【猟犬】-5

 別に、だからどうということもない。オンナだったのが美形の総帥でなく、悪鬼のようなフユトであったとしても。

「……うっせェな」

 耳の縁を赤くしてぼやいたフユトが、ドアに寄りかかるようにしながら頬杖をつくのを眺めて、セイタは視線を前に戻す。

「言わなくても良かったのに」

 車内という密室が居た堪れない気持ちにさせ、気まずさを埋めるために口が滑ってしまうのはわかるものの、何だかとてつもない爆弾を抱えた気分だ。

 セイタの正直な感想を受けて、フユトは舌打ちを一つする。

「お前、そういう勘は良さそうだからな」

 フユトの見立ては当たっている。

 なかなか進まない渋滞に倦んでいる風を演じて、セイタはちょっぴり長めに息を吐いた。

 同業者の間で交わされる様々な噂で妄想を膨らませ掛けていたから、やはり自分も連中と同類だとは思いつつ、打ち明けられたからと言ってフユトを避けることはないし、色眼鏡で見ることもない。現場を前にして寒気がするほど兇悪に哂うフユトの横顔も、餓鬼大将のようなヤンチャな顔も、引っ括めて全てが彼だった。手が出るのは人一倍速いけれど、面倒見が良く、実は優しいことは、一ヶ月ほど近くで見ればわかることだ。

「……それに可愛いし」

「あ?」

「いえ、何でも」

 思わず零れた独り言に、フユトから鋭い視線が向けられる。セイタが首を竦めながら誤魔化すと、フユトは静かに車窓の外を眺める体勢に戻った。

 いい歳をした大人の男に、しかも切れ長で三白眼という、目つきが悪い男に、可愛いも何もあったものじゃない。と、冷静な頭では思うのだけど、そういう間柄の総帥と雑談を楽しんでいるところを邪魔されてイラッとするなんて、可愛い以外の言葉が見つからない。あの場で殴りかかられなかったから言えることだ。フユトがそのつもりで遠慮なく手を上げていたら、新人を揶揄した二人組もセイタも、無事では済まなかっただろう。

「……腹いせっスか」

 箱型の風俗店から出てきたセイタは、プレイ終了まで事務所で待っていたらしいフユトに、恨みがましい目を向ける。

「何がだよ」

 言いながら、フユトの口許がニヤついているので、これはもう、確信犯以外の何物でもない。

「看板つけるって言ったから、可愛い子期待するじゃないっスか」

「つけてやっただろ、Fカップの巨乳でテク持ち」

 はぁ、と大きく溜息をついて、

「いや、巨乳は嫌いじゃないスけど、ウエストまでそこそこあるのはダメですって」

 落胆しきった風情のセイタに、フユトが意地悪く笑う。

「遊んでる割に現実見ねェのな」

「……ウエスト六十五超えたらアウトです」

「ひでーヤツ」

 何てことはない会話をしながら、黄昏時の歓楽街を歩く。接待のない業態の飲食店に火が入るかどうかという刻限だ。通りを歩く人は疎らで、物寂しさが漂う。

「やることやったんだろ?」

 と、悪い顔をしたフユトが、緩く握った拳の人差し指と中指の間から親指を突き出す卑猥な仕草をするので、

「勃たなかったんで」

 セイタが正直に答えると、彼は小気味良さそうに笑った。

 きっと、車内での会話がなければ、こんな目に遭うことはなかったのかも知れない。思いながら、僅かに前を歩くフユトの背中を見つめる。料金を持ったのはフユトだから痛む懐はないけれど、やられたらやり返す点で、この人の機嫌を損ねちゃいけないと痛感させられる。

 ずっと勘繰る目をしていたからこそ、フユトのほうから敢えて触れた部分もあるのだろうと思うと、勝手に見下げていた連中と変わらないので自己嫌悪する。所詮、ハウンドになる人間の九割は下衆だ。

 ふと、少し前を歩くフユトが携帯端末を耳に当てた。二言、三言交わして、ちらりとセイタを振り向く。瞬間的に見えた表情に、不意にどきりとした。微かに熱を孕んだような目に、唾を飲んで我に返る。とろりと蕩けた眼差しで情事に誘う玄人を彷彿させる、見てはいけなかった顔だ。夜気に触れて冷たくなっていた頬が、かっと熱くなる。

「今日は帰るわ」

 通話を終えたフユトが身体ごと振り向いてセイタに言った。

「え、あ、はぁ……」

 表情はいつも通りに戻っていたものの、何処か浮わついた声に、きっと、これから総帥と会って宜しくするのだろうと考えかけて、やっぱり自分が嫌になる。

「今度はちゃんと、良いとこ連れてってやるよ」

 言いながらセイタの肩を叩いて、来た道を戻るフユトの背中を見送る。今度は、ということは、きっとまた小間使いにされるのだろうと予感しながら、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。面倒見がいいあの人のことだから、その言葉に嘘がないことも、浅い付き合いながらわかってしまったからかも知れない。

 何だか、誑し込まれた気分だ。けれど、くるくる変わるフユトの表情を見ているのは飽きなかったし、凄惨な色を浮かべて笑うフユトの凶相を間近で見られるのは恩恵なのだと感じる程度には、絆されている。気に入られて良かったのか、悪かったのか、今はまだ、結論を出すには早い。







【猟犬】-了

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