第64話 夜会と呪われた令嬢(8)

「――で、あなたの所属を言ってしまった件は大丈夫なのですか?」


 捜査官だと発表した以上、今後ジャスパーは警戒されるはずだ。任務に支障はないのだろうか。


「テオの件があって、どうせ表に出なきゃいけなかったの。それに潜入してるのはあたしだけじゃないしね」


 成り行きを見守っていたテオドールをちらっと見上げると、「そういうことだ」と返ってきた。捜査局については心配いらないらしい。


 テオドールの表情に余裕があることから、今回の件がジャスパー単独の行動ではないと察した。

 捜査官たちは人目の多い場所でカルマンの本性を暴く気だったのだ。ヒューゴがやたらと夜会に参加させたがったのはその為だろう。


(ジャスパーのことは話せないとしても、カルマン卿がいらっしゃることくらい事前に教えてくれても良いのに)


 口を尖らせてテオドールに抗議する。


「事前に知らせてたら、緊張して任務どころじゃなくなるだろ?」


 くそぅ、おっしゃる通りだ。


「それに……ドレスを着た君の顔が、あの男のせいで曇るなんて許せないだろ」


「俺は心が狭いんだ」と、テオドールがそっぽを向く。……なんだそれは。普段は涼しい顔で人を褒め殺すくせに、こんな時だけ恥ずかしがるのはずるくないだろうか。


 困る。参った。助けてほしい。

 自分より年上の男性が、可愛く見える。


(どうしよう。やっぱり私、変だ……)

 

 これ以上テオドールを見続けるのは心臓への負担が大きい。ララは頬に熱が集まるのを感じながら、ジャスパーとの会話に戻った。


「ジャ、ジャスパーが捜査官だったということは、先ほどの記録は正式なものとして扱えるわけですね」

「その通り。こいつが嘘の噂を流してたことも、ララが被害者だってことも証明されたわ。ねぇあんた、そろそろ諦めて床でも舐めたら?」


 カルマンに対して容赦がない。けれども誰も、ジャスパーの発言をとがめなかった。

 味方がいないと理解したのか、カルマンは後ずさる。

 自分はこんなに小さい人間の、どこを恐れていたのだろう。


「……ふざけるな。被害者は私の方だ」


 カルマンの口調が変わるのは、決まって余裕がない時だ。

 彼はこれを見ろとでも言わんばかりに、乱暴に襟元を緩める。露わになった首を見て、周囲から引きつったような悲鳴があがった。

 ララも声を出しそうだったが、両手で口元を覆い、耐える。


(あれは何?……痣?)

 

 ララがカルマンにつけられたものより遥かに禍々まがまがしい。この世のけがれを詰め込んだような色の痣に、カルマンの首は覆われている。


 誰につけられたのだろう。痛みはあるのだろうか。

 改めてカルマンの顔を注意深く見ると、目の下辺りに化粧が施されている。位置から考えるに、クマを隠すためのようだ。

 無言で観察を続けていると、突然目の前にテオドールの顔が現れた。


「見すぎだ」


 不機嫌丸出しな青い瞳にとらえられ、とっさに体をのけ反らせる。彼の距離が近いのはいつものことなのに、恥ずかしくて涙腺が刺激される。


「え、泣くほど痣が怖いのか? アルについた返り血は平気だったのに」


 こんの鈍感局長め。普段の察しの良さはどこに行った。

 脳内で文句を言わねば、ララは羞恥で溶けてしまいそうだった。カルマンがこちらに向かって声を荒げているようだが、テオドールの方に神経が集中しており、ほとんど聞いていなかった。


「この女のせいだ。この女のせいで私は!」

「アンタの痣が、どうしてララのせいなのよ」


 冷めた声でジャスパーが返せば、ヒューゴとアルバートがカルマンの首をまじまじと見つめる。


「誰が見ても、ララさんは無実だと分かるはずですが」

「濡れ衣だよねぇ。みんなもそう思うでしょ?」


 周囲の者は皆、アルバートの問いに頷いた。ララのせいにするのは無理がある。なぜならカルマンの首についた痣は、明らかに子供の手形だからだ。


「私の手は、子供ほど小さくありません」

「そんなことは分かっている! だが君があいつをそそのかしたんだ」

「あいつ?」


 眉をひそめるララに、カルマンは夢の話を始めた。毎晩子供に首を絞められ、目を覚ますと痣が増えているらしい。


 夢に現れるのは他国の少年。濃紺の髪と瞳。印象的な目元のほくろ。足元は透けていて見えないが、アイボリーのシャツとグレーのパンツを着用している。

 カルマンが特徴を挙げる度、ララの確信は強くなった。


(……あなたですか)


 カルマンの右上を見ると、特徴が合致する人物と目が合った。十年間仲良くしていた幽霊少年である。

 会えなかったひと月半で、カルマンの体に影響を及ぼせるようになるとは。霊の成長に驚かされる。

 

(もしかして私が婚約破棄されたから、代わりに怒ってくださったのでは?)

 

 この場合、自分が唆したことになるのだろうか。優しい彼にとんでもないことをさせてしまったかもしれない。


 罪悪感が芽生えそうになったララの元に、幽霊少年が飛んできた。彼はにこっと目を細め、首を横に振る。最後に会った日と違い、話はできないようだ。だが、『お嬢さんのせいじゃない』と言われた気がした。


 彼は何のためにカルマンの夢に現れるのだろう。困りごとがあるのなら、力になりたい。

 幽霊少年は彼自身を指さした状態で、大きく口を動かした。声が出ていなくとも、短い言葉なら理解できる。


 ――話して。

 それが彼の望みらしい。カルマンに自分のことを知ってほしいようだ。

 お任せください、とララは頷く。カルマンへの恐怖心を克服した今なら、そのくらいお安い御用だ。


「カルマン卿は勘違いをしておられます」

「……勘違い?」

「確かにカルマン卿の痣は、霊の力によるものです。ですが、私は霊を唆したりしていません。彼らは自分の意思で行動します」

「冗談はやめろ。呪われた君が――」

「それです」

「は?」

「あなたの勘違いは、なのです」


 ララ・オルティスが呪われているという噂は、カルマンがでっち上げたものだ。実際のところ、ララは霊に害されたことがない。人間の方が怖いと感じるくらいには、霊と友好関係を築いている。

 一方、カルマンは――。

 

「以前からお伝えしなくてはと思っていたのですが……実はカルマン卿は、信じられないくらい多くの霊に取り憑かれていまして」

「…………は?」

「今も体に三名絡みついていらっしゃいますし、とにかく規格外なのです。霊の雰囲気も、普通とは一味も二味も違いまして」

 

 婚約中は、ララが自由に発言することは許されなかった。それに比べて今は自由だ。正直に話せるって素晴らしい。つい饒舌じょうぜつになってしまう。


「なんと言うのでしょう。一般的な霊が白い空気をまとっているとするならば、カルマン卿に憑いていらっしゃる霊はドス黒いのです。それも、あなたのそばにいる時限定で、です。おそらくあなたは、彼らにとって特別な存在なのでしょう」

「ま、待て」

「要するに」

「やめろ」


(十年間言えなかったことを、やっと伝えられる)

 

「呪われているのは、あなたです」


 ミトス王国に噂を流すとするならば、正しくはこうなのだ。

 ――チェスター・カルマンは呪われている。


「この女、適当なことを!」

 

 静まりかえった広間にカルマンの怒声が響いた。彼は目を血走らせ、拳を振り上げる。何度も見てきた光景だ。


 まさか人前で襲いかかってくるとは。驚きはしたが、恐ろしくはなかった。

 事実を話せて満足した。あとは半透明な彼に託そう。


「――ララ。交代だ」

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