第51話 会わせたくない【テオドール視点】
テオドールは以前から、捜査局には物資が足りていないと感じていた。欲しい物はいくらでもある。だからララとの出会いを機に、足繁く開発局に通っていた。
(訓練も終わったし、今日も開発局に顔を出すか)
捜査局の訓練場で汗を拭いながら考えていると、
「ごめんテオ……。木剣、折れちゃった」
アルバートは半べそで真っ二つになった木剣を差し出す。それを受け取ったテオドールは感心していた。
(ララが削り直しただけで、普段の倍以上もったな)
「怪我はしてないか?」
「え?……う、うん」
「なら良い。これは俺が修理に出しておく」
木剣を握ったまま着替えに行こうとすると、アルバートに腕をガシッと掴まれた。
「テオ、どこかのご令嬢に何か盛られた?」
「毎度逃げおおせているはずだが」
「でもおかしいよ」
「あ? どこがだ」
「いつもなら『どうやったら木剣が綺麗に四等分に折れるんだ……』って崩れ落ちるか、『背後に気をつけろ。いつかお前を四等分にしてやるからな』って脅してくるじゃん!」
「どう考えても四等分はお前がおかしいんだよ」
さらに暑くなるから人を悪魔みたいに言うのは勘弁してほしい。普段から怪我の心配をしているのに、ガラの悪い部分だけ覚えられているようだ。
「壊れても修理してくれる人を捕まえたから、物に関して心配する必要がなくなったんだ」
「それって開発局の副局長さんのこと?」
「ああ」
何度か開発局に通っている内に、テオドールはいくつかの情報を得た。ララが開発局の副局長だということもその一つ。ヘンリーに聞いたところ、実力も作ってきた物の数も規格外だそうだ。
ララは呪いの噂を気にして名前を隠しているようだが、『開発局副局長』の役職名が入って出回っている物は国中に溢れている。
「副局長さんって凄いんだねぇ。この木剣、今までのと見た目は変わらないのに頑丈だったし」
「まぁ、それでもお前は折るんだけどな」
「意地悪言わないでよぉ。僕だって折りたくないんだからさぁ……。多分僕が一番迷惑かけちゃうし、副局長さんに挨拶に行こうかな」
「いや、その必要はない」
「どうして?」
ララに名前を出すなと言われているし、それに。
(なんか、会わせたくないんだよな)
「お前が開発局に行ったら、器具を壊して損害がでかくなる」
「……うーん、確かに」
今考えた適当な理由だが、アルバートは納得したらしい。人の感情以外には疎い男である。
「じゃあ僕の分もしっかりお礼言っておいてね!」
「はいよ」
「絶対だよ?」
「分かったって」
テオドールは承諾し、アルバートと別れた。
着替えを終えたテオドールは、折れた木剣を持って開発局を訪れた。正面に座るララは、先ほどから木剣の断面を見て何やらメモを取っている。
「やっぱり削り直しただけでは強度が足りなかったみたいですね」
「でもうちのやつは感謝してたぞ。折れはしたが、今までのものと比べて格段に持ちが良くなったって」
「本当ですか⁉︎」
勢いよく顔を上げたララが嬉しそうに笑うと、なぜか周りに花が舞う幻覚が見えた。疲れが残っているようだ。ゴシゴシと目元を擦る。
「グラント卿、お疲れのようですね」
「昨日面倒ごとに巻き込まれたから、多分そのせいだ」
幻覚が見えるのも脈が異常に速いのも、疲れのせいに違いない。
「昨日? 騎士団と合同で王城周辺の巡回をされてたんですよね?」
「ああ。互いのルート確認を含めてな」
「そこで事件が起こったというわけですね」
「なんで君は楽しそうなんだ。人の不幸を喜ぶつもりか?」
「そんなことしませんよ。仕事中の不具合が新作魔道具のヒントになるかなと思って」
「やっぱりちょっと楽しんでるじゃないか」
「えへへ。……で、どのような事件が?」
ララが何を期待しているのかは分からないが、大した話ではない。
いつものごとく、巡回の噂を聞きつけた令嬢たちがテオドールを待ち伏せしていたのだ。有益な情報を提供してくれるならばまだしも、話す内容といえば夜会に招待したいだの、婚約は考えていないのかだの、うんざりするようなものばかりだった。
(肩書きを欲しているのが透けて見える。俺の立場上、どうしようもないことなんだろうが)
守るべき民に「散れ」と言うわけにもいかず、必要最低限の単語を発するだけで耐え抜いた。
しかし、本当の問題はここからだった。
待ち伏せしていた令嬢の中に、別ルートを巡回中だった騎士の婚約者が混ざっていたのである。それも、婚約者ではなくテオドール宛の差し入れを持って、だ。
通達事項があったとかで婚約者の騎士がこちらに合流した時は、テオドールの口から「絶対巻き込むなよ」とドスの効いた声が漏れ出ていた。
行動を共にしていた別の騎士が潔白を証明してくれたため、事なきを得たが……。
「危うく乱闘騒ぎになるところだった」
「……巡回とは、危険が伴うお仕事なのですね」
しみじみと頷いたララの手元を見ると、メモには『巡回とは物騒なものなり。乱闘の恐れあり』と書き記されていた。間違った知識を与えたかもしれない。
巡回から話を逸らそうと、テオドールは他の話題を探した。
「婚約者の他に気になる相手ができたら、君ならどうする?」
「こ、婚約者、ですか……」
ただの世間話のつもりだったのだが、ララは逃げ惑う羊の群れのように目を泳がせた。
(これは、聞かれたくない顔だな)
彼女はたまにこの顔をする。婚約者について話すのは恥ずかしいのだろうか。
じーっとララの顔を観察していると、彼女は悩ましげに目を閉じた。「んー」と考え込んだ後、目を開け――、
「他に好きな人とか、考えたこともないですね。私には……あの方しかいませんから」
微笑みを携え、ひどく静かな声で、そう言った。
『あの方しかいない』
彼女にとって婚約者が、心に決めた相手だということだ。
一瞬だけ、ララの顔が何か言いたそうに見えた。しかしその表情からは意図を読み取れない。テオドールは無意識に胸元をさする。
気のせいだろうか。
――己の胸の奥底から、
「……そう、か」
テオドールが返事をすると、ララは普段と変わらない様子でメモにペンを走らせる。
その後もしばらく二人で話をしたのだが、話の内容は記憶に残らなかった。
「――テオ、聞いてますか?」
執務室で事務作業をこなしていたテオドールは、ヒューゴに顔を覗き込まれ覚醒した。
「悪い、一文字も聞いてなかった」
「上の空でも書類を進めている点を褒めるべきなのか、怒るべきなのか……」
「用件はなんだったんだ?」
「王家への献上品に毒物が付着していた件についての報告です」
「ああ、あれか。関係者から話は聞けそうか?」
「ええ。献上された日のことを近衛が覚えているようなので」
「分かった。俺が話を聞くから予定にねじ込んどいてくれ。反乱分子の動向は?」
「そちらはジャスパーから情報が入りました。書庫にある特定の本に、不定期で手紙が挟まれているそうです」
「そろそろ動きそうだな」
「はい。手紙をすり替えているので、もう時期尻尾を出すかと」
「じゃあそっちも摘み取るとするか。建国祭までに多少は進めたいところだな」
時間がいくらあっても足りない。時計を見ると、とっくの昔に日付けが変わっていた。
「計画は俺が立てておくから、お前はもう休め」
テオドールは書類に目を落とす。しかしヒューゴが退出する気配が感じられなかった。
「どうした、まだ報告があるのか?」
「いえ。私があなたより体術に長けていれば、今すぐ気絶させてベッドに放り込むのに、と思っていただけです」
「そんなことしたら仕事ができなくなるだろうが」
「……させたくないから言ってるんですよ」
「理解に苦しむ発言だな。俺が働かなくなった場合、面倒ごとが増えるのはお前らだぞ」
ただでさえ捜査局の扱いが悪いせいで、皆
「俺なら大丈夫だ」
「……まったく。これでは、なんのために……」
ヒューゴが盛大にため息をつき、扉に向かう。執務室から出る直前、立ち止まった彼はわざとらしい笑みを浮かべてこう告げた。
「二時間は寝ろ」
……どうやら今日は、年に一度あるかないかの、ヒューゴの口調が荒れる日だったようだ。
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