第75話 最愛の声
仕事を終えてシアーズ侯爵家主催の夜会に来たララは、二人の令嬢と話をしていた。
「では、ララ様のお化粧とヘアアレンジはジャスパー様が?」
口元に手を当てて感嘆の声を漏らしたのは、昔ララが失神させた女性、ロレッタ・ペレス伯爵令嬢。
「編み込みも美しいですし、アクセサリーの配置もセンスの
編みおろしたララの髪をしげしげと観察するのは、ロレッタの友人、ナタリー・ヴァイゲル伯爵令嬢だ。
「ふふっ、あとでジャスパーに伝えておきますね。褒めていただいたと知ったら喜ぶと思います」
本気を出したジャスパーの技術は凄まじく、ララ自身も鏡を見て驚くほどの仕上がりだった。
話題の中心である彼は、少し離れた場所で年上の貴族たちに囲まれている。昨日の倉庫捜索について聞かれているようだ。
時折「だからまだ秘密だって言ってんでしょ! もう解散!」という声が聞こえてくるが、解散はできていない。
その様子が面白くてララが肩を揺らすと、ロレッタとナタリーは徐々に表情を曇らせ、最終的に半泣きになった。
「こんなに可愛らしい方を、十年間も誤解で怖がり続けていたなんてっ……!」
「噂を広めるようなことをして、本当に申し訳ございませんでした!」
「え、いや、あの。その件については、以前お話しした通りですので」
二人は前回の夜会の翌日、捜査局まで謝罪に来てくれたのだ。カルマンの噓話を信じ、ララを
ララにもまた、罪悪感があった。カルマンに打たれた痣を、上手く隠しきれていなかったことである。事実ロレッタは、顔の痣を見た恐怖で失神したのだ。
周りに助けを求められなかったララと、相手をよく知ろうとしなかったロレッタとナタリー。どちらかではなく、どちらも悪かった。そこで、互いに謝罪し、許し合うことにしたのだ。
「謝罪は終わりにして、その……これからも、仲良くしていただけると嬉しいです」
勇気を出して伝えると、ロレッタとナタリーに手をとられた。
「こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」
「今度我が家で少人数のお茶会を開きますので、ぜひいらしてください。たくさんお話ししたいです!」
瞳をきらきらさせる二人に、ララは頬を染めて頷いた。
その後もお喋りをしていると、ダンスの伴奏が始まった。ロレッタとナタリーは婚約者と踊るらしい。三人は手を振って別れた。
壁際に寄ろうと思い、歩き出した時だった。
「そこの目立ちすぎなお嬢さん。一人で動いちゃダメっすよ」
ウエイターに空のグラスを渡したフロイドが近寄ってきた。
「あれ? どなたとも踊っていらっしゃらないのですか?」
どう見ても周りにはフロイドと踊りたそうな令嬢がわんさかいる。
「踊りませんよ。捜査官だからって理由で招待してもらえるのはありがたいんすけど、こういう場はどうにも……。そもそも今日の俺はララさんの見張り役なんで」
風変わりな行動をとると思われているのだろうか。ララが小首を傾げると、フロイドは意味ありげに片方の口角を上げた。
「まあこれだけ局長色に包まれてたら、ダンスの申し込みにくる猛者は目が青い男だけでしょうけど」
自分のドレスに視線を落とす。光沢があるクリーム色のサテンの上に、水色、青色、薄紫色のレースとオーガンジーが何層にも重なっている。ララの想いが表れたドレスだ。
「イヤーカフも局長のなんすね」
「はい。今日だけは公の場でつけるのを許してもらおうと思いまして」
どうしてもテオドールと夜会に来た気分を味わいたかったのだ。左耳につけた金色のイヤーカフを撫でる。ひんやりとしていて気持ちが良い。
「マジで幸せもんっすよ。あの人は」
フロイドは一度目を細めた後、ぱちっと開いた。「おっ」と声を漏らして――、
「小さなご友人がいらっしゃったみたいですよ」
意味を理解したララは後ろを見る。そこにはシアーズ侯爵夫人と手を繋いだアンジーの姿があった。
「ララさま!」
レモン色のドレスを着た彼女は、お人形のように愛らしい。
アンジーはララの前で立ち止まると、カーテシーを披露してくれた。練習してきてくれたようだ。
彼女の隣では、夫人が愛おしそうに見守っている。
「ごめんなさいね。子供は連れて行けないと言ったのだけど」
アンジーが渾身のおねだりをしたため、夜会への参加を許したらしい。自分と会うためにわがままを言ってくれたかと思うと、頬が緩んでしまう。
「またお会いできて嬉しいです。アンジー様はリボンがお好きなのですか? 前にお会いした時は靴についていた記憶があるのですが、今日のドレスも素敵ですね」
アンジーのドレスには、ウエスト部分に大きなリボンの飾りが施されていた。
「はい! お父さまとお母さまがかわいいと言ってくださるので大好きです」
にこにこしながらリボンを広げて見せてくれるアンジー。愛くるしい。悩ましいほどに。おそらくアンジーが着たものであれば、彼女の両親はなんでも褒めるだろう。
夫人が小声で「明日商人を呼ばないと」とつぶやいた後、こちらを見る。
「先日は本当にありがとう。オルティス伯爵令嬢のおかげで家族仲が深まったわ。アンジーの服装を言い当てられた時は驚いちゃったけど」
「霊の存在と私の体質を信じていただくには、あの方法が一番かと」
「確かに疑いようがなかったわ。靴も含めてアンジーが気に入っているものだったし。霊っていうのは思い入れの強い服を着るものなのかしら?」
「どうなんでしょう? 私が見た限りでは……」
今まで出会った霊の姿を思い出そうとしていると、アンジーが期待に満ちた表情を向けてきた。
「わたしと同じような、リボンがついた靴を履いていらっしゃる方はいましたか?」
「えーっと……」
(リボンがついた靴、かぁ)
誰か履いていただろうか。ララは記憶を呼び起こしながら口を尖らせ、天井を見上げる。
メルホルンの町で出会ったサーシャは、白いブラウスにエプロン姿で……靴までは覚えていない。
カルマンに憑いていた幽霊少年はアイボリーのシャツとグレーのパンツで……残念ながら、こちらも靴は分からない。
他の霊はどうだっただろう、と考え始め、ここでやっとおかしいと気付いた。
ララは真顔になり、黙り込む。眉を寄せたフロイドが声をかけてきた。
「どうしたんすか?」
「靴を……見た覚えが、ありません」
記憶にないのではない。見ていないのだ。サーシャも幽霊少年も他の霊も、足元が見えなかった。
「ん? シアーズ侯爵令嬢の時は見えたんすよね?」
「見えました。ですが基本的に、霊の足は透けていたんです。靴が見えたのは、あと一人」
テオドールだけだ。
「革靴を履いていらっしゃった点はアンジー様と同じですが、お二人は年齢も性別も違います」
アンジーとテオドールには、他の共通点があるのだろうか。
フロイドにも意見を聞いてみよう、と視線を移す。すると彼はこちらを凝視したまま、瞳を落っことしそうなほど目を見開いていた。
「ララさん、イヤーカフが……銀色に」
「え?」
反射的に左耳に触れる。
――ジー、ジジッ。
息を呑んだ。起動しないはずのイヤーカフが、受信音を鳴らしたから。
かすかに風をきる音が聞こえる。馬が駆ける
そんなはずはない。ありえない。そう思っているのに、無意識にドレスの裾を持ち上げていた。大広間の入り口に視線を向ける。
ばくばくと鳴る心臓の音がうるさい。だがララの耳は、確実に最愛の声を拾った。
『……――短い別れだったな』
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