第56話 夜会と呪われた令嬢(1)
嫌がるララを引っ張っていくように、あっと言う間に夜会当日がやってきた。
この日のために急いで必要な物を揃え、シアーズ侯爵家の資料を頭に叩き込んだ。超特急だが準備は万端。今の気持ちを一言で表すとするならば――、
「もう帰りたいです」
「まだ馬車の中だ」
テオドールに冷静に返され、ララはうな垂れる。カーテンをわずかに開けて外を見ると、街灯のおかげで予想より明るかった。
「馬車、多いですね」
さすがは侯爵家主催の夜会だ。馬車で道が混んでいる。
(緊張するけど、任務の遂行が最優先)
ララは自分の顔を覆うヴェールに触れる。
シアーズ侯爵夫人は今、どんな状態なのだろう。冷静に話ができるのだろうか。
考えていると馬車が止まった。到着してしまったらしい。テオドールが先に降り、こちらに手を差し出す。
「今だけ」
エスコートしたいと言う彼に、見惚れてしまった。
街灯に照らされた、半透明なテオドール。
――格好良い。
唐突に頭に浮かんだ言葉を自覚して、ハッとした。
最近の自分は変だ。
テオドールは告白について、『返事はするな』と逃げ道をくれた。彼は死者。今後も生き続ける自分を想っての発言だと、さすがに理解している。
だがその言葉が、どうにも不満なのだ。
差し出された彼の手をとればこの曖昧な感情が伝わってしまいそうで、怖気付く。
テオドールは
「夜会を乗り切ったら、俺にできる範囲で君の願いを聞いてやる」
またしても甘やかされてしまった。相変わらず彼は過保護だ。
なんだか急におかしくなって、勝手に笑みがこぼれる。テオドールの手に自分の手を重ねると、どきどきするのに安心した。
テオドールは満足そうに頷き、ララの手を軽く握る。
「自信を持って胸を張れ。そのための勝負服だろう?」
彼が今日のために選んでくれたのは、ララの瞳と似た薄紫色のドレスだった。緩く巻いてハーフアップにした髪には、品の良いピンクダイヤモンドの髪飾りがついている。
「物自体はとてつもなく素敵なのですが、着慣れていないせいで落ち着かないと言いますか……」
当初は経費で身支度を整えるはずだったのだが、テオドールが「金は金庫に保管している俺のを使う」と言って譲らなかったため、結局彼からの贈り物に全身を包まれることになった。
仕事用だという点を踏まえても、実はとても嬉しい。だってテオドールが自分のために選んでくれたのだ。こんな経験、二度とできないだろう。
できるだけ綺麗に着こなすためにも、姿勢だけは気をつけなくては。
背筋を伸ばしてテオドールを見ると目が合った。ヴェールがあって、彼からは顔が見えないはずなのに。
「心配いらない。誰にも見せたくないくらい、君は綺麗だ」
この人は、なぜこんなに恥ずかしいことを言えるのだろうか。顔が熱くなる。ヴェールがあって助かった。きっと今の自分は、締まりのない表情をしているだろうから。
消え入りそうな声で「ありがとうございます」と言うと、テオドールは「ん」とだけ答えた。声が耳をくすぐり、今度は全身が熱くなる。
馬車から降りると、前の馬車に乗っていたアルバートとヒューゴが近寄ってきた。並んで侯爵邸の門をくぐり、庭園を抜けて玄関ホールに入った。
「ララちゃん本当にヴェールつけたまま参加するの? 外しちゃいなよぉ」
大広間に向かう途中、アルバートが大きな瞳をぱちくりさせて首を傾げた。可愛らしさに負けて危うく従いそうになったララだが、正気を取り戻して首を横に振る。
「い、いえ。誰かを失神させて犯罪者にはなりたくありませんので」
「うーん。……ララちゃんの噂、多分もう変わってると思うんだけど。それに夜会用のお化粧してもらってるんでしょ?」
「はい。万が一ヴェールが捲れても良いように、念には念を、と思いまして」
ララは日常向けの化粧はできるが、こういった場にふさわしい化粧は不慣れだ。今日はジャスパーに頼んで、『人を不快にさせない感じの夜会に合う化粧』を施してもらった。
(ジャスパー、なぜかお化粧がとても上手なのよね。普段してないのに)
以前カルマンに打たれた痣を隠しきれず困っていたところ、ジャスパーが魔法のような手付きで隠してくれた。
転んで顔をぶつけたと嘘をついてしまったのは申し訳なかったが、あの件があったおかげで彼の化粧の腕前を知ることができたのだ。
「ジャスパーも夜会に遊びに行くと言っていたのですが、まだ来ていないのでしょうか?」
自分の支度に付き合わせたため、彼が遅刻していないか少々心配である。
華やかな赤髪を探して辺りを見回すと、ヒューゴが「ジャスパーなら先に到着してますよ」と教えてくれた。
(私と一緒に来たヒューゴ様が、どうしてご存じなんだろう?)
疑問に思ったララは、つい癖でテオドールを見上げた。しかし――、
「そのうち分かる。楽しみにしておけ」
テオドールからは疑問が深まる答えしか得られなかった。深く聞こうにも、大広間がすぐそこに迫っているため時間がない。
「……では、期待しておきます」
「ああ」
こっそり繋いだままの指先が、きゅっと握られた。テオドールの発言の意味は全く分からないのに、前に進めていた足の重みが、少しだけやわらぐ。
入場のタイミングで、シアーズ侯爵家の執事がアナウンスを始めた。さあ、いよいよだ。
「王立犯罪捜査局より、アルバート・ロックフェラー様、ヒューゴ・ドーハティ様、――ララ・オルティス様」
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