第13話 ララ・オルティスの懺悔【テオドール視点】

「母上の涙を見た回数?」


 ララに聞き返しながら、テオドールは母、――マリッサの顔を思い浮かべた。


「難しい質問だな。うちの母は涙腺が弱いから」


 涙もろく穏やかで、家族からも患者からも好かれる人だ。


「場合によっては、暴れる患者を無理やり診療台に押さえつけるくらい勇ましいんだが」

「意外ですね」

「人命救助のためならなんでもする家なんだ。……母の秘密をバラしはしたが、君の質問には具体的な回数で答えられないな」

「充分です。夫人は感情豊かな方なんですね」

「オルティス伯爵夫人とはだいぶ違うか?」


 先ほどの家族の会話からは、落ち着いた印象を受けた。快活なオルティス伯爵とは対照的だったように思う。


「昔はもっと笑う人だったんです。冷静で芯が強いところは今と全然変わっていませんが。……そんな母だから好きになったのだと、父はいつも言っていました」


 過去を思い出しているのか、ララがまぶたを伏せる。色素が薄く長いまつ毛が、儚げで、危うい。

 目を離した途端、どこかに消えてしまいそうだ。


「父が愛した母を、私は奪ってしまいました」


 ララのラベンダー色の瞳が、ただ寂しそうに揺れている。

 彼女に向かって伸ばしそうになった手を、テオドールは膝の上で握りしめた。


(――なあ。どうしてそんなに、我慢するんだ?)


 以前から気になっていた。自分の前では花が咲いたように笑う彼女が、ふとした瞬間に見せる、諦めた表情。


 ララは家族を好きだと言った。あの目は本音を言っている目だった。それなのに、オルティス家はどこかいびつだ。家族と話す彼女も、彼女と話す家族も、お互いにずっと、何かを堪えているように見える。

 愛する相手からの婚約破棄にうな垂れていた昨日よりも、今の方が何倍も辛そうだ。


(吐き出してしまえ。君の手元に残るものは、幸福だけであってほしい。だから不安や苦しみが尽きるまで、吐き出してしまえ。全部あの世に、持っていってやるから)


 テオドールが静かに見守っていると、やがてララは祈るように、心を削るように、つぶやいた。


「私が母を、……泣かせてしまった」


 その声を聞いて理解した。

 これはララ・オルティスの懺悔ざんげなのだと。


「話せることだけで構わない。君と夫人の間に何があったのか、教えてくれないか?」


 彼女の心をすくい上げるように、慎重に話をうながす。するとララが、不安そうにこちらを見た。


「……迷惑ではありませんか?」

「君の心を知ることが?」

「大した内容じゃないんです。私が弱いだけで。答えが出せる問題でもありません。呆れられてしまうかも」

「呆れたりしない。迷惑でもない。俺が知りたいから聞いてる」


 テオドールは視線を逸らさずに告げる。

 数秒の沈黙の後、ララはぽつりぽつりと話し始めた。


「……私、小さい頃は、霊と生きた人間の見分けがつかなくて」

「モルガン局長に言われてたな。誰もいないところに向かって手を振ってたって」

「はい。当時は領地にある本邸で過ごしていて、ほとんど霊を見なかったんです。だから両親も私の体質に気付きませんでした。初めて人前で霊と話をしてしまったのが、九歳の頃……父の仕事の関係で訪れた、カルマン伯爵家主催のお茶会でした」


 最高に聞きたくない名前の登場に、テオドールは心中穏やかでなかった。


 カルマンと自分の間には繋がりがない。ララの婚約者という理由で、テオドールは彼についての情報を遮断してきた。

 繋がりがないにも関わらず、この世で最も嫌いな人間だ。理不尽だろうがなんだろうが、自分の心に嘘はつけない。存在と共にララの記憶から消えてくれないかな、とまで思っている。


「そこで体質が発覚して、噂が広まったのか」

「はい。霊と話す私を実際に見たのは、同い年くらいの子供数人とカルマン卿だけだったと思いますが、噂が広まるのはあっという間でした。あの日から、私は嫌われ者になったんです」


 幼いララは、どんな気持ちで噂を受け止めたのだろう。今だって簡単に壊れてしまいそうなのに。


「呪いとか、他の噂に身に覚えがなくても、霊が見えるのは本当なので、完全に否定できなくて……。すぐに周りからの視線に耐えられなくなってしまいました。なので先ほどお話した、令嬢を失神させてしまったパーティー以外は、ほとんど社交の場に出たことがありません。お茶会に行くのは、いつも母一人でした」

「参加したいとは思わなかったのか?」 

「少しも思わなかったと言うと嘘になりますが、両親がそばにいてくれれば、それで充分だったんです。私は自分だけが被害者だと思い込んで、閉じこもっていただけですから。……母はずっと、耐えてくれていたのに」


 ララが一度言葉を止め、小さく息を吐いた。その息が震えていると気付き、続きを聞きたいのに、話すのをやめさせたいとも思ってしまう。

 

「辛かったら言わなくて良い」

「ありがとうございます。昔のことなので、今は大丈夫です」


 口元だけで、ララが小さく笑ってみせた。


「……もう想像はついていると思いますが、母は私がいないところでも、辛い目にあっていました。守られていただけの私は、そんなことにも気付けなくて。ある日お茶会から帰ってきた母が私を見るなり泣き始めて、やっと気付きました。……私が母の涙を見たのは、あの一回だけなんです」

「その日だけ、夫人の中で何かが切れてしまったんだな」

「溜まりに溜まった負の感情が、溢れてしまったんだと思います。でもあの時も、母は私を抱きしめて、何度も『どうして』と言うだけでした」

「……そうか」

「一言も責めなかったんです。本当は言いたかったはずなのに。私に、『どうして普通に生まれてきてくれなかったのか』って」


 人生で一度だけ見た母の涙が、鼻をすする音が、嗚咽混じりの声が、ララは忘れられないのだろう。


「私がいなければ、お母様を苦しめることもなかったのに――」

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