第五章 半透明な愛を知ってから

第55話 呪われた令嬢への依頼

 テオドールの想いを知った後、ララはいくつかの変化を感じていた。


 一つ目は、捜査官たちからの視線が生温かくなったこと。ララがテオドールを愛称で呼び始めたことを、誰一人として見逃してくれなかった。なんというか、全員表情がうるさい。


 二つ目は、テオドールがさらっと好意を示してくるようになったこと。先日寝起きで食らった「やっぱり君、世界一可愛いな」は威力が強すぎであった。


 そして三つ目は――、


(私、今までどうやってテオと話してたの……?)


 分からない。全然分からない。

 執務室で捜査資料をまとめながらも、ララの頭の中はテオドールでいっぱいだった。今のところ仕事に支障は出ていないが、このままではまずい。

 机に広げた資料に目を通しているテオドールの顔を、ちらっと盗み見た……つもりだったのだが。


「そんなに熱い眼差しを向けられると照れるんだが」


 テオドールがニヤッと口角を持ち上げた。ララはすぐさま手元の資料に視線を戻す。


「み、見てません」

「へぇ、そうか。俺の気持ちを知った今、どう接するべきなのか悩んで様子をうかがってたわけじゃないのか」

「ぐっ」

「今まで通りで良いって言っただろうが」

「……難しいから苦労してるんです」


 あんなに熱烈な想いを告げられた上で「色々ありましたけど、私は全然気にしていませんからね!」なんて言える乙女がいるのならば、相当な猛者に違いない。少なくともララには無理なのだ。


 テオドールと話す時、自分はいつもどこを見ていたのだろう。手は開いていたのか、握っていたのか。声はどのくらい出していたのか。考えれば考えるほど悩みが増える。

 テオドールの望みが今まで通り過ごすことならば、自分は叶えるべきだろう。そう理解しているのに納得しきれない自分がいて、どうにも歯がゆい。


 今まで通りということは、何も変わらないということだ。前に進めないということだ。


(私は、どうしたいんだろう)


 うーん、と考え込むララを見て、テオドールが喉を鳴らす。


「そんなに悩むな、と言いたいところだが、君が俺のことで悩んでるっていうのはなかなか嬉しいものだな」


 ああ、ほら。そういう顔をするから、そういうことを言うから。彼のために自分ができることは、全部したいと思ってしまうのだ。

 書類の束を手に持ち、机の上で整える。するとイヤーカフに通信が入った。


「はい、ララです」

『ヒューゴです。少々、厄介なことになりまして――』


 通信機の向こう側でヒューゴが言ったのは、思いがけない言葉だった。









「――私宛ての依頼、ですか」


 ヒューゴの執務室に来たララとテオドールは、一通の手紙を二人で覗き込む。

 差出人はシアーズ侯爵。ミトス王国の第二騎師団団長を務めている人物だ。それ以外の情報をララは持っておらず、もちろん面識もない。けれども相手は、捜査官ララ・オルティス宛に依頼状を送ってきたのだ。


 依頼内容はシアーズ侯爵夫人と面会してほしいというもので、指定日時は五日後の夜だった。


(夫人との面会だから女性の捜査官を指名したかったのか、……それともじゃないとダメなのか……)

 

 他の情報を得られないか、と隣に立つテオドールを見上げる。彼には意図が伝わったようだ。


「シアーズ侯爵家当主、ジェイク・シアーズ。年齢は三十三。第二騎士団団長で真面目な男だ。自分にも他人にも厳しく、現実主義者」


 忠誠心の強い人物なのだろうが、現実主義者という点が引っかかる。ララの体質とは相性最悪だ。


「妻、ケイト・シアーズとの間に五歳の娘がいるが、名前はまだ公表されていない。ケイト・シアーズは二十八歳。社交的な性格だったようだ」

「だった、というのは?」

「数年前に、夫人が子供を授かりにくい体質であると発覚したんだ。その辺りから大人しくなったと聞く。侯爵の立場があるおかげで表立って攻撃されたりはしないようだが、貴族の中には彼女を侮蔑ぶべつする者もいるだろう。本来ならば、もうすぐ二人目の子供が生まれるはずだったが――」


 生まれる前に、子供は神の元に帰ってしまった。

 その絶望は同じ経験をした者にしか理解できない。自分が推し量れるものではないし、口も出せない。

 しかし、この件とララ宛の依頼には、おそらく繋がりがある。


「霊絡み……かもしれませんね」


 考えをつぶやくと、テオドールとヒューゴが小さく頷いた。確証はないが、なんとなくそう思った。当たっているとすれば、依頼は自分にしか担当できない。


「ヒューゴ様はこの依頼について、どう対処するべきだとお考えですか?」

「私たちは何でも屋ではありませんので、事件性がない以上、個人からの依頼は引き受けなくても構いません。ただ、わざわざララさんを指名してきていますので……」

「よほど事態が深刻なのでしょうね」


 社交界の嫌われ者を呼ぶくらいだ。侯爵にもそれなりに覚悟が必要だっただろう。

 忌み嫌われてきた体質ゆえに、ララはあまり人前で霊の話をしたくない。だがこの体質が人の役に立つのなら、引き受けるべきだろう。テオドールがくれた言葉の通り、人の心を救うために使いたい。


「どうなるか分かりませんが……できるだけ捜査局の評判を下げないように、頑張ります」

「引き受ける、ということですか?」

「はい。やってみます」


 ララが答えると、なぜかヒューゴが目を輝かせた。

 

「みんな喜びますよ。早速準備にとりかかりましょう」

「シアーズ侯爵家についての勉強ですか?」

「いえ、買い物です」


 侯爵家に持って行く手土産だろうか。ヒューゴが選ぶものなら安心だが、ララの手から渡したものを受け取ってもらえるかが謎である。


「ララさんには何色が良いですかねぇ」

「包装の色なら私の好みより夫人の好みの方が」

「包装ではなく、ドレスです」

「……ドレス?」

「ええ。必要でしょう? ドレス」


 いまいち話が噛み合っていないような気がする。いつも通りの格好で侯爵邸に行ってはいけないのだろうか。

 ヒューゴが依頼文の一行を指したため、再度読む。指定の日時は先ほども確認した。五日後の夜……正確には、午後八時。妙な時間だが、依頼主の都合なら仕方がないと思っていた。


(午後八時、侯爵邸に、ドレスで……って)


 手紙を持つ手に力が入る。これはまさか。ひょっとすると。

 最悪な想像をして顔を引きつらせたララに、ヒューゴは美しい笑みを向けた。


「参加していただけるんですよね? 夜会」

「……聞いてないんすわ」

「おや、フロイドの真似ですか? 今初めて夜会だと言ったので、ララさんが聞いてなくて当然ですね」

 

 口元に手を当ててくすくすと笑うヒューゴ。対照的に笑えないララ。

 今までヒューゴが優しかったため忘れていた。彼とテオドールには似ている部分があることを。


 はめられた。こちらが依頼の詳細に気付いていないと分かっていながら、ヒューゴは意図的に教えてくれなかったのだ。理由は分からないが、夜会に参加させたいらしい。

 貴族の集まりなんて地獄でしかないというのに。どうしよう、ヒューゴが拷問官に見えてきた。


「あの、やっぱりこの件は」

「私たちも同行しますから大丈夫ですよ」

「私、社交界デビューをしていないので」

「仕事なので例外です」

「そ、それにドレスも何を選べば良いのか」

「ララさんが選べないようでしたら、テオに好きなものを選んでもらいましょう。何せ愛称で呼ぶくらいの仲なのですから」

「うぐっ、あの、でも他にも色々と」

「金銭面も心配いりません。仕事ですから全て経費です」

「数年前まで『予算が足りねぇ』と、おっしゃっていた組織とは思えないですね」

「こんなことが言えるようになったのも、影でララさんが支えてくださったおかげです。ララさんの身支度のためなら、経費でいくらでも落としましょう」

「……ヒューゴ様」

「はい?」

「……楽しそうですね」

「ええ、とっても。貴族たちに捜査局うちのララさんをお披露目できますので」


 まさかここまで来て一度引き受けた依頼を断ったりしませんよね? と、ヒューゴの微笑みが言っている。言っていなのに、聞こえる。要するに、詰みだ。

 

「…………同行、よろしくお願いします」

 

 魂が抜けたように肩を落とすララの隣で、テオドールが笑いを堪えていた。静かだなと思っていたら、こちらもわざと黙っていたらしい。やはり性格が悪い。


 残念ながら次のミッションは、夜会への参加である。

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