第54話 諦めよう【テオドール視点】

 テオドールはその後も慌ただしい日々を過ごし、――建国祭当日。

 何事もなく進行された、と言いたかったが、この日も朝から走り回っていた。

 建国祭では王城を開放するため、出入りする者が多くなる。その賑わいを利用して、裏で不正な取引きを行う者がいた。また、普段は平和に見える王都でも、祭事で気分が高揚した輩による窃盗や喧嘩などが起こっていた。


(情報が早く入ったおかげで、なんとかなったな)


 不届者を捕らえ、一息ついた頃には日が沈んでいた。屋台が多く並ぶ通りは、夜も変わらず賑わっている。

  ――ジー、ジジッ。

 耳元で受信音が鳴った。もう一組のイヤーカフを渡しておいたヒューゴから連絡のようだ。


『テオ、聞こえてますか?』

「聞こえてるから毎回聞くのやめろ」

『すみません。私の固い頭がこの通信機の性能に追いつけておらず』

「まあ、それは俺も同じだが」


 テオドールはイヤーカフに触れる。仕事が無事にひと段落ついたのも、ララが作ってくれた通信機のおかげだ。


「用件はなんだ?」

『ああ、大したことじゃないんです。交代の時間になったので伝えておこうかと思いまして』

「そんな時間か。分かった。通信機はつけておくから何かあったら連絡してくれ」

『仮眠』

「とるからもう切るぞ」


 ヒューゴの小言に苦笑いで答え、通信を切った。捜査局に戻るとしよう。

 きびすを返すと、一軒の屋台が目に留まった――。




 城内に戻ったテオドールは、捜査局ではなく開発局に向かっていた。白い扉の前まで来て、急に冷静になる。


(祭りなんだから、ララも婚約者と出かけてるか)


 自分で想像して勝手に致命傷を受けた。開発局に入るか躊躇ったが、彼女がいるかもしれないというわずかな期待だけで扉を開く。


「……いたのか」


 気が抜けて出た声は、小さかったが彼女に届いた。


「あれ? グラント卿?」


 共同スペースに一人で残っていたララが、驚いたように立ち上がった。「お疲れ様です」と頭を下げながら、小走りでこちらに向かってくる。相変わらずゴーグルをつけている彼女を見て、口元が緩んだ。


『なぜ婚約者と出かけていないのか』なんて聞くつもりはない。ララがこの場所にいただけで、今日一日の頑張りに対する褒美をもらった気分だった。


「どうされたんですか? 今日は巡回ですよね?」

「ああ。交代の時間になったから、息抜きついでに……これ」


 テオドールは持っていた空色の巾着をララに手渡す。


「土産だ。紅茶クッキーとジャムクッキー」


 屋台で売っているのを見かけ、衝動的に買ってきてしまったのだ。

 令嬢のララがその辺に売っている物を食べるかは謎であったが、彼女の表情を見る限り問題なさそうだ。


「か、可愛い……! クッキーそのものもですが、オーガンジーの巾着も最高に可愛いです!」

「オーガンジーってなんだ」

「この生地の名称です! ドレスなどのレースにも使われておりまして、透け感と弾力性が――」


 生地自体に興味はなかったが、ララが力説する姿はずっと見ていたい。緩み続ける口元をどうにか抑えようとしていると、ララが巾着を顔の前に持ち上げた。


「こんなに素敵なものを、本当にいただいてよろしいのですか?」

「ああ」

「本当の本当に? 返しませんよ?」

「その方が助かる」


 何度も確認してくるララがおかしくて、テオドールは声を出して笑う。


「あー……、君は面白いな」


 許されるなら可愛いと言いたい。しかし言えない。だから他の言葉で誤魔化した。

 ララは揶揄われたと思ったのか、手に持った巾着に視線を移し、恥ずかしそうにはにかんだ。


「……お土産、ありがとうございます」


 やはり、間違いない――。


「君は世界一面白い」

「今は面白いところなんてなかったはずですが?」


 表情をころっと変えて口を尖らせたララの前で、テオドールは再び肩を揺らす。

 不服そうなララだったが、近々イヤーカフを大量発注することを伝えるとすぐに笑顔に戻った。


「――土産も渡せたし、捜査局に戻るよ。仮眠をとらないとうるさいやつがいるからな」


 テオドールは嘘をつくのもそこそこ得意だが、ヒューゴにこの手の嘘は通用しない。深夜の巡回に備えて多少は仮眠をとっておくべきだろう。


「あ、なら丁度良いものが出来上がったところです」


 ララが先ほどまで使っていた作業台に戻る。テオドールもその後を追った。

 作業台の上には見たことのない装置と、数本の試験管。試験管の中では薄紫色の液体がコポコポと音を立てている。


「以前お約束したアロマオイルです。先ほど仕上げが終わりました」

「こんな時間まで作ってたのか」


 外出はしないとしても、祭りの日くらい休めば良いものを。


「捜査局のみなさんほどお役には立てませんが、私もグラント卿には、体を大切にしていただきたいので」


 ふわりと微笑みながらこんなことを言われて、動揺するなと言う方が無理な話だ。彼女が絡むと、感情の制御が難しい。


 ララが試験管の中の液体をスポイトで吸い上げ、小瓶に移し替える。柔らかい香りが室内に広がった。ラベンダーオイルをベースにしているらしい。効能を聞いてみたところ、精神安定と生命力の活性化が期待できるそうだ。


「グラント卿用のアロマオイルは香りが移らないようにしていますので、使用時のみ香りを楽しんでいただけます。もしこの香りが苦手でしたら変更もできますのでおっしゃってくださいね」

「ありがとう。香りはこのままが良い。だってこれ――」


 そこまで言って、テオドールは思いとどまった。口から出そうになった言葉を飲み込み、代わりの言葉を彼女に捧げる。


「……好きな香りだ」

「わぁ、好みが合いますね。私もこの香り大好きなんです。これがあれば落ち着かない時でもしっかり眠れると思いますよ」


 効果に自信があるようだ。早速使いたくなったテオドールは、窓際のソファを見てララに尋ねた。


「ここで仮眠をとっても良いか?」

「あのソファでですか? 寝心地は保証できませんよ? 明かりもついてますし」

「構わない。そういう状況の方がアロマオイルの効果を検証しやすいだろ」

「確かに……。では準備しますのでソファにどうぞ」


 ララがアロマオイルを数滴、小さな皿に乗った魔法石に垂らす。その様子を見ながら、テオドールはソファに横になった。

 普通なら女性がいる部屋で眠るなんてありえない。相手がララという点も眠りを妨げる要因である。だから眠れない可能性も考えていたのだが、アロマが焚かれた途端、考えが変わった。

 これは効く、絶対に。


「……君に盛られるのは悪くないな」

「人聞きの悪いことを言ってないで休んでください。時間がきたら起こしますね」

「ああ、頼む」


 寝転がったテオドールの顔に、ララの影が被さった。ラベンダーと同じ色の彼女の瞳が、穏やかに細められる。


「おやすみなさい、グラント卿」


 名残惜しく感じながら、テオドールは目を閉じた。


 ――諦めよう。

 人の幸せを壊してまで自分の望みを叶えようとするほど、愚かな男ではない。

 だが、悟ってしまった。

 絶対に叶わぬと分かっていながら、たった一人を想い続ける覚悟を決めてしまうほどには、自分は愚かな男だったようだ。


 ――諦めよう。彼女への想いを消すことは。

 伝えなければ良いだけの話だ。そうすれば、彼女の幸せは守られる。

 

 テオドールは先ほどララに言いかけた言葉を、胸の奥にしまい込む。香りに包まれ、意識が遠くなっていく。


(好きに決まってるじゃないか)


 ――だってこれ、君の香りだろ?









 ベッドに腰掛けたまま昔を思い出していたら、いつの間にか朝がきたようだ。カーテンの隙間から光が差し込む。


「……んー、……」


 眠っていたララがぼんやりとした表情で目を開けた。夢と現実の狭間にいるような、そんな顔。


「おはよう」


 ララと目が合ったテオドールは、自分でも驚くほど優しい声で朝の挨拶をした。

 しかしララからの返事がない。彼女はごろんと寝返りを打ち、こちらに背を向ける。耳を近付けてみると、「……夢?」とつぶやく声が聞こえた。このに及んで人の告白を夢にしようとするとは。


「俺の愛しいララさんや。君には今日、やるべきことがあるはずだ」


 耳元で揶揄うと、彼女はバッとこちらを向いた。そうだ、思い出せ。


「俺の願いを叶えてくれるんだろう?」


 逃げ場を奪うように、テオドールはベッドに広がったララの髪に触れた。

 夜中の会話をはっきりと思い出したのか、彼女はみるみる頬を赤らめ、熱を堪えるように瞳を濡らす。そして観念したように、ゆっくりと口を開いた。

 

「……おはようございます…………テオ」


 テオドールの望みが、また一つ叶った。けれども真っ赤な彼女に負けた気がするのは、やはり惚れた弱みというやつなのだろうか。出会った頃から、ずっと勝てない。


(あと、十九日だ)


 きっと野山を駆ける風のように、あっという間に過ぎ去るのだろう。

 今までと違うのは、自分の感情を隠す必要がないということだ。誤魔化す必要も、我慢する必要もない。

 それならば真っ直ぐに、伝えよう。


「やっぱり君、世界一可愛いな」


 この気持ちは、彼女が教えてくれたものだから。

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