第53話 布一枚の厚み【テオドール視点】
ヒューゴとの一件があってから、テオドールはほどほどに休みをとるようになった。とは言え手持ち無沙汰だと落ち着かないため、今日のように開発局で過ごす日は書類を持ち込んで仕事を進めている。
少し休憩しようとペンを置くと、その隙を狙っていたかのようにララが話しかけてきた。いつ話しかけられても怒らないのだが。
「どうした?」
「実はですね、こちらを作ってみたいなと思っていまして」
テオドールはララから差し出された提案書を受け取り、ざっと目を通す。
「通信用の魔道具?」
「そうです。先日の巡回のお話で、危うく乱闘騒ぎになるところだったとおっしゃっていたので、そのような危険な状況に陥った時に他の方と連絡がとれたら良いのではないかと」
「良い、というか、最高だが」
そんな便利な物は想像したこともなかった。音声を遠くに届ける魔道具のようだ。ミトス王国だけでなく、近隣の国にも存在しないはず。テオドールは思わず提案書に見入ってしまった。
「今考えている素材と術式では、王都くらいの範囲しか使えそうにありませんが」
「……充分凄い」
「では完成したら、試運転に付き合っていただけますか⁉︎」
ララが目を輝かせて身を乗り出してきた。急に距離が縮まり、心臓が暴れる。ほのかに漂う花の香りのせいで、また彼女の周りに花が舞う幻覚が見えた。
(どうやって生きてきたらこんなに可愛――、っ⁉)
心の声に反応したテオドールは、
「え、ちょ、ど、どうされたのですか⁉」
「危機を回避したところだ」
「頬が赤くなっていますが、それは回避成功ですか?」
「必要な傷だと思ってくれ」
「……顔の造形に興味がないのかもしれませんが、ご自分のことは大事になさってくださいね」
「善処しよう」
頷き返した後に試運転に付き合う件を了承すると、ララは嬉しそうに頬を緩めて提案書の説明を再開した。テオドールは机の下で拳を握り、奥歯を噛み締める。今日帰るまで自分の顔が原形を保てるか不安だ。
(彼女には婚約者がいる。最愛の相手がいる)
芽生え始めた感情は、本来あってはならぬもの。認めてはいけないものだ。自分は野生動物ではなく理性のある人間なのだから、この気持ちは消さなくてはならない。
頭の中でぐるぐると考えながらも、ララの説明はしっかり聞いていた。
「巡回でこの通信機を使ってみれば良いんだな?」
「はい! ひとまず二人分作ろうと思います」
「いつまでにできそうだ?」
「建国祭までには」
「分かった。じゃあ建国祭の巡回で試運転だな」
「よろしくお願いします!」
ご機嫌な様子のララに提案書を返す。すると彼女は、今度は別の紙を取り出した。以前から書いていた設計図のようだ。
「通信機はイヤーカフなのか」
「はい。右が送信機で、左が受信機です。耳元にあった方が声を拾いやすいですし、つけていても不自然に見えないので。基本的な機能は先ほどの提案書通りなのですが、気になる点や追加で必要な機能はありますか?」
離れた人間と情報を伝え合える魔道具となると、便利な反面、悪用された場合のリスクが大きい。
「自分以外の人間の手に渡った場合はどうなる?」
「世に出回っている物ではないので、捜査局以外の方にはただのアクセサリーに見えると思います」
「だがもし俺が受信機だけ落として他人に拾われた場合、他の捜査官が送信した内容を聞かれる可能性があるよな」
「確かにそうですね。……では、左右の通信機が一定の距離以上離れたら、機能を停止させるのはどうでしょう?」
送信機と受信機がそれぞれ別の場所にある時は、機能が使えなくなるということだ。情報が漏れる可能性は限りなく低くなるだろう。
「それで頼む」
「分かりました。せっかくなので、通信可能な状態の時は銀色、機能停止状態の時は金色になるようにしておきます」
「なぜ色分けするんだ?」
「仮にどちらか一方をなくしてしまったとしても、残ったイヤーカフが銀色なら近くを探すだけで済むではありませんか」
「なるほどな」
「逆に残った通信機が金色の場合は遠くに落としたということなので、探すのを諦めて私に再製作依頼を出してください」
捜査官として捜索を諦めるのはいかがなものかと思うのだが、大人しく新しいものを作ってもらった方が早い気もする。
「色を銀色から金色に変えるって、そんなに簡単にできるのか?」
「私の頭の中では、できる予定です」
脳内で理解不能な術式が組み立てられているのだろう。さすがミトスの頭脳の二番手である。完成が楽しみだ。
「通信機を最優先で作りたいので、以前お約束したアロマオイルはもう少しお時間をいただきたいのですが」
「構わない。あっちは個人的な依頼だからな」
「ありがとうございます」
「俺の依頼以外にも色々作ってるのか?」
「最近は陛下の寝室用結界魔道具を試験したり、ジャスパーの一発芸用に声を真似するタイピンを作ったりしてます」
「用途が
おそらくジャスパーは本業用に依頼したのだろうが、ララには一発芸用で通しているらしい。
「シンプルなタイピンに細かい術式と細工を施すのが楽しくて……あ! イヤーカフのデザインなのですが、こだわりはありますか?」
「んー。いや、特にない」
「分かりました。では今回のものは私の好みで作らせていただきますね。あとは……耳のサイズを測らないと。人によって結構違うみたいなので、平均を出す必要がありますね」
ララがいつも持ち歩いているトランクからメジャーと金属製の計測器を出した。彼女は「どなたかの耳をお借りして」と、辺りを見回す。しかしテオドールの方はちらりとも見なかった。
「ジャスパー帰ってきてましたかねぇ」
(……は?)
席から立ち上がったララが自分を置いて歩き出しそうだったため、テオドールは危うく彼女に向かって手を伸ばしそうになった。
「待て、どこに行くつもりだ?」
「耳の計測です。ジャスパーか叔父様に協力していただこうかと」
納得がいかないテオドールは自分の耳を指さす。
「最適な耳がここにあるのに、なぜジャスパーを探すんだ?」
「え? だってグラント卿、女性が苦手ではないですか」
……言ってやりたい。君限定でその配慮は必要ないと。
「触れても死にはしない」
「でも無理をさせてしまうのは申し訳ないです」
「無理というほどでもない」
「開発局にも耳の提供者はたくさんおりますので」
「イヤーカフを使うのは捜査官で、最初の一つをつけるのは俺だ」
だから俺の耳を使え、と、もう一度耳を指さす。わがままな子供のようで捜査局の連中には絶対に見せられない。しかし今のテオドールには、ララがジャスパーを探しに行く方が腹立たしかった。
「では、……お言葉に甘えて。気分が悪くなってはいけないので、念のため手袋をつけておきますね」
テオドールを重病患者と勘違いしているらしいララが、手早く薄い手袋をつけた。
椅子に座った自分の隣に彼女が立った瞬間、選択を誤ったかもしれない、と後悔が押し寄せる。
(……近い)
ララが「失礼します」と言う声も、白衣が擦れる音も、花の香りも、全てが近い。彼女の指先が触れただけで、心臓が耳に移動したのではないかと疑いたくなるほど鼓動がうるさくなった。
そっと髪を耳にかけられ、暑くてたまらない。
「……耳、溶けてないよな?」
「ふふっ、綺麗な形のものがちゃんと付いてますよ」
また選択を誤った。話しかけるんじゃなかった。耳元で話されるのは色々まずい。テオドールは即座に口をつぐんだ。ララの指とメジャーが触れる耳に、神経が集中する。
「冗談を言えるくらいなら、女性への苦手意識を克服される日も近いかもしれませんね」
こちらの気持ちを知らないララが、ほくほくした表情で顔を覗き込んできた。さっきまでの配慮はどこに行ったのだろう。わざとやってんのか、と問いただしたい。いっそのこと計算であってほしい。
これ以上近付かないでくれ。そう思う反面、彼女の手を覆う手袋が視界に入る度、矛盾した考えが頭をよぎる。
たった一枚の布の厚みが、テオドールにはもどかしかった。
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