食べられるんだからしょうがない
◆【sideミヤ・リオンハート】
お父さんの剣は、速く、重い。辺境守護騎士になる前、冒険者だった頃に培った実用性重視の剣技は、まるで閃光のように眩く光る。
「うあ……っ!」
籠手に受けた衝撃を殺しきれず、私の小さな身体は尻もちをついてしまう。
そんな私を見下ろして、父はふうと一息吐いた。
「籠手で受ける判断はいい。だが正面から貰いすぎだ。体勢を崩しては元も子もないだろう。体格差のある相手なら、受け止めるよりも受け流すことを意識しろ」
「……はい!」
剣の修行を見てくれるお父さんは、屋敷の中で見せるような雰囲気とどこか違っていた。
普段は温厚で、お母さんに怒られてばかりなんだけど……稽古のときは別人のように真面目になる。
剣を握ったら人はこうなってしまうのかな。もしかしたら、私もお父さんと同じようにシンクの前で固い態度を取っていないだろうか。
そんな不安とともに、剣を握り直したところで——どこからか甘い匂いがしてきた。
……甘い匂い?
「お疲れ様、二人とも。デザート作ったから少し休憩しない?」
シンクだ。持っている小皿にはなにかが乗っている。匂いの元はあの料理だ。焦がした砂糖とシナモン、それからこれは……太陽の果実の匂いかな?
「なにをしていたかと思えば料理していたのか。すごいな、シンク。冒険者になったら美味い料理を作れる奴は少ないから、パーティを選び放題だぞ」
ふっと、お父さんの表情から力が抜ける。屋敷の中で見る、いつものお父さんだ。
「ちょっと。お父さん、褒めるより先に叱らないと。シンク、また一人で火を使っていたんじゃない?」
目を凝らさなくても、皿から上る湯気が見える。直前までフライパンで焼いていたのだろう。……どうやらシンクにとって、火を使うことは「危ないこと」に当てはまらないらしい。困った弟だ。
「いや、必要ないさ。ミヤもシンクも俺の子だからな。火遊びで火事なんか起こすわけないだろ」
言うまでもないことだけど、お父さんは親バカだ。5歳の子が火を持つ怖さなんて、7歳の私でも分かるというのに。
「もう。シンク、火を使うのは危ないことなの。周りに大人の人はいなかったでしょ?」
「あー……まあ、いるような、いなかったような……?」
シンクが歯切れの悪い返事を口にするときは、決まってばつが悪いときだ。
「火傷や怪我はしてなさそうね。本当にお姉ちゃんを心配させないで」
「俺は大丈夫だって。そんなことより、ほら冷めちゃうよ。食べて食べて」
悪食なシンクが人に食べ物を勧めることは滅多にない。彼が食べ物を誰かと分け合おうとする物は、大抵「とても美味しい」。シンク曰く「美味しい物は独り占めするより誰かと食べなきゃね」とのことだ。
悪い子じゃないんだけど、その優しさをもうちょっと常識にまわして欲しい。こと食事が絡むと周りが見えなくなるのはシンクの悪い癖た。
「まったく、調子がいいんだから。……じゃあ、一つ貰おうかな」
シンクほどではないにせよ、私だって美味しいものは食べたい。なにより、シンクが作った手料理だ。食べない理由なんてなかった。
皿の上の、茶色に焦げめの付いた太陽の果実に手を伸ばす——そして、それを取ろうとしたところでお父さんが私の手首を掴んだ。
「待つんだ、ミヤ。シンク、この食材は?」
「太陽の樹の果実だよ。余ってるみたいだから、エルフの森で何回か貰ってきちゃった」
シンクが無邪気な笑顔とともに口にした言葉。それを聞いたお父さんは、これ以上ないくらい顔を青くした。
「もう食べたのか!? 誰から受け取ったんだ!? ああくそ、ミヤ! お母さんを呼んでくれ!」
シンクが問題を起こすのはいつものこと。しかし、太陽の果実に限って言えば——その問題は、少し目に余るものだったのです。
◆
とある男の子が太陽の果実と呼ばれる果物をエルフの森から収穫した、その当日。エルフの森では、まさにそのことが噂となっていた。
「太陽の果実を収穫していた人間の子供がいる? ——なにを馬鹿なことを」
眉唾な話であった。魔法に精通するエルフでさえ、細心の注意を払って収穫に臨む太陽の果実を、ただの人間の子供が? 悠久の時を生きる彼女らは、初めはその噂を与太話として一蹴していた。
しかし、この日。その眉唾な噂話に真実味を帯びる情報が、エルフの女王の耳に入ることとなった。
「それが、樹海兵の報告によると幾つかの果実が何者かに収穫されていたようです。人間の子どもかどうかは定かではありませんが……」
女王、ソノレ・ナージャは「ふむ」と顎を撫でる。森の静謐さを湛えた玉座の上で、ソノレは思考を巡らせた。
500年を生きる彼女にとって、人がエルフの森に踏み込むことはままある出来事であった。しかし、太陽の樹より果実を収穫した、などという偉業は前代未聞である。
「一握のハイエルフでさえ収穫に難儀する果実を、人間の子どもが成し得たとは考えにくいが……樹海兵は目撃していないのか?」
「……噂が広まるまでは太陽の樹海内部の探索は行なっておりませんでした。マナの探知にはなにも反応がなく、外部から目視できる範囲での異常はなかったようです」
「となると、我々のマナ探知を掻い潜って、かつ果実を爆発させないでこの森を抜けた者がいることになるわけだが」
不可能だろう。自分にできるだろうか? 自問し、ソノレはすぐさま「否」と答えを出す。どれか一つならソノレでも難なく熟せるだろうが、複合的に噛み合った難題は、ハイエルフの彼女の実力をもってしても簡単には頷けないものだった。
「……仮にだ。人間がなんらかの方法で太陽の樹海に潜り込み、果実を手に入れたとして。その者の目的はなんだ? まさか食すわけではないだろう。あれは人間には劇物だぞ」
魔樹である太陽の樹、その果実はマナの塊である。また、生半可な生物の持つマナを焼く性質もあって、これを食べるのは一部のハイエルフだけであった。
収穫も命懸け、食べるのも命懸け。しかしリターンは大きい。己のマナを焼かれず、太陽の果実のマナを逆に取り込むことができれば、その者のマナの総量を大きく増やすことができるのだ。
ソノレは四度、この太陽の果実を食べることに成功している。しかし、食べられても100年に一度、それも全身に巡るマナを焼かれるという地獄を最低でも5年は耐えなければならないのだ。
そんな劇物を人間が食べるとどうなる? 文字通り、人間松明となるのは明白だった。
「……それが、その」
言い淀む侍女に、ソノレはなんとなく嫌な予感をひしひしと感じた。
「……食べたのか? 太陽の果実を」
「はい。樹海内部でこれらが発見されました……」
侍女が手に持つ、布に包まれたそれは太陽の果実の残骸であった。見事に果実の芯のみが残され、果肉はすべて齧り取られている。それが——なんと5つ。
「5つ!?!?」
「……まだ捜索中ですが、もっと大量に食べられた痕跡があるかもしれないとのことです。本当に人間の仕業なのでしょうか」
「は、はは。人間の形をした化け物だろうな。見よ、この歯形。よく見れば我々のものと似通っているが、少し小さい。つまりは子どもだろう」
森に住まうエルフの子どもが悪戯で食べた? ならば、その情報は己の耳に入るはず。ましてや5つも大量に食べたのだ。マナの侵食に耐えられないだろうし、複数犯であれば、なおのこと森の中で騒ぎとなっているはずた。
綺麗に齧り取られた太陽の果実を摘み、ソノレは冷や汗をかきなからも不敵に微笑んだ。
「疾くこの果実を食した者を見つけよ。外のハーフエルフどもを使っても構わん。ただし、傷一つ付けることは許さん。——もしもこの者が人間の男であった場合、その者は私の夫だ」
樹海兵を欺く隠蔽技術、太陽の果実を爆発させない、魔法の技術。なによりも太陽の果実をものともしない、壮健なマナに対する耐性。
マナと魔法に生涯を捧げるエルフにとって、これ以上の素養を持った伴侶はいない。女王ともなれば、なおさら操を捧げる相手に妥協などできなかった。
それが——それがついに。500年守り続けた貞操が報われる、その光明にさしものソノレ・ナージャと言えど恍惚の笑みを浮かべずにはいられなかったのだ。
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