第9話 半透明な依頼(2)
「グラント公爵家が、なぜ殺しの対象になるのですか? 多くの命を救ってこられたんですよね?」
王家にも長年尽くしてきたと聞く。恨まれるより、感謝されるべきなのではないだろうか。
「救ってきたからこそ、恨まれるんだよ」
テオドールは当たり前のように答えるが、ララにはいまいち理解できなかった。表情に出ていたのか、テオドールが補足説明をする。
「捜査局と同じだ。人を救っても、全員に感謝されるわけじゃない。我が家の人間は命を救うことを最優先に動くから、例え怪我をした人間が誰かの敵であっても、助けを求められれば全力を尽くす」
話の着地点が見えてきた。そういうことか、とララは俯く。
「自分にとっての救うべき相手が、誰からも愛される人だとは限らない……」
「ああ。全員から好かれる人間なんて、ほぼいない。だから捜査局の局長だった俺も、グラント公爵家の跡取りだった俺も、手を差し伸べた分だけ、誰かの手を振り払ってることになる」
もちろんテオドールの言い方は極論だ。実際は彼や彼の家族に感謝している人間の方が圧倒的に多いはず。だが、手を振り払われたように感じる者もいる、という意味なのだろう。
「グラント卿が他殺だと考える理由は分かりました。事実を確かめなくても良いのですね?」
「死因が判明したら生き返るってなら調べるけど、そういうわけでもないし。それなら時間を有効に使いたい」
テオドールの予想通り他殺だった場合、耳を塞ぎたくなるような内容である可能性が高い。調べたところで彼より先に自分の方が耐えられなくなりそうだ。
本人が別のことに時間を使いたいと言っているのだから、そちらを優先するべきだろう。
「では、……グラント卿の願いとは、一体何なのですか?」
よほど切実な願いに違いない。それが叶えば、この世への未練なんて、なくなってしまうほどの。
「仕事がしたい」
「…………ん?」
「言い方を間違えたな。俺はこんな体で仕事をしたくてもできないから、君に、俺の仕事を手伝ってほしい」
ララは二、三度、小さく頷いた。感情を落っことしたような顔で。
大切な人に感謝や別れを伝えたいわけでも、失った自分の記憶について知りたいわけでもなく、……仕事。
「正気ですか?」
「なかなか言うじゃないか」
しまった、つい本音が漏れてしまった。だが間違えてはいないはず。仕事人間だとは思っていたが、まさかここまでとは。
「い、いや、大変素晴らしい考えだと思うのですが。……本来ですね、神の元に帰るまでの期間は、一番大切な方のそばで過ごすためのものでして」
「……知ってる」
なぜかバツの悪そうな表情で視線を逸らすテオドール。
「ご存知なのに仕事をしたいんですか? あんなに悲しそうだった夫人から離れてでも?」
「そりゃあ後継が死んだら悲しくもなる……ん? 待て。その言い方だと、君が母と会ったみたいじゃないか?」
テオドールが不思議そうに眉を寄せる。そうだった、今朝の依頼のことをまだ話していなかった。
「その件は後で時間があったらお話しします。とにかく後悔しないように、グラント卿はご家族のそばで過ごすべきです」
「家族が悲しんでいるのは理解してる。だが俺は、家族が弱い人間でないことも知っている」
そう語るテオドールの瞳が、あまりにも真っ直ぐだったから。ララはなんだか、眩しいものを見たような気がした。
彼は家族を愛し、愛されて生きてきたのだ。誰よりも家族の気持ちくらい、理解しているだろう。
「……申し訳ありません。部外者が出過ぎたことを言いました」
「いや、良い。もっともな意見だからな。自分の意思を優先してる俺の方がおかしい。……まあ家族の元で過ごさないのは、別の理由も絡んでるんだが」
「と、言いますと?」
「家に入れないんだ」
「ヘ? さっき一度、帰られたんですよね?」
「ああ。だが搬入される棺を見て家に入ろうとしたら、なぜか裏門に出てた」
「正門から裏門に……?」
「そうだ。
(もしかして……)
思い当たるふしがある。頭のてっぺんから足の先に向かって、サーッと嫌な予感が駆け抜けた。
「グラント卿、ちょっとここで待っていてください。絶対に、待っていてください」
引きつった笑みを浮かべて、ララは一度退室する。そして廊下に出た途端、駆け出した。共同スペースで仕事中であろう叔父を目指して。
「叔父様! ヘンリー叔父様!」
「どうしたんだい、慌てて」
普段走る機会が少ないせいで、早くも息が上がっている。
「お、お聞きしたいことが、あるんです。安眠の間の、効力って」
ここまで言って、続ける言葉が出てこなくなった。
なんと聞くのが正解なのだろう。聞きたい内容は明確なのだが、内容自体が奇人のそれである。だが、どうしても聞かねばならない。
(――ああっ! 今は緊急事態、仕方がないわ)
結局、勢いに任せることにした。
「安眠の間の効力って、
言ってしまった。もう後には引けない。目を丸くした叔父を見て、心の中で謝罪する。狂った姪でごめんなさい、と。
だがすぐに、叔父の異変に気付いた。
「ララが私に霊の話をしてくれるなんて……何年ぶりだろう。ゴーグルも外してるし……」
「あ、あの、叔父様?」
おかしい、予想した反応と違う。絶句しているわけでも、青ざめているわけでもない。
叔父は茶色の瞳を潤ませ、喜んでいる……ように見える。
「小さい頃は誰もいないところに向かって、笑顔で手を振ったりしてただろう?」
「そんなことも、ありましたね……」
許してほしい。当時は生きている人間と霊の見分けがつかなかったのだ。
「あのララが可愛かったんだよ、とっても。だから久しぶりに君が霊の話題を出してくれて……あ、ダメだ。涙出てきた。みんなが来る前に顔洗ってくるね」
目元を押さえた叔父が廊下の方に進もうとする。まだ答えをもらっていないのに。
「叔父様、安眠の間の効力についてなのですが」
「ああ、それを聞きに来たんだったね。あれは私とララの最高傑作だから、軍隊だろうが魔道具での攻撃だろうが、もちろん霊だって通さないよ。入れるのは門番の許可が降りた時だけ。って言っても、許可には視認が必要だから、霊の場合はララが門番じゃないと無理だけどね。現段階で門番をしていらっしゃる陛下やグラント公爵夫人には許可できない。どう、答えになったかい?」
「はい。……完璧です」
完璧に、自分と同じ考えが返ってきてしまった。
「それなら良かった。じゃあまた後でね」
こちらに背中を向けた叔父が、今度こそ廊下の方に消えていく。平静を装って見送ったララだが、心臓はバクバクと暴れていた。
まずいことになった。今までの話を整理すると、つまり――、
「ふーん。俺が屋敷に入れないのは、安眠の間が原因ということか」
(グ、グラント卿⁉︎)
研究室に置いてきたはずのテオドールが、いつの間にか背後に浮いていた。
「なぜここに⁉︎ 待っていてくださいと言ったではありませんか」
「確かに言われた。が、
忘れていた、彼はこういう性格だった。一瞬で冷や汗が噴き出る。
話を聞かれた。まずい、この状況は非常にまずい。
「なんだっけ? 君が作った魔道具のせいで、俺は屋敷に入れず」
「叔父との共同開発なので、私だけのせいでは」
「展開したのは誰だ?」
「……私です」
「ほう。君がうちの屋敷に展開したから、俺は家族の顔をゆっくり見ることもできない、と」
「さっきはご家族との時間よりも、自分の意思を優先するとおっしゃったではありませんか」
「そうだったか? 忘れた」
「……そ、そもそも展開要請を出したのはあなたのご家族で、私は仕事をしただけ……」
「ふーん」
ああ、これはダメだ。どうやったって彼には勝てない。安眠の間を展開した時点で、自分の負けは確定していたのだ。
「……何からお手伝い……いたしましょう」
ララが無駄な抵抗をやめると、テオドールは快晴の空を思わせる爽やかな笑顔を浮かべた。
「話が早くて助かる」
快晴の空は嘘だ。爽やかな悪魔にしか見えない。
がっくりと肩を落としたララは、こうしてテオドールの仕事を手伝うことになった。
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