採れたてよりも少し寝かせたほうが美味い
空は青く、空気は草花の匂いを運んでくる。足の裏は土を踏み締め、太陽の光は眩しくて温かい。
世界の広さに驚かされて、どれだけの時間が経ったのだろうか。あの牢獄に囚われた時間に比べればまだまだ少ないのに。断言しよう。今の俺は、この上なく幸せだった。
具体的にはそう——飯である。口に入るものがなんでも美味い。
俺は昨日のうちに森で見つけた収穫物を、庭の片隅で広げて満悦の笑みを浮かべた。
あのねっちょりした、なんとも言えない食感の、噛めばいいのか飲み込めばいいのかわからない何かじゃない。大きな木の枝から垂れていた、丸々と大きな黄金の果実だ。
手のひらに収まりきらない実に、台所から拝借した果物ナイフを突き立てる。割ってみれば金色の表皮からは想像もつかないほど、白く美しい中身が姿を現した。
一口、二口。あの吐き気がするほど食べさせられた、トウモロコシの味じゃない。ただ、それだけで俺は涙が溢れるほど嬉しかった。
「また食べてる……。お姉ちゃんのパンだけじゃ足りなかったの?」
「ふぁがっ!?」
取った獲物に夢中になっていたら、背後に近付いてきた何者かに気付けなかった。
長い銀髪を揺らしながら、呆れた様子で金色の瞳が「なにをしているの?」と俺を尋ねる。
ああ、これは隠し事なんてできないヤツだ。早々に観念して、俺は収穫物と得物を差し出した。
「美味しそうな果物が道に落ちてたから……つい」
これは嘘だけど。
姉、ミヤ・リオンハートは籠の中に積まれた10個ほどの果物を見て眉を顰めた。そりゃあ5歳児が運ぶには少々量が多いと思う。でも俺が日々の食事でどれだけ食べているのかを見ている姉さんからすれば、それほど不思議な数でもないだろう。
「ねえ。これってエルフの森に生えてる太陽の樹の果実よね? それが本当にここら辺に、それもこんな大量に落ちていたの?」
「……だ、誰かが落としたんだよ」
「ふぅん。シンクの目の前で果物を落とすなんて、お馬鹿さんがいるのね」
うへ、困ったな。もしかしなくても疑われているよね……。
◆【sideミヤ・リオンハート】
私、ミヤ・リオンハートには2つ下の弟がいる。それはそれは、食い意地の張った可愛い弟だ。
名前を、シンク・リオンハート。どんな子? と聞かれても一言で説明するのは難しい。朝はパンを5人分おかわりして、そのうえ私があげた分も平らげるような子だ。
いや、それだけじゃない。たらふく食べだ朝食だけでは飽き足らず、どこかに行ったかと思えば庭の隅っこで果物を並べては1人で頬張っているほどだ。
いつの間に、そしてどこにあれだけの量の果物を貯めていたのか。疑問よりも驚きが勝ったのは言うまでもない。可愛いことに変わりはないけど……シンクに持つ印象は「大食い」だった。
あとは、そう。食事のこととなると我慢をすることができず、よく下手な可愛い嘘を吐くということくらい。
「どうやって取ってきたの」と聞いても、バレバレの嘘を吐くに決まっている。聞き方を少し変えてみようかな。
「その実って一部のエルフしか口にできないんだけど、なんでだか分かる?」
「……どうして?」
「太陽の樹は魔樹と呼ばれる植物の仲間なの。その実を取るのは特に魔力のコントロールに秀でたエルフだけが取れるもので、普通の人間が無茶をすると……」
「すると?」
「ボン! ってね。枝になっている実を下手に刺激をすると大爆発するの」
どう? 怖いでしょ。なんて、少し意地悪で脅かしてみたのだけれど。
「そうなの? 割とあっさり取れたけど」
……ちょっと脅かすつもりだったのに。どうやらお間抜けさんは見つかったみたい。
「あれ。それって道に落ちていたのを拾ったんじゃなかったの?」
少しの、間。ただ、前後の会話にある食い違いを指摘しただけなのに、シンクの目は分かりやすく左右に動いていた。
「えっとぉ……。枝に付いたまま落ちていたんだよ」
「……」
「ほ、本当だよ」
うーん、ことと次第によってはお母さんに相談したほうがいいかも。
5歳になってから、シンクはとっても動き回るようになった。「危ないから」とずっと屋敷の中で遊ぶだけだったから、かなり窮屈だったのかな。
まるで、今まで屋敷の中に閉じこめられていた、と言わんばかりの活発さだった。……屋敷の中にいた頃も厨房につまみ食いをしようとしたり、訪問客に出す予定だったクッキーを盗み食いしたりと、食べ物が絡むと積極的になったけど。
それがまさか、少し目を離した隙にエルフの森まで歩いていくなんて。私、シンクより2つ年上だけど、馬車に乗らずにエルフの森まで行ける自信はない。
「……もう。このことはお母さんに黙っておいてあげるから、危ないことはしないでね」
あのエルフでさえ、毎年何人もの死者を出す危険物だ。収穫してしまえばただの果物なのだけど、その危険性から市場に出回ることはまずない。
きっと優しいエルフにお裾分けしてもらったのだろう。「エルフは魔法に毒された連中だから見かけても近づくな」とお父さんにきつく言われているはずだけど、食事が絡んだシンクが言いつけ程度で止まるはずがない。
「はーい。でも、ミヤ姉こそ修行で大変なんでしょ? あんまり無理しちゃダメだよ」
無理。その一言ともに小さな金色の瞳が心配そうに私をみている。
その直接の原因は、きっとお父さんだろう。
辺境守護騎士である父、ロイド・リオンハートは剣術に対して厳格な人だ。もっと言えば一代でリオンハート流を完成させた天才であると同時に、根っからの魔法嫌い。
7歳の私にも分かるくらい、お父さんは他の剣士とは別格の強さを持っていた。ここ、バニラ辺境伯領の安全は、お父さんの存在が大きいと言っても過言ではない。
そんなお父さんが娘の私に求めたのは——強さだった。
「お前は天才だ」と、天才であるお父さんは私をそう褒める。
でも、その修練は日々辛くなっていく。生傷が絶えない日々に、手のひらには剣ダコ。指の形は分かりやすく堅くなっていった。
「無理しているように見える?」
そのところ、私は私自身がわからない。無理をしているのだろうか。確かに疲れるし、修行は辛いことが多いけれど。
「ううん。なんていうか……雰囲気が鋭くなった、って感じ」
7歳から始めた剣の修行だけど、シンクから見ると私にほんの少し変化があったらしい。
「剣の修行をするお姉ちゃんは嫌い?」
「まさか。どんなミヤ姉も大好きだよ」
そう言って、シンクは微笑む。
……きっと無自覚で言っているんだろうけれど。私の弟、少し女誑しのケがあるかもしれない。
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