【猟犬】-2

 セイタが斡旋組織に加入した折り、新人には聞かせておくべき心得があると、総帥秘書でもある壮年の大男に言われた。

 一つ。長生きしたいなら、同士討ち御法度のルールは必ず守ること。

 一つ。組織は仕事を斡旋するが、在籍ハウンドの不始末で逮捕されることには関与しないこと。

 一つ。褐色の髪の男の機嫌には注意すること。

 ルール云々はともかく、特定の誰かの機嫌の善し悪しなんて聞いたときはどういうことかと思いもしたが、なるほど、実際に目にしてはっきりとわかった。あれは人間なんて優しい生き物じゃない。気に入らない全てのものを剛腕で捩じ伏せる、鬼だ。当人の機嫌のみで同業者を何人も再起不能にしてきた危険な逸話を持つだけはある。

 しかし、ハウンドだからといって、銃火器やナイフを常に携帯しているわけではない。危険人物が完全にプライベートだった様子なのは救いだった。もし仮に、彼が仕事終わりであったなら、この場にいる何人が生き残れたかわからない。

 ピリピリと張り詰める静寂を、ふ、と鼻で嗤う声が揺らした。

 ただでさえ薄暗い店内の最奥の一人掛けソファに人影がある。肩に掛かる青黒い髪と、袖から突き出す腕を占める薄墨色の精緻な彫り物。それを認めた瞬間、セイタの全身に鳥肌が立った。鬼の傍らで泰然と長い足を組み、座しているのは、

「……総帥。」

 魑魅魍魎の頂点に君臨する魔王を体現する、その人だ。

 中性的な美形の顔立ちは、褐色の髪の男の苛立ちや竦み上がる面々を愉しむかのように、右頬で嗤っている。

ってみろ」

 と、かの魔王が尊大に言った。同士討ちはどんな理由も事情も加味せずに死刑、と事前に聞かされていたものだから、地雷で埋め尽くされた荒野へ追い立てられる心地にぞっとしない。

 突発的に新参者へ絡もうとした二人組も、煽ったセイタも、物見遊山気分だった周囲の他人も、全員が鉛でも飲み込んだかのような顔をしている。この場に組織のトップと片腕が存在していると気づいていたら、二人組もセイタも、有り余る血の気を滾らせることもなかっただろう。

「……すんませんした」

 セックスフレンドとは言え、女の前で簡単に頭を下げるような事態を苦々しく思いつつ、二人の視線から逃げるように詫びて、セイタは店を後にした。もちろん、その後、女からは二度と会わないとフラれてしまったけれど、自分の命より大事なものはない。

 暴力沙汰で死ぬことは怖くないけれど、鬼や魔王に嬲り殺される悪夢だけは御免だ。きっと、人として死ねない。

 そんなことがあってから、誰かに絡まれたり煽ったりする前に周囲を確認するようになった。が、二週間ほどもすると、喉元過ぎればというやつで以前のセイタに戻りつつあったタイミングで、

「あ、」

「よォ」

 週の真ん中で賑わう歓楽街の真ん中で、褐色の髪の鬼の姿を見つけてしまったのが、セイタの運の尽きだった。

 垂れ目がちで、ともすると情けなく見える顔立ちだから、血の気の多い同性からは挑発されることが多々ある。何がどうしてそうなったのか、セイタは大物ハウンドに気に入られてしまった。長身でそこそこ見栄えのする体格の彼と比べれば、セイタは細身で身体も薄い。自分より強い人間にはとりあえず尻尾を振っておくタイプだから、都合のいい使いっ走りになりそうだと思われたのかも知れない。

 そして、セイタはそれを否定できなかった。相手が同業者殺しで有名だからまだ死にたくない、ということは、自分の面子を保つために必要な前提にしておく。

「ほれ、お前の番」

 外したイヤーマフの耳当ての部分で軽く小突かれ、セイタは我に返った。射撃の腕を見てやると言われて、某雑居ビルの地下にある射撃場まで連れて来られたことを思い出す。

 掌にすっぽり収まるサイズのリボルバーから、無機質なボディのオートマ、殺傷能力が高く反動が大きいマグナム、果てはスコープ付きの狙撃用ライフルまで使いこなす彼にとって、動かない的を射るのは準備運動にもならないだろう。とは思いつつ、細腕のせいか銃火器の扱いを苦手とするセイタのフォームを見てくれるところは、同業から悪鬼のように恐れられる彼の良き兄貴分的な一面ではある。

 イヤーマフをして、スタンダードな射撃姿勢であるアイソセレススタンスで構えた。全く同じ構えで、全く同じ弾数を撃ったのに、人型の的の真ん中を抜いたのは最初の一発限りで、他は逸れたか掠めたかだ。

「重心が高いんだよ」

 と、悪鬼の彼──フユトが離れた位置から告げる。

「それに身体が引いてる、怖がるな」

 真顔で指摘するフユトに、セイタは眉尻と眦をこれでもかと下げて、

「言われても、銃使うことなんてほとんどないですって」

 ちょっとばかり反論してみた。

 男同士の喧嘩の延長線のような暴力沙汰ならセイタも好むけれど、本格的な殺傷道具で他人の眉間や口腔を撃ち抜く度胸は未だない。切れ長の目に浮かぶ三白眼のせいで常に睨んでいるような目つきのフユトにしてみれば、それこそ猟犬の仕事の醍醐味だと言うのかも知れないが。

 実際、これまで回された仕事に於いて、拳銃を使うものは一つとしてなかった。なかなか別れてくれない元恋人を暴行の末に死なせて欲しいとか、未婚女性との不倫が妻にバレたので通り魔に見せかけて不倫相手を刺し殺して欲しいとか、エゴが暴走したような仕事ばかりだったのだ。愚痴を零すついでに、あいつ死んでくれないかな、と呟く程度の動機で、人が死ぬとはどういうことかも理解していないようなぺらっぺらの殺意で、目の上のたん瘤を容易に処理しようと金を積む。簡単に思い通りの顔になると謳う美容整形のような気軽さで。

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