第二章 半透明な令息と、初めてだらけの二日間

第10話 提案

 他の局員たちの出勤時間になったため、テオドールとララは共同スペースから研究室に戻ってきた。二人で作業台の前に並び、今後について話し合う。


「――期間は五十九日でどうだ?」


 そうテオドールから提案されたのは、いくつかの決め事をした後だった。


「私がお手伝いする期間ですか?」

「ああ。神の元に帰るまでには五十九日あるだろう? その間、君に仕事を手伝ってもらいたい」


 どうやら彼は、五十九日の話を信じているようだ。そしてその全てを仕事に捧げるつもりらしい。

 ララは一応、昨日ジャスパーにした話をテオドールに伝えることにした――。




「へえ、帰る日は案外自由なんだな」

「そうなんです。なのでグラント卿が好きなだけこの世に残られても、問題はないと思うのですが」

「んー、ありがたい話だが……やはり任務達成のためには、期限を設けないとな」


 さすがは仕事人間である。


「それに、いつまでも君の時間を奪うわけにはいかないし」

「お手伝いするのは私の仕事が終わった後の数時間だけという話になったじゃないですか。そのくらいなら問題ないですよ」

「さっきまで俺を恨めしげに見てたくせに、随分と協力的だな」

「あれはグラント卿が悪魔のような顔で笑っておられたからで、手伝うのが嫌だったわけではありません」


 これは本心だ。失礼な部分も含めて。


「今までお世話になりましたし、仕事と言えど、グラント卿とお話する時間は好きなので。よく考えてみたら、開発局員以外で私が楽しく会話できるのって、あなただけなんですよ」

「……そう、か」

「はい。身分差的にも、こんなに普通に話せるようになるとは思っていませんでした」


 全て嘘偽りなく、本心からの言葉だった。テオドールのくだけた性格は、不思議なほどに心地よい。……だからだろう。半透明な彼に、できるだけ長く、この世にいてほしいと思ってしまうのは。

 自分の願望をこっそりと胸に閉じ込め、テオドールに微笑んでみせる。


「グラント卿には、最高の気分で神の元に帰っていただきたいのです。……そこで提案なのですが、期間を六十日にしてはどうでしょう?」

「足した一日はなんだ?」

「安眠の間の効力が切れるのが、六十日後……八月十六日の午前四時なんです」


 仕事をしたいという彼の考えを尊重するつもりだが、やはり少しくらいは家族との時間をとった方が良いだろう。安眠の間が解ければ、自由に屋敷に入れるはずだ。

 ララの考えを理解したのか、テオドールが急に頬を緩めた。困ったような笑顔は新鮮である。


「人と関わらなかった割には世話焼きだなぁ、君」

「余計なお世話でしたか……?」

「ん? いや、なんと言うか……心臓の辺りが、くすぐったい」

「それは医学的に大丈夫なのですか?」

「もう死んでるから大丈夫なんじゃないか?」

「申し訳ございません。質問を間違えました」

「ふっ、……ははっ。その顔が面白いから許す」


 こちらは失言に血の気が引いたというのに、当の本人は愉快そうに喉を鳴らしている。


「君の意見を採用して、六十日後に帰ることにする。……改めて、八月十六日が終わるまで、よろしく頼むぞ。ララ」

「はい。精一杯お手伝いさせていただきます」


 机に置いてあるカレンダーをめくり、別れの日に印を付ける。この日の自分は、一体どんな気持ちで彼を送り出すのだろうか、と考えながら――。







 今日は早朝勤務だったこともあり、いつもより早めに仕事を終えた。共同スペースで片付けをしていると、テオドールが外から帰ってきた。ララの仕事中は捜査局の様子を見に行っていたのだ。

 彼は局員たちを避けもせず、すり抜けて一直線に飛んでくる。少々霊体に慣れすぎではないだろうか。


 ララは手早く片付けを終え、研究室に向かって廊下を進む。周りに人がいなくなったのを見計らって、隣を歩くテオドールに声をかけた。


「どうでした? 捜査局は」

「どいつもこいつも、俺が死んだと知って泣き喚いてた」

「ですよね……。開発局もあなたの話題で持ち切りでした」

「王城内はひと通り見て回ったが、どこも同じような反応だった。予想以上に伝わるのが早いな」

「グラント卿の死は、国への影響も大きいですから」

「ほぼ無関係な人間にまで泣かれると困るんだが」

 

 その言い方だと、今朝涙を止められた自分も『ほぼ無関係』というくくりであると思い知らされるようで、なんとなく、ちょっぴり悲しい。テオドールを困らせたいわけではないため、言わないが。


 きっと昨日ジャスパーと話していた侍女や騎士も、テオドールの死に涙を流していることだろう。テオドールとジャスパーは雰囲気が違うものの、どちらも人を惹きつける魅力があると思う。嫌われ者の自分にも、一滴くらい分けてほしい。


「捜査局にいても野郎どもの泣き顔を見るだけだから、今日は俺も君の家について行く」

「構いませんが、楽しいことは何もないですよ? 私としては、今日からお手伝いしたかったんですけど」

「いーや。君はご両親に婚約破棄の件を報告すべきだ。それに手伝ってもらうためには、まだ考えないといけないことがあるしな」

「確かにそうですね」


 仕事を手伝う、と口に出すのは簡単だ。しかし現実は、そこにたどり着くまでにクリアしなくてはならない問題がある。


「まずは捜査官たちに、俺の存在を認めさせる必要がある。局に入れなかったら仕事どころじゃないからな」

「それってやっぱり、私があなたの言葉を伝えるってことですよね?」

「ああ。緊張するか?」

「それもそうですけど、……信じてもらえる可能性が低いというか、怯えられそうな気がします」


 全員が叔父のような広い心の持ち主ならば嬉しいが、残念ながらそうではない。そうでなかったから、自分は嫌われているのだ。


「お手伝いすると決めたからには、周りになんと言われてもやり通しますけどね」

「……報酬ははずむ」

「それは断ったじゃないですか」


 実は今朝の話し合いの最中、テオドールから多額の謝礼金を出すと言われた。捜査局にある彼の私室に、個人資産の一部を保管しているらしい。


「礼も渡さずに、ただ手伝わせるこっちの身にもなってくれ」

「お礼がなくても、こき使って良いですよ。……でも、そうですね。もし気になるようでしたら、空いた時間に私の話し相手になってください」

「そんなことで良いのか?」

「私は嬉しいです」

「……分かった。約束しよう」

「交渉成立ですね」


 報酬が決まったところで研究室に到着した。ララが鍵を開けるのを、テオドールは律儀に待っている。すり抜けて先に入っても怒らないのだが。


「じゃあ次は、どうやって効率よく仕事を進めるかだな」

「それについてはですね、……というか、全部に関係することなのですが」

「どうした? 犯行動機を吐く直前の容疑者みたいな顔して」

「毎回容疑者で例えるのやめてもらえませんか」

「似てるんだからしょうがないだろ」


(やっぱり提案するのやめようかな……)


 テオドールの願いを聞いた時から、試してみたいことがあった。


「絶対にできるという保証はないのですが」


 彼の願いを叶えるためには、これが最善だろう。

 扉を開けて、二人で研究室に入る。ララは廊下に人がいないことを確認し、静かに扉を閉めた。


「グラント卿。――私の体、使ってみませんか?」

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