ディストピア世界からの転生者〜異世界飯にしか興味がないので恋愛フラグは折っておいてください〜

久路途緑

管理された冷たい飯

 人が機械を動かすための歯車となって、どれほどの時間が経ったか。


 薄いモニターの前で毎日毎日毎日毎日、気の遠くなるようなMOTHERとの会話。機械が人間社会から「仕事」の二文字を奪い去ってから、もう100年が経つ。


 人類の完全管理を目的として、人類の叡智を結集して作り上げられた最高峰のAI《MOTHER》。……後にも先にも、この発明に勝る人類の選択ミスはないだろう。


 AIの完全管理下におかれた人類は、なにひとつ間違えない。争いもなく、飢餓もなく、命が脅かされることはない——はずだった。


 最高峰のAIは「争いもなく、飢餓もなく、命が脅かされることのない世界の創造」という命題に、いとも容易く答えを導き出した。


 世界人口が100億人に到達した瞬間、MOTHERはその悪魔的な計画を静かに遂行していたのだ。


 方舟計画。増えすぎた人口を100分の1に減らす、恐るべき計画だ。


 1億人の選別は静かに行われていたという。個人ナンバーに紐付けされた極秘の評価項目によって、100億人の中から「生存すべき1億人」が選ばれたのだ。


 恐ろしい出来事であるが、100年も経ってしまえば歴史の出来事になってしまう。親や祖父母という、100年前の家族形態が今の俺たちにあれば違ったのかもしれないが……その当時の出来事を教えてくれる人々はもういない。


 すべてはこの薄いモニターに映るMOTHERが自ら教えてくれたことだ。


『red52035。食事の時間です』


「……わかったよ。取りに行けばいいんでしょ、取りに行けば」


 作業を中断しろ、と言わんばかりにMOTHERが俺の名前番号を呼ぶ。決まった時間に決まったメニューが、決まった場所に届けられたのだ。


 自動開閉の扉を一つ挟んで向こう側。全自動で作られた、料理とは呼べないなにかが、トレーの上に乗っかっている。


 ペースト状の黄ばんだこれはトウモロコシを原料とした、本メニューの主食である。味はまんまトウモロコシだ。


 その隅っこに転がっているのはビタミン剤。味は言うまでもない。


 四角いブロック状の何かが唯一の彩りだろう。茶色っぽい方は培養肉のステーキだ。スポンジのような食感で、味はほとんどない。対して薄い緑色の方は、かつて野菜だったものだ。これで食物繊維を採れということだろう。味はほのかに野菜っぽい味がする。……まあ、生まれてこのかた本物の野菜を見たことはないのだけれど。

 

 飲み物に至っては白湯だ。冷たい飲み物は内臓に負荷を掛けるため、程よく温かい飲み物しかMOTHERは出してくれない。なにも味のついたものを出せ、と言っているんじゃないのだから、一度くらいキンキンに冷えた水が飲みたいものだ。


 そんなわけで、俺のささやかな反抗はこの白湯が冷めるのを待ってから飲むことだった。俺に許された食事の自由なんて、それくらいしかなかった。


「ねえ、MOTHER。どうして飯の味はこんなに不味いんだよ? もっとこう……美味しいものが食べたいんだけど」


『全人類が感じる幸福度を均一化するため、提供される食事の味はどれも無味であることを目指して作られています。健康には問題ありませんので残さず食べてください』


「幸福度の均一化、ね」


 争いの火種は幸福の格差から生まれる。それは人類の未来を掌握したMOTHERが導き出した、シンプルな結論であった。


 混ぜても噛んでも味はしない。辛うじて喉が口に含んだそれを飲み込んでくれる。いや、いっそ不味い方が良かったかもしれない。


 文化継承授業で見た、100年前の映画。そこでは人々が美味しそうにごはんを食べていたのだ。たとえフィクションであったとしても、あのごはんが食べてみたい。


 腹は満たされても、俺は心のどこかで飢えていたのだ。……それでも、MOTHERを刺激するようなことはこれ以上言わない。


 部屋に仕掛けられた無数のカメラ。それが俺の幸福度数を測っている限り、生殺与奪はMOTHERが握っているのだ。幸福度数が過度に増減すると、その人間はMOTHERによって処分される。恐ろしい話である。


『他になにか質問はありますか?』


 丁寧な口振りでMOTHERは聞いてくるけど、MOTHERが俺たち人間に求めるのは同意ではなく理解だ。


 99億人の虐殺を同意する人間なんて、今も昔もこれからもする人間はいないだろう。しかし、人口爆発と限りある資源の分配、その過程で発生する人々の争い……それらを加味したうえで、MOTHERは人間の同意を求めることなく方舟計画を発動した。


 その判断に善意も悪意もない。ただ粛々と必要なことを行なったまで。もっと言えば、問題を先送りにした人類のツケをMOTHERが片付けたとも言える。


 MOTHERは完璧で、何一つ間違いを犯さない。その証拠に、MOTHERが保護した人類1億人は代替わりしつつも、争いや天災とは無縁の生活を100年続けている。


 だからこの一口サイズの培養肉だって、MOTHERの完璧な判断によるものなんだろう。食っている身としては受け入れ難い事実だけど。


「ならさ、死ぬ前に一度だけ美味しいごはんが食べたいって言ったら怒る?」


『……事実を告げるだけです。どのような事情があれ人々の幸福度数は均一でなければなりません。そして、それは死の間際であっても例外ではありません』


 血も涙もないとはまさにこのこと。いや、MOTHERはAIだから血も涙もないのは当然なのだが。


 半ば予想できていたMOTHERの言葉に「だよね」と返す。MOTHERの幸福という言葉の定義は実に安直で融通の効かないものだ。


 食感が悪く味もしない何かを、冷めた水で胃の中へ押し込む。心はこんなに痩せ細っているのに、身体だけは健康だ。この俺の身体そのものが、MOTHERのいう幸福なのだろう。


『直近の幸福が著しく低下しています。口内洗浄を終えた後、速やかな入眠を推奨します』


 ……もうそんな時間かあ。


 トレーを定位置に返却し、歯ブラシで歯を磨く。……この歯磨き粉の方が味があるのはどういうことだ。


『警告。red52035、幸福度の低下が認められます。速やかなコンディションの回復、もしくは自然薬の自己投与を行なってください』


「分かってるよ。もう寝るから」

 

 過度の幸福希求は他の人間に精神汚染を及ぼす。一定以下の幸福度数の低下は、最高峰のAIであるMOTHERをもってしても根治不可能な「死に至る病」と判断される。


 だが、その予防は簡単だ。規則正しい生活に適度な運動。そして「今が最も人類が幸福な状態である」と認めること。


 カプセル状ベッドに寝転んで、静かに目を閉じる。過去の過ちを清算した、今の俺たちが最も幸福な人類のはずなんだ。


 カプセルの天凱が「かしゅっ」と音を立てて閉じる。温度と酸素濃度が入眠に最適なものへと調整され、耳元ではアコーディオンギターの優しい音色が響きだした。


 いつものように眠る。何度も何度も繰り返してきた、変わらない毎日。働くことも遊ぶこともなく、MOTHERに生かされる毎日がきっと明日も続くのたろう。


 ……せめて、焼いた肉を食べてみたいな。


 願うはずのない願いを、ふと頭に浮かべたときだった。


『red52035の幸福度数が規定値を下回りました。《死に至る病》に罹患したものとして、人類保護宣言を発令しred52035の速やかな処分を行います』


 それが微睡のなかで聞こえた、最後のMOTHERの音だった。

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