【猟犬】-4

 女が相手でも、そこの具合のほうが腟内より好きだと言う輩もいるという。

でッ」

 大きく撓められた中指が鈍い音を立てて額を弾く。ジンと痺れる痛みに思わず呻くと、

「お前、昼間っからナニ考えてんだ」

 加減なくデコピンをかましたフユトが意地悪く笑う。

「ナニって、なんスか」

 あまりの痛みに涙目になったまま、セイタは額をさすりつつ、兄貴分をきつく睨め上げた。

「お、やんのか」

 と、フユトは飽くまでも愉しげに挑発する。

 十月の終わり。珍しく晴れ渡った日だった。フユトが引き受けた老夫婦殺害案件のため、レンタルした作業車を運転しろと日当たりの悪い駐車場に呼び出されて、ルートの説明をされているうちに思考がどこかへ飛んでいたらしい。

 水周りの修理業者を装い、灰色がかった作業服を纏うフユトは体格もあって様になる。片や、セイタは服に着られた状態だ。

「……溜まってんスよ、相手がいなくて」

 挑戦的なフユトからふいっと顔を逸らし、セイタが不貞腐れたように告げると、

「ここんとこ連れ回して悪かったよ」

 何やかやと理由をつけて呼び出していた自覚はあったらしく、フユトが詫びた。

 ハウンドは基本的に徒党を組まない。何かの集会を襲撃しろと言われるか、最初から数人が一組で動く場合を除いて、単独行動だ。一つの依頼に一人で当たったほうが、着手金も成功報酬も取り分が増えるから、というのが単純な理由ではあるものの、大人数を殺して欲しいなんて依頼自体が少ないことにも起因する。

 直指名の依頼なら着手金だけで最低五本はいくだろうフユトなら、こうして小間使いを呼びつけたところで、取り分の減額など痛くも痒くもないのだろう。

「終わったら良いとこ連れてってやるから機嫌直せ」

「とか言って、御用聞きしてる店の売り上げに貢献させたいだけのくせに」

 フユトに遠慮がちな口の利き方をしていたのは、いつまでだったか。こうして怖いもの知らずな物言いをしても、悪鬼は青筋を立てるどころかヤンチャな顔で笑う。三十近いというのに、まだまだ悪餓鬼のように笑うのだなと最初に思ったのは、いつだったか。

「出すモンは出すし、ちゃんと看板つけてやるよ」

 言質を取ったところで、セイタはようやく機嫌を直した。殺害案件遂行後に風俗店に行くなんて、何とも罰当たりな会話をするようになってしまったと思いつつ。

 斡旋組織から割り振られる仕事だけで充分に暮らせるだろうに、フユトは個人的にも荒事を引き受けているのだ。客層や価格帯の異なる歓楽街にそれぞれ何軒か、クラブやスナックなどの飲み屋や風俗店に縄張りを持って用心棒を引き受け、更には違法レートの賭博場のサクラまでしているという。

 セイタはこのところ、フユトがそれぞれの店舗を回る際に呼び出されていたので、鬼の実態が何だかんだ面倒見のいい人柄であることには気づいていた。ハウンドにとっては小遣いにもならない額ながら、フユトはまめに各店舗に顔を出し、それなりの金額のボトルを実費で入れつつ、変わったことはないかと様子伺いに来るのだそうだ。

 秋晴れの昼下がりは長閑だった。

 住宅街の一角に作業車を装うバンを停めて、セイタはフユトの仕事が終わるまで、運転席のシートを倒して日差しの温もりに微睡んでいた。

 斡旋組織は、依頼料が頭抜けて高い幹部連を筆頭とした非逮捕者リストを、莫大な賄賂と共に警察機関へ渡しているという。フユトもその末端に名を連ねているそうだから現場の遺留品に気を配る必要はないけれど、巻き添えを食らうセイタは例外だ。路上駐車で切符を切られる程度ならいいが、職務質問を受けて任意同行なんてことにでもなったらいけないと、フユトが車を降りてから、後部座席で作業服から私服に着替えてある。

 ゴン、と窓を叩かれて目を開け、シートごと身体を起こす。フロントを回って助手席側に移った人影が、灰色がかった作業服の一部を赤黒く濡らしていることに気づき、ドアロックを外す。

「早かったスね」

 乗り込むフユトから反射的に時計を見ると、午後二時を大きく過ぎたところだった。三時間は掛かると言われていたから、随分と派手にやったのだろう。

「……あー、やべェ、」

 非逮捕者リストに名を連ねていても、白昼の住宅街で目撃されることは避けるべく、フユトは車まで走った様子で息を切らしていた。荒い呼吸を繰り返しながら、ずるりとシートに寄りかかり、掠れ気味の声で、

「勃った……」

 なんて宣うものだから、セイタはぎょっとして振り向いてしまった。

「たッ──」

「いいから車、出せ」

 慌ててギアをドライブに入れてアクセルを踏む。住宅街を幹線へ向かって静かに抜けながら、セイタは僅かな沈黙さえ気が気ではなくなる。心臓の鼓動がやけに煩く聞こえる。

「……現場でナニしてたんスか」

 住宅街の路地から交通量の多い幹線へ左折して、車を借りた駐車場まで戻る道の途中で工事による渋滞に嵌った隙に、セイタは助手席のフユトへと尋ねる。出発前の打ち合わせ中、揶揄われた言葉をそのまま返してやった。

「ナニって、殺し」

「俺、興奮はしても勃ったことないですけど」

「滅多刺しとか滅多打ちしてると、こう、クることあんだろ」

「ないっス」

 フユトの言葉に一切の共感など出来ず、乾いた口調で答えるセイタに、

「つまんねーな」

 フユトは大袈裟に溜息をついた。

「それが普通ですって」

 僅かに動いた前の車に合わせて、車間距離を詰めながら、セイタは答える。尤も、滅多刺しにして欲しいとか、原型がわからなくなるほど滅多打ちして欲しいなんて依頼が来ないから、未経験である可能性は否めないけれど。

「俺に看板つけるついでに、フユトさんもヌいていきます?」

 言いながら、セイタは助手席をちらりと横目に見た。

「いや、俺はいい」

 勃ったと言った割に、フユトの目は冷めていて、欲情の欠片もない。何かを思い詰めたような、張り詰めた横顔があって、意外に思う。

 まァ、この人は総帥の飼い犬だしな──と思い直して、セイタはハンドルに顎を載せた──あの人、嫉妬させたら不味いことになりそうだし。

「嫉妬深いオンナでもいるんスか」

 だから、世間話のつもりで聞いてみた。

「……だったらまだ可愛いだろうよ」

 やけに重たい溜息をついて、フユトが愚痴を零すように答えたものだから、セイタは呆気に取られて完全に横を向く。

 後方から鋭いクラクションが鳴らされた。

「え、」

「前見ろって」

「それって、まさか」

「莫迦か」

 スパン、と小気味いい音を立てて頭をはたかれる。額に食らったデコピンの何倍もの痛みに呻きつつ、車を前進させてから、

「……やっとわかりました」

 初めて訪れたバーでの出来事を回想して、セイタは呟く。

「何がだよ」

 フユトが不貞腐れた声で答える横で、

「いや、大事な話してた訳でもないのに、あそこまでキレられるの不思議だったんスよね」

 再びハンドルに顎を載せ、セイタは助手席に視線をやった。

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