第12話 オルティス伯爵家

「――お父様、お母様。このような結果になってしまい、申し訳ございません」


 日が暮れて帰宅したララは、両親に婚約破棄の件を報告していた。ローテーブルを挟んで向かいのソファに座る父と母に頭を下げる。


「ララが謝る必要ないよ。一番辛いのは君だろう? 全面的にあちらの都合での婚約破棄だと、カルマン卿も認めていらっしゃるし」


 カルマンからの手紙を折りたたんだ父、デリック。

「慰謝料たくさんもらわないとね」とおどけてみせるのは、彼の優しさからだろう。だがどうしても、父の琥珀色の瞳が細められる度、ララは自分が情けなくなる。


「私がこんな体質でなければ、お二人に無理をしていただくこともなかったのに」

「取引について言ってるのかい?」

「あれは我が家に不利な条件でした」

「大したことないよ。今回の件でカルマン家との契約もなくなるから、これからいくらでも取り返せる。造船技術に関しては、どこにも負ける気ないしね」


 にししっ。父がこの場の雰囲気には合わない笑みをこぼした。


「お父様は、何歳になっても若々しいですね」

「そうかい? 従業員に混ざって木材とか運んでるからかなぁ」

「怪我はしないでくださいね」

「気を付けるよ。仕事を残してきてるから明日には領地に戻るけど、二週間後にはまた王都こっちに出てくると思う。その時に今後についてゆっくり話そう」

「そのことなのですが……仕事を続けようと思っていまして」


 話を切り出すと、それまで無言だった母――ミランダの眉がピクリと動いた。


「あなた、王都に残るつもりなの?」

「は、はい。開発局の仕事が以前よりも多くなっているんです。本来は退職するつもりだったのですが、私でもお役に立てることがあるかもしれないので」

「婚約を破棄された話が、すぐに社交界で広まるわ」


 そうなれば、両親も周囲から心無い言葉を浴びせられるかもしれない。母はいつも通り淡々と話すが、ララは申し訳ない気持ちでまぶたを伏せた。


「……またお母様たちにはご迷惑をおかけしてしまいますが、……私にできるのは、魔道具を作ることだけなので」


 当初の予定通り仕事を辞めて領地に戻るという道もあるが、仲良く過ごしている両親の中に自分が入るのは、邪魔な気がする。二人には厄介な自分の存在を忘れて、幸せに過ごしてもらいたい。

 開発局の仕事にやりがいを感じているし、今はテオドールの手伝いという別の目標もある。だから領地に戻る気にはなれなかった。


「仕事を続ける件は、ヘンリーと話はついてるの?」

「はい。叔父様にも許可をいただきました。婚約破棄の件は噂になってしまうかもしれませんが、カルマン卿にも事情があっての決断だと思いますので――」

「そんなことはどうでも良いのよ」

「え……」

「急に婚約破棄されて、あなたはそれで良いの?」


 母からの問いに、ララは黙り込む。


(良いわけがない。お父様とお母様に苦労ばかりかけて、叔父様にもお世話になって。……それなのに、私はいつも、間違える)


 叔父やジャスパーと話して、前を向こうと決めた。

 霊体のテオドールが現れて、やっと誰かの役に立てるかもしれないと思った。

 でも確信がない。選んだ道が正解なのか分からない。自分の選択は、また間違えているのだろうか。


 この場にいないはずのカルマンが、耳元で囁く。『娘が君でなければ』『君は生きているだけで、家族を不幸にする』と。いつまでも付きまとう、呪いのように。


 言われなくても、後悔は何度もしてきた。

 婚約破棄を言い渡された時、カルマンに泣いてすがれば良かったのだろうか。

 人に迷惑をかけるなら、誰とも関わりを持たなければ良かったのだろうか。

 普通じゃないなら、――生まれてこなければ良かったのだろうか。


 自分には何かが足りなくて、ずっと虚しい。


「……私は、大丈夫です」


 喉が渇いて、渇いて、かすれた声しか出なかった。


「そう。なら好きにしなさい」


 母の言葉を聞いたララは、最後にもう一度頭を下げて席を立った。

 扉の横に待機していたテオドールと目が合ったが、お互い何も言わずにララの部屋へ向かった。









「――グラント卿。どうして外にいるのですか?」


 自分の部屋に着いたララは、部屋の中から扉の外に立つテオドールに声をかけた。

 テオドールは眉間にしわを寄せ、何か考え込んでいる。

 先ほどの両親との会話について、言いたいことでもあるのだろうか。そう思ったのだが、彼の口から出た言葉は、全く関係ないものだった。


「いや、……女性の部屋に、男が入るのは」

「いまさら何をおっしゃっているのですか」


 予想外の答えにふふっと笑う。変なところで真面目な人だ。

 確かに未婚の男女が部屋に出入りしていれば、一般的には大問題。しかしそれは、どちらも生きていればの話である。


「人の研究室には遠慮なく入ってこられたのに」

「声はかけただろ。それにあそこは仕事部屋で、ここは君の部屋だ」

「ではグラント卿は私を、部屋の外に向かって大声で話しかける変な娘にしたいのですか?」

「……入って良いのか?」

「もちろんです」


 入ってくれないと話ができない。


「本当に良いんだな? 後で『お嫁に行けない』って言うなよ?」

「その件は忘れていただいて」

「無理な相談だな。来世まで覚えておくつもりだ」

「……意地が悪すぎます」


 頬に熱が集まるのを感じながら、テオドールを睨みつける。迫力がないことくらい自覚しているが、せめてもの抵抗だ。


「おーおー、怖い。入るから勘弁してくれ」


 テオドールが半笑いなのが気になったものの、ララは初の訪問者に椅子を勧めた。


「グラント卿は霊体なので必要ないと思いますが、お客様を立たせっぱなしなのは落ち着かないので……」

「ああ、ありがとう」


 向かい合って座る二人。

 何から話をしよう。明日からの行動を考えなくてはならないし、テオドールが霊体になったことを伝えるべき相手も確認しておくべきだろう。あとは――、


「なあ、ララ」


 ララよりも先に、テオドールが口を開いた。


「なんでしょう?」

「家族は好きか?」

「はい。とても」


 即答したララに驚いたのか、テオドールの目がわずかに見開かれる。だが、すぐに柔らかく細められた。


「君の髪の色は、伯爵に似たんだな」

「そうですね。顔のつくりも父似だと思います」

「それで、瞳は夫人ゆずりか」

「……はい」


 テオドールにラベンダーみたいだと言われた瞳は、母と同じ色だ。自分は間違いなく、父と母の子だと分かる容姿。


「母と同じ色なのに、私の場合は目が合うと呪われるらしいですけど」

「そう言われるから、ずっとゴーグルで隠してたのか?」


 首を傾げたテオドールに、ララは頷く。

 正確にはカルマンから隠せと命令されていたからだが、テオドールにとっては同じようなものだろう。

 顔を隠さなくては、苦い経験を繰り返してしまうのだ。


「私、十五歳の時に、カルマン家のお屋敷で開かれたパーティーに参加したことがあるんです」

「……ふーん」

「なぜ嫌そうな顔をするのですか」

「元婚約者については特に興味がないもんでな」

「では、そこは無視してください。昔パーティーに参加した時の話です」

「ああ」

「すでに私の噂に怯えている方も多かったので、その時はヴェールを被って参加しました。……でも風で、少しだけヴェールがめくれてしまって」

「顔を見た人間がいたなら、君の容姿についての誤解は解けたんじゃないのか?」

「いえ。私の顔を見たのは同じ年頃のご令嬢だったのですが、……目が合う前に失神されました」

「…………実話、だよな?」

「ええ、恐ろしいことに」


 あの事件以来、ララはカルマン邸でのパーティーにすら参加していない。失神した令嬢よりも、こちらの傷の方が深かった。


「余計に呪いの噂に信憑性しんぴょうせいが増してしまって落ち込みました。両親にも合わせる顔がなくて」

「君がご両親の前だと別人みたいになるのは、そういった問題の積み重ねが原因か?」

「……別人?」

「モルガン局長と話してる時の方が楽しそうだ」

「あー……そう、かもしれないですね。叔父は居場所がなかった私を開発局に誘ってくださった恩人なので」


 久しぶりに家を訪ねてきた叔父が「私と一緒に行くかい?」と手をとってくれたことを、ララは一生忘れない。

 叔父と話す時は心が楽で、安心する。


「父と母の前では、これ以上間違いたくないという気持ちが強くなってしまうのだと思います」

「厳しい方なのか? さっきの様子だと、少なくとも伯爵は君の味方のように思えたが」

「どちらも優しいですよ。……優しいから、私を見捨てられないんです」


 家族だから。親だから。彼らが本心で自分をどれだけうとましく思っていたとしても、見捨てることができない。自分は両親を、血の繋がりだけで縛っている。

 それを分かっているから、本心に触れることが一番怖い。当たり障りのない会話しかできないのだ。


 テオドールのような真っ直ぐな人には、こんな捻くれた感情を理解できないだろう。弱くて、醜くて、さらすべきではないものだ。……それなのに。


「ララ」


 彼は当たり前のように、知ろうとする。


「君が苦しんでる理由はなんだ?」

「――っ」

「何が辛い? どんな障害がある?」


 力強い視線に射抜かれ、この瞬間、望んでしまった。


 渇ききった自分の心を癒したいと。

 胸に刺さった無数の棘を、取り払ってしまいたいと。


「……お答えする前に、グラント卿にお聞きしたいことがあります」

「なんだ?」


 全てを受け入れる海のような彼に、自分の罪を告白したいと。そう望んでしまった。


「――グラント公爵夫人の涙を、何度見たことがありますか?」

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