第14話 そっくりだ【テオドール視点】

 夜が更け、ララの就寝時間になったため、テオドールはララの部屋を出てオルティス家を見て回ることにした。

 

 人気のない廊下を歩く。途中、浮かんでは消える、過去への後悔。

 なぜ自分は、幼い頃のララと出会えなかったのだろう。暗く冷たい世界の中に、彼女を一人にしてしまったのだろう。


「……分かってる、つもりだったんだがな」


 常にゴーグルをつけていたって、分かっているつもりだった。ララが噂とは全く異なる人間であることも、聡明で優しく、美しい人間であることも。

 だが、肝心なことを何も分かっていなかった。


 皮肉なものだ。抱え込んで大きくなりすぎたこの気持ちを、伝える資格がなくなってから。――死んでから、ララの孤独に初めて触れられた。


「あと、五十九日か」


 残された時間で、自分に何ができるだろう。

 考えながら廊下を進むと、明かりが漏れている部屋にたどり着いた。中からオルティス伯爵と夫人の声が聞こえる。


 もし。もしもだ。彼らがララのことを悪く思っているならば、自分は彼女の親であっても好きにはなれないだろう。

 盗み聞きの趣味はないが、テオドールは扉をすり抜けて部屋に入った。彼らの本心を探るために。

 入った直後聞こえたのは、オルティス伯爵の声だった。


「――ミランダは本当に良いのかい? ララと一緒に領地に戻らなくて」

「…………」


 船の模型をいじりながら、伯爵が夫人に尋ねる。しかし夫人は、答えようとしなかった。


「連れて帰らなくて後悔しない?」

「……しないわ。王都に残るのがあの子の望み。ヘンリーには心を開いてるから、仕事の方は安心だし」

「このまま言わないつもりかい? ララに家以外の居場所を作ってやりたくて、開発局に入れるように頼み込んだのは君だってこと」

「言う必要ないもの。ヘンリーが局長として好き放題できる権限を持ってなかったら、十歳の女の子を入れるなんてできなかったわけだし」


 部屋の入り口付近で様子をうかがっていたテオドールは、オルティス夫妻の会話に眉をひそめた。

 ララは開発局の局長を恩人だと言っていた。そして自分のことを両親から疎まれる存在だと考えているようだった。だが彼女の両親の発言は、そうは聞こえない。

 微妙に食い違う情報。困惑するテオドールに気付くはずもなく、夫人は言葉を続ける。


「婚約破棄の噂が広まって、またあの子が傷つくのは嫌だけど……。ララにやりたいことがあるなら、一緒に暮らしたいなんて言うべきじゃないわ。母親のわがままは邪魔なだけだもの。私たちがやるべきなのは、あの子が領地に戻りたいと思った時に、いつでも戻ってこられる環境にしておくことよ」

「……そうだね。ミランダが納得してるなら良いんだ。君はいつでも、一人で後悔するから」

「仕方がないじゃない。後悔するなって言う方が無理よ。きっと死ぬまで思い続けるわ。……どうして愛するあの子を、普通に産んであげられなかったのか、って」

「君のせいじゃないよ。もちろんララのせいでもね。……あーあ。例え貴族や国にララの体質が受け入れられなくても、私は君たちがいてくれれば幸せなんだけどなぁ。ララは王都に残るのかぁ」

「何よ、あなただってララに領地に戻ってきてほしかったんじゃない」

「当たり前だろう? 私の天使だ」

「私のよ」

「あー、はいはい。私たちの、だね。真顔やめてよ。そんなに好きならララの前でくらい昔みたいに笑えば良いのに」


 苦笑いを浮かべる伯爵の言葉に、テオドールは思わず頷いた。

 一連の流れから察するに、夫人は表情と言葉がちぐはぐだ。分かりにくいなんてもんじゃない。相手が捜査局の連中なら、首根っこを引っ捕まえて「お前の表情筋は金属製か?」と言うところだ。


「ララの笑顔を奪ったのに、私だけ笑えるわけないじゃない。あの子は文句ひとつ言わないけど、恨まれてたっておかしくないもの」

「そんな子じゃないって分かってるだろう? カルマン卿に婚約破棄されても、私たちに気をつかうだけで、彼を悪く言ったりもしない。仕事の関係で仕方がなくって言われたら、納得するしかなかったのかもしれないけど。……でも、やっぱり変じゃないか?」

「何が?」

「カルマン卿だよ。結婚を目前にした婚約破棄に表れてるけど、ララへの配慮が足りない。それに十年も婚約者として生きてきたのに、最後の手紙の内容はララへの気持ちや謝罪ではなく、私に向けた事務的なものだった。心というか、思いやりが全く感じられないんだ。ララの様子を聞くために定期的に交わしていた手紙の内容も、もしかしたら嘘だったのかも」

「どうでも良いわ」

「またそんな言い方して」

「あなただってそうでしょう? 婚約者がいた方がララの味方が増えると思って受け入れただけ。あの子の優しさに十年経っても気付かないような……ララに人並みの幸せを約束するという、たった一つの条件すら守れないような小さい男、生きてようが死んでようがどうでも良い」


 夫人は辛辣な言葉をしれっと吐く。拍手を送りたくなるほど潔い。自分が生きていれば、間違いなく気が合っただろう。


「……あの子が笑って暮らせるなら、他はどうでも良いのよ」


 夫人の本心を知ったテオドールは、しばしその場に立ち尽くす。

 今ララに夫人の心を伝えたら、彼女の孤独は終わるだろうか。……考えてみたが、おそらく難しい。

 霊と違い、ララには人の話をこっそり聞くなんて芸当はできないのだ。一時的に関係が回復しても、いずれまた他人の本心が気になり、不安になり、再び自分を責めるだろう。だからこんなにもこじれているのだ。

 終わりにするには、ララが自分自身と特異な体質を受け入れる必要がある。

 難しくとも、方法を見つけるしかない。


 テオドールは退出し、廊下から窓の外を見る。月が綺麗な夜だ。


「……戻るか」


 無性にララの顔が見たくなった。廊下を進みながら、拗れたオルティス家の関係を整理する。


 どうして普通になれなかったのかと、己を責め続けてきたララ。

 どうして普通に産んでやれなかったのかと、己を許せない彼女の母親。


 さすが親子、と言うべきなのだろうか。


 ――優しすぎて臆病なところが、そっくりだ。









 テオドールがララの部屋に戻ると、すでにララは眠っているようだった。明かりが消えた部屋に、彼女と自分しかいない。

 多少の後ろめたさがあるものの、宙に浮いてベッドに近寄る。ララを起こさないように掛け布団に手を伸ばすと――、


 やはり、すり抜けないか。


 ララが触れているものならば、服以外にも触れるらしい。

 ベッドサイドにゆっくりと腰掛け、月明かりでわずかに照らされたララの寝顔を覗く。無防備な寝顔は、普段より幼い。

 柔らかそうな頬だなと思った途端、昼間の出来事が脳内に蘇った。いまだに手に残る、抱きしめた時の、ララの感触。


「華奢なのに柔らかいって、どうなってるんだ……」


 無意識に声に出してしまい、一人で頭を抱える。


 すり抜けなかったことが衝撃的で、紳士としてはあり得ない触れ方をした。瞳を潤ませて首まで真っ赤になったララの顔は、忘れてやれそうにない。

 頬を染めたり、口を尖らせたり、視線を泳がせたり……目尻を下げて、笑ったり。


 全部全部、忘れてやれそうにない。


 ララのミルクティーベージュの髪をさらりと撫で、テオドールは頬を緩めた。


「今日の夜空に誓おう。君が心の底から笑える場所を、俺がつくるよ」

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