第58話 夜会と呪われた令嬢(2.5)【カルマン視点】

 時はさかのぼり、シアーズ侯爵家主催の夜会が始まる二時間前――。


 チェスター・カルマンは気だるい体を無理やり動かし、夜会に行く準備を整えていた。


「オルティス伯爵令嬢が夜会に参加するという情報に間違いはないだろうな」

「はい。間違いありません」


 ハンスが頭を下げて答えた。身の回りの世話以外は何もできない老いぼれだと思っていたが、今回だけは役に立った。手紙の返事を寄越さないララ・オルティスが、公の場に現れるという情報を掴んできたのだ。


「一刻も早く捕まえて、あの女が知っていることを吐かせなくては」


 焦りが滲んだ声で、早口に言う。

 いまだに悪夢は続いていた。得体の知れない何かが自分の体をむしばんでいる。カルマンはそっと首に触れた。


 ララの呪いの噂は自分が流したもので、事実とは異なる。彼女に力はない。そう思っていたため、最初は悪夢と彼女の関わりについて半信半疑だった。しかしこのひと月半で、カルマンは呪いとしか表現できないものの恐怖を味わっていた。

 夢に現れる子供が度々言うのだ。


『お嬢さんとの約束を破らなければ、情けをかけてやったのに』と。


 あの声が頭から離れない。カルマンの首を絞めては緩め、絞めては緩め。それを繰り返す小さな手の感触が、目が覚めた後も消えないのだ。

 悪夢が始まった時期といい、子供の動機といい、ララが関わっているとしか考えられない。彼女は呪う力を隠していた。そして自分に復讐をしている。


「あの女自体は弱いんだ。会えさえすれば、力づくで解呪方法を吐かせられる」


 自分とララが元婚約者であることは周知の事実だ。――呪われた令嬢と十年も婚約を続けてやった、心優しいチェスター・カルマン。

 円満に婚約を解消したという話を信じている者も多い。捜査官として活躍し始めた彼女と久しぶりに話をしたいと言っても不自然には思われないだろう。夜会から連れ出せば、こちらのものだ。

 今夜決着をつけようと目論むカルマンに、頭を上げたハンスが問う。


「彼女へ謝罪はされないのですか」


 以前にも同じ会話を交わしたと言うのに、まだ懲りていないらしい。


「くどいぞ。謝罪などしなくても、オルティス伯爵令嬢は私に逆らえない」

「そうなるように追い詰めてこられたから、ですか」

「ああ。現に私があの女に手を上げていたことは伏せられたままだ。婚約破棄された意趣返しのつもりで呪いをかけたのだろうが、私の顔を見れば何もできない。あの女、この十年間で私に何度打たれても、誰にも言わなかったんだからな」


 たとえ告げ口されたとしても、揉み消すのは容易だった。けれども彼女が一度も言わなかったため、その手間すら掛からなかった。


「初めて顔を打った時はさすがにひやりとしたが、あの時でさえ親にも相談していなかった。見放されていて助けを求められなかっただけかもしれないがな。……私の命令通りにヴェールで顔を隠し、我が家主催のパーティーに参加していたよ。お前も見ていただろう? 周りから怯えられる姿が実に滑稽こっけいだった。臆病で愚かな令嬢が失神してくれたおかげで、あの女はさらに孤立した」


 仮にララが過去の話を広めようとしたところで、証拠がない。捜査官が数人味方についていたとしても、証拠がなければお手上げだろう。いくらでも言い逃れられる。


「私をこんな目にあわせたんだ。捜査官なんて続けられないくらいに痛めつけてやるさ」


 そうだ。今日が終われば呪いから解放される。今まで通り、しいたげる側に戻れるのだ。


「私は関係者に顔を見せたら、休憩室で休んでいる。お前はオルティス伯爵令嬢を見つけ次第私に知らせろ」

「……かしこまりました」


(なんだ……?)


 自分が弱っているせいだろうか。ハンスがやけに、威圧的に見えたのは。

 気のせいだろうか。首筋に刃物を当てられているような緊張が走ったのは。


 言葉を発せなくなったカルマンに向かって、ハンスは静かに頭を下げた。

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