第52話 何かが落ちる音がした【テオドール視点】

「――で、そこまで言われたのにうっかり眠るのを忘れ、あなたは捜査局から追い出された、と」


 いつもの共同スペースで設計図を書いていたララが、くすくすと肩を揺らす。笑い事じゃないというのに。ヒューゴによって強制的に非番扱いにされたテオドールは、不満を隠さず口をへの字にした。


「しょうがないだろ。やる気に満ち溢れてる時っていうのは、なんかこう、……変な物質が脳から出ていてだな」


 知らぬ間に時間が経っているものなのだ。その状態で眠ろうとしても、かえって目が冴える。

「あー、それはちょっと理解できるかもしれません。魔道具を作っている時は時間を忘れちゃいますし」と頷くララは、おそらく自分と同類だ。


「私は興奮状態を抑えるために、就寝時にアロマを焚いてますけど……」

「効果あるのか?」

「私には」

「へえ。どこのブランドだ?」

「自分で調合したものです」

「……そりゃあ効きそうだな」


 ララは魔道具以外にも手広く作っているようだ。

 おそらく彼女の肌や髪が綺麗なのも、自分に合ったものを作っているからだろう。テオドールは一人で納得する。


「グラント卿用に調合してみましょうか?」

「良いのか?」

「はい。あなたを捜査局から追い出した方の気持ちも分かりますので」


 ララはゴーグルの奥の瞳を細め、探るようにこちらを見つめてくる。


「目の下にクマができてますし、どう考えても働きすぎです。追い出した方はあなたのことが心配なんですよ」

「……それはまあ、俺も分かってはいるんだが」


 視線に耐えきれず、テオドールは目を逸らした。

 ララの『あの方しかいない』発言を聞いてからというもの、彼女に見つめられるとどうにも落ち着かない。

 精神衛生上良くないと判断し、テオドールはあの日以来、婚約者についての話題を出さなくなった。


「睡眠時間を削ってでも仕事を進めておかないと、今後どこかで痛い目を見る。暇になる予定はないからな」

「捜査局のみなさんは、あなたが仕事を任せられないような人材なのですか?」

得手不得手えてふえてはあるが、全員よく働く」

「では、仕事を割り振ってはいかがでしょう」

「それはもうやってる」

「……本当ですか?」


 一体どこを疑っているのだろうか。首を捻り、ヒューゴとの会話を振り返ってみた。

 献上品への毒物付着については、近衛に――『俺が話を聞くから』

 反乱分子の摘み取りは――『計画は俺が立てておくから』

 ……改めて考えると、俺がやる、と言った記憶しかない。急に真顔になったテオドールの前で、ララはそれ見ろ、とでも言いたげな顔をした。


「心当たりがおありのようですね」

「あー……、まあ」

「仕事を割り振れない理由でもあるのですか?」


 それなりに割り振っているつもりだったのだが、配分がいまいちだったようだ。おそらく自分が感じている負い目のようなものが関係しているのだろう。


「……捜査官は全員、俺が集めたんだ。騎士として活躍する選択肢があったやつも、すこぶる頭が良くて好待遇で別の職に就けるやつもいた」


 王命によって捜査局の設立が決定したのは、テオドールが王立学園アカデミーを卒業する二年前のことである。決まってすぐに、テオドールは共に働きたい者に声をかけた。次期公爵のテオドールを知らない者はいなかった。だからなのか、全員テオドールの誘いに乗った。堅実な未来を捨て、力の弱い組織の一員になったのだ。


「あいつらが今苦労してるのは、俺が背負った面倒ごとに付き合ってくれているからだ。次期公爵の俺に頼まれなければ、もっと明るい道を歩めた。そんなやつらの人生を預かった以上、俺が中途半端なことをするわけにはいかない」


 すでに散々苦労をかけている。自分が死ぬくらい働いて結果を出さなくては、彼らが次期公爵についてきた意味がなくなる。

 それゆえにテオドールは、誰よりも必死だった。

 ララは真剣な面持ちで話を聞いてくれていたのだが、こちらが話せば話すほど瞬きの回数が多くなった。


「それ、本気で言っていらっしゃるのですか?」

「どういう意味だ」


 テオドールは質問に質問で返した。ララの発言の意図が読めない。本気も何も、ただ事実を話しただけだ。


「グラント卿は、ご自分が次期公爵として見られていると誤解されているようなので」

「一応、次期公爵なんだが」

「もちろん存じ上げておりますが……私はあなたが権力を振りかざしたところを、一度も見たことがありません」


 意外な言葉に驚き、固唾を呑んだ。ララの細い指先が、握っていたペンをそっと置く。

 

「分かりやすいところで言うと、捜査局の経費が少ない件です。あなたほどの身分の方であれば、苦労せずともまかなえるはずです。ですがあなたはそれをしません」


 彼女の言う通りだった。テオドールはグラント公爵家の名を使わない。根本的な解決にならないからだ。家の名前で組織を強くしたのでは意味がない。テオドールの目標は、別にある。


「俺は捜査官あいつらの努力を、一刻も早く、この国に認めさせたい」


 捜査局がミトス王国を支える存在だと。自分の仲間が最高の人材だと、知らしめたい。


「ちゃんと伝わっています。志を持っていらっしゃるあなたは、決して権力に頼らない」


 手を差し伸べてくれる相手には誠意を持って頭を下げ、身分関係なく感謝する。それは簡単にできることではないのだと、ララは何年も前からテオドールを見てきたかのように話す。


「出会って日の浅い私でも分かるのですから、捜査局のみなさんはあなたの人柄を把握していらっしゃるはずです。要するに、誰も次期公爵としてのあなたの権力を当てにしていないということです」


 なぜだろうか。彼女が話す度に、己の心が軽くなる。これは彼女の意見であり、大多数の人間が同じ考えだとは限らない。それでも、それだけで、間違いなく今、救われている。


「さらに付け加えさせていただきますと、捜査局のみなさんは理解されていたと思います。新しい組織に入った場合、それなりに苦労すると」


 王命での設立とはいえ、実績がないテオドールがトップに立つ組織。簡単に認められることはないだろうと、自分でも予想していた。だが他の捜査官も同じ予想をしていた場合、腑に落ちない点がある。


「じゃああいつら、……なんでわざわざ面倒な道に進むんだ?」


 次期公爵の力を当てにしていない。捜査局に入った場合、苦労する未来は見えていた。それなのに彼らは、毎日自分のそばで汗水流している。その理由が分からない。白目を剥きながら書類と戦っている理由も分からない。

 眉根を寄せてつぶやくと、ララは呆気にとられたような顔をした。


「そんなの……あなたのことが大好きだからに決まっているではありませんか」

「…………は?」

「大好きだからですよ。あなたが」

 

 さも当然のことのように言う彼女を二度見した時、顔が馬鹿みたいに熱くなった。


「き、君、そんなこと言って恥ずかしくないのか?」

「どこに恥ずかしい要素があったのか見当もつかないのですが。羨ましいです。そんなに想われて」

「想われてとか言うんじゃない」

「苦手な女性からではなくお仲間からなのですから良いではないですか」

「あー俺が悪かったもうこの話は終わりにしよう。心臓が痒くなる」


 頭をガシガシと掻くテオドール。本当は心臓を取り出して洗いたい。まさかこんな醜態を晒す羽目になるとは。彼女の発言が的外れであれば軽症で済んだのだが、あながち間違っていないような気がして反論できない。

 話を終わらせようとしたテオドールに、ララは空気を読まず追撃してきた。


「今のあなたが捜査局のみなさんにお渡しするべきなのは、お金や他人からの評価ではなく、あなたからの信頼ですよ。愛されているのですから」

「……わざと言うのやめろ」

「ふふふっ」

 

 あの叔父にしてこの姪ありだ。『愛アレルギー』なんてものが発症したらどうしてくれるのだろう。軽く睨み付けても、ララは両手を口の前に当てて愉快そうに笑う。あまりにも楽しそうだから、睨んだまま見惚れてしまった。そして一つの疑問が浮かんだ。


 頭の中で誰かの声がする。『やめておけ、聞けば世界一おろかな男になるぞ』と。しかしテオドールは、口を開かずにはいられなかった。

 

「俺を次期公爵として見ていないっていうのは、……君も同じか?」


 彼女はどう思っているのだろう。なぜ自分は知りたいのだろう。自分はどんな答えを期待しているのだろう。

 ララはしばし考える素振りを見せた後、「あなたからいただいた言葉を真似する形になりますが」と前置きをした。


「私が今後も一緒に仕事をしたいのは、……人の噂を気にも留めないほど大らかな感性をお持ちな上、仲間の努力を守るために必死に戦っておられるあなたですので――」


 初めての評価に心臓が跳ねる。ああ、クソ。喜んではいけないのに。脈が速い。体に力が入る。きっと自分は、これから贈られる言葉をずっと求めていた。

 熱のこもった視線をララに向ける。彼女はただ、無邪気に笑った。

 

「次期公爵のあなたには、微塵みじんも興味がありません」


 ――ストン。と、何かが落ちる音がした。








 夕方になり、テオドールは自分の執務室にヒューゴを呼び出した。


「少しは息抜きしてきましたか?」


 机の前に立つなり確認してきたヒューゴに、頷いて答える。心臓に悪い息抜きを済ませてきたところだ。


「ご用というのは」

「近衛に話を聞く件なんだが」

「それならあなたの予定に入れておきましたけど、不具合でもありましたか?」

「いや、不具合ではないが……あの件はお前に任せようと思う」


 本題を伝えるとヒューゴが目を剥いた。深緑色の瞳がほんの少し揺れている。この際全部言ってしまえ、と、テオドールは勢いに任せて言葉を続けた。


「あとジャスパーから報告が上がっていた件についても、やり方はお前に任せる。俺の力が必要な時は言ってくれ」


 自分が出なくとも、ヒューゴなら問題なく完遂できるだろうけど。そう本心を付け加える。

 ヒューゴはくぐもった声を出した後、落ち着きを取り戻すように長髪を耳にかけた。


「あなた、やっと私を使う気になったのですか」


 仲間を使うなんて発想はなかったが、ヒューゴにとってその言葉は悪い意味ではないらしい。


「私がなんのために、飛び級までしてあなたと同じ年に卒業したと思っているのですか?」

「それは俺が『退屈なら一緒に来い』って言ったからのような……」


 テオドールはヒューゴを誘いたくて言っただけだが、次期公爵の自分が言えば半分命令である。

 過去を振り返って内心頭を抱えていると、「バカですねぇ」と笑いを噛み殺したような声が降ってきた。

 

「一年でも早く、あなたの役に立ちたかったからですよ」


 まただ。ララの言う通りだったと理解した途端、再び心臓が痒くなる。

 自分を支えるために、仲間は集まってくれたのだ。決して楽な道ではないと知っていながら。


「それなのにあなたときたら、全部自分でやらないと死ぬ病にでもかかったみたいな働き方して。なんのために私がいるのか分からないではないですか」

「自分でできることをお前に任せるのは、怠惰だと思ってだな」

「今までの倍は任せなさい。あなたに頼られて嫌がる人間なんて捜査局ここにはいません。あと、あなたは自分が私たちを選んだと勘違いしているようですが」


 ヒューゴの口角が、勝ち誇ったように持ち上がった。

 

「――私たちが、ついてきたのです」


 こんな簡単なことに気付くまで、随分と遠回りをしてきたものだ。自分に呆れながら、テオドールも笑みを浮かべた。


「……認識を改めよう」

「ぜひそうしてください。――で、息抜き中のあなたに素直になる薬を盛ったのはどこのどなたですか?」


 お前の心を変えたのは誰だ、と聞きたいらしい。

 ララの名前を出せないし出したくないテオドールは、「開発局の副局長が、ちょっとな」とだけ言って濁そうとした。


「詳しくは話したくないようですね」

「察しが良くて助かる」

「はいはい、ではもう聞きません。……いつかお会いすることがあれば、礼を尽くさねばなりませんね」


 ララの事情を考えると、実際に会うことはなさそうだ。……だがもし、その日が来たら。

 最初に会わせる相手はヒューゴにしておくか、とテオドールは考えていた。

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