献体LOVERS

砂乃らくだ

【猟犬】

【猟犬】-1

 地下射撃場。

 肩幅に沿って足を開く、お手本のように綺麗なアイソセレススタンスで黒い拳銃を構え、数メートル先の人型の的に照準を絞り、トリガーを引く。

 一発、二発、三発。

 眉間、喉、心臓の位置にそれぞれ風穴が開く。的が生きている人間であれば、確実に絶命している。

 見ているこちらの肌がひりつくような緊張感を纏って集中していた彼は、全弾が急所を捕らえたのを見て取り、ふぅ、と大きく息を吐きながらイヤーマフを外した。

 猟犬ハウンド、と呼称される職種の業界に於いて、彼の名前を知らない人間はいない。多くの同業者が所属する犯罪斡旋組織の総帥の右腕にして、同業者殺しの異名を持つ、短気で容赦なしの危険人物だ。殺しを生業とする業種に身を置きながら、金さえ積めば死体の損壊と遺棄まで請け負うくせに、着手金百万が依頼料の最低額だという業界では端金でしかない金額の仕事をも受ける。要するに、暴力を振り翳す理由があって金が発生すればいいという、破壊的な性分が売りだ。しかしながら、似たような性分を口にするそこらのハウンドと違って、彼の腕は確かだった。陰謀渦巻く政財界からもお呼びがかかるので、業界内では凄腕の部類に入る。

 そんな大物と、駆け出しハウンドである青年が同じ場所に立っているのは、先月の出来事があったからだ。

 あれは、残暑と熱帯夜が続く九月半ばの土曜日だった。同業者の間では気軽に入れると評判──暴力的な人間の多いハウンドは酒を供する場では嫌われるし、そもそも出入り禁止になりやすい──の、『塩の街』という名の店に初めて入った日だった。

 店自体は都心から離れた繁華街の雑居ビルの半地下に位置し、ともすれば会員制の隠れ家的な雰囲気さえ漂う、暴力的な人間こそお断りのようなところに見えた。後から聞いたところによると、あの店の実態は富裕層の顧客に娼婦や男娼を紹介して斡旋するデートクラブで、荒くれ揃いのハウンドを受け入れる数少ないバーの姿こそが隠れ蓑らしい。

 店を切り盛りするのは二十歳そこそこだろうバーテンダーが一人きり。くりっとした目が特徴的な、子犬を彷彿させる可愛い系の面立ちの青年だった。

 店内はコの字を縦に配した形の大きなカウンターの他に、二人掛けソファを横に三つ、等間隔に配したボックス席があるくらいで、決して広くはないが、圧迫感があるほど狭くもない。

 カウンター席は九つ。疎らに席を埋める顔触れの全てがハウンドの同業者だ。気に入らないことがあれば腕っ節に訴える彼らの争い事に対処するには、子犬顔の若者は少し頼りなく思えたが、きっとやるときはやるタイプなのだろう。

 飲みに行きたい、と腕を組みながら甘えてきたセックスフレンドを伴って初めて訪れたセイタだが、気性の荒い人間が集う場所にしては、破壊されて補修した痕跡や真新しい疵が見当たらない内装で、ちょっぴり驚いた。

 店内はカウンターに四人、店内最奥のボックス席に一組と、週末にしては閑散とした様子だった。恋人未満の女と二杯ほど飲むには静かでいいかも知れない、と思いながら、左側を歩く彼女をエスコートしようとすると。

「よォ、新参」

 カウンターの右端から、胡乱で不穏な声がした。

 聞こえたままにセイタが目をやると、見るからに危うげな風体をした中年男の二人組がニヤニヤしている。誰かに説明されるまでもなく、こういう店に女連れであることと、つい先だって斡旋組織に加入したばかりの立場のことを囃し立てられていると気づいて、眉間に僅かな力が入る。

「何か用スか」

 連れがいるから面倒事は避けたい、と思いながらも、セイタの声は思いがけず剣呑に響く。やめなよ、と牽制するように腕を引く彼女をちらりと見ても、引き下がるなり店を出るなりする思考には至らない。

 垂れ目がちで甘めの顔立ちながら、セイタも見かけによらず荒事を好む性質だ。そうでなければ他人を脅かして金をもらう仕事なぞには就いていないし、そこそこ腕が立つだろう中年二人組に食って掛かりはしない。

 セイタとそう変わらない歳頃のバーテンダーが咳払いをした。ここで一悶着を起こすなという意味であることはわかったけれど。

「在籍してすぐに一つ二つ仕事任されたからって、調子に乗るなよ」

 二人組のうち、やたら頬骨と鰓が目立つ顔立ちの男が苛立ちを募らせるから、相手にしてもしなくても面倒なことには変わりないと、セイタは大きく息を吐いた。

 新参がちょっとした仕事を連続で任され、更に女連れで目の前に現れたことへのやっかみが八割、といったところか。

「新入りに僻むなんてダサ」

 心から面倒臭そうなセイタの言動に、骨張った顔の男が憮然とした様子で立ち上がる。煽っただけのつもりだったセイタは、喧嘩腰の様子を見せる男から女を庇うように立ち位置を変えながら、相手の動きを見極めるように目を細めた。

 と、その時だ。

 重いものが倒れ、ガラスが割れると共に、金属製の何かが床を転がる耳障りな音がして、その場にいる全員が息を呑んだ。降って湧いたようなノイズの根源を振り向いたセイタは、そこが店内最奥のボックス席だと気づく。そして、ゆらりと立ち上がった人影に竦んだ。

 百八十に届くかどうかという長身は無駄なく鍛えられていることがわかり、色素の薄い褐色の髪の下で三白眼が剣呑にこちらを見据えている。野生の獣が牙を剥いて威嚇するような殺気を孕み、視線だけで射殺されそうになる。

 背筋を伝ったのは冷や汗だ。自らの命も顧みず、荒事に首を突っ込むのが好きなセイタでさえ、肝が冷えるとはこういうことかと思う。

「ッせェんだよ、雑魚ども」

 鼓膜を震わせる声は地を這うように低い。

 先程の音は、声の主がボックス席のテーブルを蹴倒したせいで、アイスペールやグラスが落下して転がったものらしい。床に広がる惨状に、セイタを始め、見守る誰もが唾を飲み込む気配がした。

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