさせて笑うのだろうと想像するだにぞっとしない。
何より、シギは猟犬もハイエナも経験したという意味で両刀遣いだった。暴力を翳すだけの下品なハウンドと違い、独特な美学や拘りを持つのがハイエナだ。人間を生きたまま解剖して臓器移植に使える内臓を奪いながら殺す。その点に於いて、ハウンドをやるような人間より、ハイエナとしてやっていける人間の方が猟奇性の面で危険度は高い。
そんなシギに目を付けられてしまったが最後、フユトがどんなに抗おうと、涼し気な見かけに拠らず粘着質で偏執的な男の魔手に絡め取られてしまっては、逃げるなんて夢のまた夢だ。と言うよりも、逃げる気力さえ奪われる。
娼婦や男娼といった玄人を相手にそこそこの経験を積んでいても、シギのそれは段違いだ。互いの口腔に舌を差し入れて舐めて吸って絡めて、なんて粘膜同士のやり取りだけで、充分過ぎるほど腑抜けにされる。
解放されてジンと痺れる舌を持て余していると、唇の端にそっと触れるだけのキスをされて、その唇が耳朶をやんわりと食む。熱を持った蛞蝓のような舌が軟骨に沿って耳輪を舐め、甘噛みされ、耳孔に水音を聞かせるように舌を入れられただけで腰砕けになる。
いつもこれだけで立っていられなくなる。前戯も入り口の段階で相手の肩に縋り付くなんて、以前のフユトなら考えもしなかったし、プライドなんてガタ崩れだけれど、今はもう、それどころじゃない。固く尖らせた舌で首筋をなぞられるのも、薄く浮き出る鎖骨を甘噛みされるのも、上衣の裾から侵入した指で脇腹をフェザータッチされるのも、すごく、すごく悦い。
「ん、」
鼻から甘えたような声が抜ける。ここがエレベーターホールに接した部屋の入り口であることまでどうでも良くなって、ドアに背中を密着させることで体勢を維持し、性感を高めるためだけの前戯の全てを受け入れてしまう。
これらも全て、飼い主に施されてきた躾の賜物だ。
この長くて細い指を噛みちぎってやりたかったのはいつまでだろう。唇に触れる指に舌を這わせながら、ぼやける意識で思う。肺胞から酸素を奪い尽くさんとする唇を拒絶し、愛撫を跳ね除け、しなやかに鍛えられた腹にナイフを突き立てたいと思っていたのは、いつまでだっただろう。体格はフユトのほうが僅かに勝っているのに、膂力で勝てた試しがない男から抵抗を封じられなくなったのは、いつからだっただろう。
シギの瞳に映る自分の顔が、感じ切ってトロトロに蕩けている。そんな様子を正面から見られるようになったのは、まるで雌みたいだと卑屈に思わなくなったのは、いつからだっただろう。
「……もういい、」
シギの肩に額を預け、フユトはふるりと首を振る。性器以外の弱いところは一通り触られて、腹の奥が異様に熱く、重い。フユトのさり気ない要請に、シギの愛撫がやんだ。肝心なことを言わせようとしているのだとわかっていたけれど、口にしなければ先に進まないことも熟知している。
「奥、欲しい……」
排泄器官には見合わない質量が恋しい。直腸を最奥まで満たされることに悦さなんか見出せないと思っていたのに、蓋を開けてみればこのザマだ。膣以外の場所にハマる人間がいるのも今なら理解できる。但し、挿入される立場ではあるけれど。
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