第11話 お嫁に行けない

「君の体を使う? 俺が?」

「はい、そうです」


 ララが試してみたいこととは、これだった。


「もう何年もやっていないので提案するか悩んだのですが。小さい頃は、たまに霊に体を貸していたんです」

「……なぜそんな危なそうなことを」

「なぜと言われましても、困っている霊がいたからとしか」

「お人好しめ。悪いやつだったらどうするんだ」

「大丈夫ですよ。悪いことを頼むような霊は私の周りにはいませんでしたから。庭師の霊が花の水やりをしたいと言ったので私の体でやってみたり、餓死したと言う霊に体を貸してお腹いっぱいになるまで食べてみたり。そのくらいです」

「変なことされてないだろうな」

「変なこととは?」

「……なんでもない、忘れてくれ。君の体に悪影響は?」

「体を貸した日の夜はもの凄く眠たくなりますが、問題というほどではありません。寝ればいつも通りです」

「本当か?」

「グラント卿、意外と心配性ですね。それは容疑者を尋問する時の顔ですか?」

「容疑者より俺を困らせるのが上手い女性に振り回されてる顔だ」

「ふふっ、なんですかそれ」


 どちらかと言うと困らせるのも振り回すのも、彼の方が上手いと思うのだが。


「私の体は本当に大丈夫なので、信じてください」


 テオドールを見上げて言うと、彼はやっと折れてくれた。


「分かったよ、君を信じる。俺としても体を借りれた方がありがたいしな。早速試してみたいところだが、昔はどうやって貸してたんだ? 手順でもあるのか?」

「小さい頃はなんとなくでやっていたので、決まり事とかは分からなくて。霊とお喋りをしていただけのような……」

「難しい条件はないってことか。じゃあ体を貸してる時はどんな感じだった?」

「んー……。これは完全にイメージなのですが、魂が触れ合っているような……」


 いざ言語化しようとすると、難しいものである。

 

「へえ。魂ってことは、心臓に触れる、とかか?」


 テオドールがひらめいたように、ララの心臓の方を指差した。


霊体このからだじゃあ、心臓に触れるのは難しそうだが」


 すり抜けると分かっているからなのか、テオドールが心臓に向かって手を伸ばしてくる。体を貫かれそうで落ち着かない。


「そうですよね。グラント卿の体は、私をすり抜けちゃいますもん――」


 そこまで言って、ララは言葉を止めた。

 

(あれ……?)


 なぜだろう。突然襲ってきた、圧迫感。

 見てはいけないような気がしたが、視線は素直だ。違和感に向かって下がっていく。行き着く先は、自分の胸元。


「…………」


 どう見ても、押し潰されている。テオドールの手によって。彼は霊体なのに、ララの体をすり抜けていない。


 ……すり抜けて、いない。


「ひ、ひやぁっ⁉︎」


 なんということだ。自分の間抜けな声を嘆く暇もない。一瞬で体中の血が沸騰した。

 急に後ろに飛び退いたせいで体がバランスを崩す。そのまま背中から倒れるかと思いきや、テオドールの右手がララの左腕を掴んだ。


(また、触った……!)


 テオドールのおかげで転倒は避けられた。しかし腕を引かれたことで今度は前向きに勢いがつき、彼の胸元に顔から突っ込んだ。自分の意思とは関係なく、彼の体のたくましさを感じてしまう。

 おまけに腰に腕を回されたものだから、今にも心臓が口から出てきそうだ。


(落ちついて。これは保護、保護よ)


 暴れ狂う鼓動を抑え込もうと必死なララ。テオドールの「なぜだ?」という声が頭上から聞こえたが、彼の胸元しか見えないため状況が分からない。

 彼がもぞもぞと動いていることから察するに、おそらく片手で近くの物に触れられるか試し、見事にすり抜けているのだろう。

 その度に感触を確かめるようにララの体に触れ直すテオドール。腰に回された腕に力が込められ、息の仕方を忘れてしまう。


(もう、無理……)


 とうとう耐えきれなくなったララは、テオドールの制服を控えめに引っ張った。腰がゆっくりと解放され、体がやっと自由になった。

 ひとまず落ち着かなくては。そう思い俯いた途端、テオドールの手に顔を包まれ、至近距離で覗き込まれる。大きな手と海のような瞳が、逃がしてくれない。


「どうして君にだけ触れるんだ⁉︎」


 困惑の表情で聞かれても、こっちだって分からない。霊に触れたこともなければ、まともに男性と触れ合った経験もないのだ。

 だから、今はただ、――熱いだけだ。


「…………お嫁に、行けない」


 やっとの思いで絞り出した声は、テオドールにぎりぎり届いて、溶けていった。自分が今どんな顔をしているのかくらい、鏡を見なくても分かる。

 瞠目したテオドールが、これまでの自分の行いを思い出すように視線を斜め上に動かす。そのままそろーっと両手を顔の横に上げ、こちらから距離をとった。


「……今のは、俺が悪い」



 彼の耳がほんのり赤く染まったものだから、ララの心臓は無駄に脈打つ羽目になった。









 しばらくして顔の熱が引いたララは、先ほどの醜態しゅうたいは忘れる方向で話を切り出した。


「で、では……気を取り直してもう一度、体をお貸しする方法を考えましょうか。グラント卿が私に触れられる理由は、考えても答えが出そうにないですし」

「そ、そうだな。それが良い」


 やや気まずそうなテオドールも、ララの意をんだように浅く頷く。


「ララが昔霊に体を貸してた時は、話をしてただけなんだよな?」

「はい。霊の悩みや望みを聞いて、体を貸してあげたいなぁって思ったら、できていた……という感じだったかと」

「具体的に許可はしたか? 言葉や仕草で」

「体を貸すことについてですか? んー、意識はしていなかったのですが……話の中で『はい』とか『どうぞ』とかは言っていたかも」

「それが条件かもしれないな」

「なるほど。やってみましょうか」


 今度こそ上手くいってほしい。テオドールの視線を受け止め、ララは気合を入れる。


「俺は君に、仕事を手伝ってもらいたい。……ララ、体を貸してくれ」

「はい、どうぞ――っ⁉︎」


 許可した瞬間、自分の体がわずかに浮かび上がった気がして、声がうわずった。

 ああ、懐かしい。この感覚だ。

 目の前にいたテオドールの姿が消え、自分と同じ器に入っていると分かる。


「……思ったより簡単に」


 研究室に落ちた声はララのものだが、つぶやいたのは、ララではなくテオドールだ。


『できちゃいましたね。体動かせますか?』


 ララが聞くと、テオドールは手を握って開いてを繰り返す。作業台にも問題なく触れられるようだ。


「凄いな、自分の体みたいだ」

『おそらくですが、動きの癖みたいなものはグラント卿のままだと思います』

「ほう。君が話しても声は出ていないみたいだが、俺が入ってる時は君は何もできないのか?」

『どうなんでしょう? 試したことがなかったので……』


 今はテオドールに頭の中で話しかけている状態だ。

 彼が体に入っていても、自分の意思で動くことは可能なのだろうか。疑問に思ったララは、口元だけ動かせるか試してみた。


「……あー、あー」

「声、出せたな」

「ですね。私が意識すれば、体の一部分だけ動かしたりもできるみたいです。こっちの方がお話ししてる感じがあって楽しいですね。全部私の声ですけど。……せっかく体に入ったことですし、何かやってみますか?」

「いや。体を借りれることは分かったし、一回出る」

「え、もうですか?」


 ララの質問と同時に、テオドールが体から出た。出るのは入るよりも簡単なようだ。


「色々試さなくて良かったのですか? 文字を書いたりとか」

「その辺は実際に仕事をしながら慣れていくことにする。あまり長く入ったままだと、君が眠たくなるんだろ?」

「それは、そうですけど」


 昔と違って体も成長しているし、限界まで試しても良かったのに。そう思ったのが顔に出ていたのか、テオドールが苦笑いを浮かべる。


「君には今夜、大事な任務があるはずだ」

「あー……」


 意味を理解したララは、窓の外を確認する。そろそろ日が沈み始める時間だ。

 早く家に帰って、両親に婚約破棄の報告をしなくてはならない。


「いっそのこと、全部忘れて眠ってしまいたかったです……」


 ララはぽつりと、本音を漏らした。

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