第63話 夜会と呪われた令嬢(7)

(なぜ、あなたが……)


 疑問を抱いたのはカルマンも同じだったようだ。


「お前、どういうつもりだ」


 聞かれても、ハンスは無言で映像を流し続ける。


『あの女、この十年間で私に何度打たれても、誰にも言わなかったんだからな』

『お前も見ていただろう? 周りから怯えられる姿が実に滑稽こっけいだった。臆病で愚かな令嬢が失神してくれたおかげで、あの女はさらに孤立した』

『私をこんな目にあわせたんだ。捜査官なんて続けられないくらいに痛めつけてやるさ』


 ひどい内容だ。周囲の者たちが青ざめ、信じられないとでも言うようにララとカルマンを見る。

 カフスボタンの記録は改ざんが不可能。間違いなく、カルマンの発言だということだ。


 ララは映像の中のカルマンが言った『こんな目にあわせた』の部分が引っかかった。身に覚えがない。だがカルマンが自分を連れ出し、昔のように痛めつけるつもりだったのは明白。


(カルマン卿は、何に怒っていらっしゃるの?)

 

 あっけなく化けの皮が剝がれたカルマンは、わなわなと震える。皆が様子をうかがう中で、彼に声をかけたのはハンスだった。


「あんた、これでもララに暴力振るってないって言えるわけ?」


 違う。容姿と声は老齢のハンスだが、口調が彼ではない。

 ララはハンスの襟元に、ひっそりとつけられたタイピンを見つけた。あれは世界に一つしかない。ララがのために、一発芸用に作ったものだ。


「…………ジャスパー?」


 鳥の囁きよりも小さな声だったが、彼は振り向いた。

 カフスボタンの機能を停止し、右手で自分の顎辺りの皮を掴む。……そう、掴んだのだ。周囲から短い悲鳴声が上がる中、彼は顔の皮を剥がした。

 皮だと思われたものは、よくできた被り物だった。白髪頭の下から現れたのは、後ろに撫でつけられた目を引く赤髪。


 全てが華やかなその男は、まぎれもなくララの親友、ジャスパー・フォードだった。

 

「遊びに来ちゃった」


 これはどういう状況なのだろう。

 ハンスがカルマンの発言を記録していて、なぜかと思えばハンスはジャスパーで、遊びに来たと言っている。でもジャスパーには全ての事情を話せていなくて。そもそもジャスパーが変装できるなんて聞いたことが……、本物のハンスはどこだろうか。

 ララは思考を放棄し、ハンス探しを始めた。


「彼なら安全な場所でかくまってるわ」

「そうなのですか」

「カルマンゴミクズ野郎に弱みを握られてたみたいだけど、それも仕組まれたものだったから。……ララに伝えてくれってさ。『貴方様をお救いする勇気がなく、申し訳ございません』だって」

「彼が謝る必要なんてないのに」

「ララなら絶対そう言うと思って、先に伝えておいたわ」

「仕事が早いですね」


 呑気にくすくすと笑うララの声を遮ったのは、冷静さを取り戻したカルマンだった。


「開発局のジャスパー・フォード……。貴方がハンスを連れ去ったのですか」

「記憶力だけじゃなくて耳も悪いのね。かくまってるって言ったでしょ。ダメじゃない。自分の従者が入れ替わったことくらい、すぐに気付かなくちゃ」

「……念のためにお聞きしますが、あの記録は貴方がとったのですか」

「そうよ」

「では証拠にはなりませんね。記録用魔道具の使用は捜査官の特権のはずです。開発局員の貴方が使い方を知っているのは当然ですが、公に使うことは禁止されています」


 カルマンはジャスパーを責め立てる。よほどあの映像を認めたくないのだろう。

 言っていることは正しい。捜査官以外が記録用魔道具を使うことは処罰の対象である。だがそんな常識を、ジャスパーが知らないはずがないのだ。

 だからララは、気付いてしまった。


「いつから、ですか?」


 震える声で聞くと、ジャスパーは困ったように笑った。


「最初からよ」


 ララはジャスパーの言葉を、頭の中で反芻はんすうする。最初から。

 初めて出会った時からずっと、――彼は開発局員ではなかったのだ。

 ジャスパーはカルマンを無視し、真面目な表情でララの目の前にひざまずいた。こんな彼の姿は、初めて見る。


「親愛なるララ・オルティス伯爵令嬢。あたしは王立犯罪捜査局、副局長兼、諜報部隊隊長、ジャスパー・フォードよ」


 思わぬ大物の登場が、広間の人々を混乱に落としれた。

 目を閉じたララの頭の中で、今日までの出来事が繋がっていく。

 テオドールの親友でもあるジャスパー。配達員として、入館証もなしに王城の様々な場所に出入りできるジャスパー。人から好かれ、どこにいても話しかけられるジャスパー。……情報収集。これが彼の役割だったのか。

 理解したララはカッと目を開け、立ち上がったジャスパーの肩を揺さぶった。


「あ、あなた! こんな場所でそんな重要なことを話しても大丈夫なのですか⁉︎」


 諜報部隊ということは、王城の膿み出しに貢献したに違いない。大勢の前で「ボクが全ての情報を握っています」と告白して、襲われたりしないのだろうか。

 ジャスパーを背に庇い、慌てて刺客がいないか確認する。危険な状況かもしれないのに、ジャスパーは別のことで困惑していた。


「怒ってないの?」

「怒る理由がありません」

「だってあたし、何年もララに嘘を――」

「ジャスパー。それは嘘ではありませんよ」


 ララが捜査局に入って、一ヶ月半。その間、テオドールは一度もジャスパーが捜査官だと言わなかった。

 ジャスパーについて話すことは、彼への裏切りだったのだろう。テオドールにそうさせるほど、ジャスパーは覚悟を決めて生きていた。


「あなたは戦っていたのでしょう?」


 孤独だったはずだ。時には本心を隠すこともあっただろう。ジャスパーが国のために背負ったものは計り知れない。本来なら自分とジャスパーは、住む世界が違った。

 それでも、表情豊かなジャスパーが好きだ。ウインクをしてくるジャスパーが好きだ。ゴーグルを首からぶら下げて台車を押すジャスパーが好きだ。


「捜査局と開発局、どちらもあるから、私と『仲良し』のあなたなのでしょう?」


 嘘をつかれたとは思わない。どんな彼も否定しない。共に過ごした時間を、信じているから。

 ララが顔をほころばせると、ジャスパーは撫でつけた髪を雑に乱し、ハーフアップに結び直した。


「これだからララの『仲良し』は、やめられないのよね」


 ジャスパーの笑顔は、いつも以上に晴れやかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る