第16話 喫茶店

 喫茶店「ニルギリ」。

 個人経営のそこは、店長の100%趣味で作られている。ゆったりとした空間とイージーリスニング。壁には本棚が置いてあり、こそで雑多な本達がお行儀良く座って、くつろいでいる。

 店長と目が合い、目礼をする。店長は紗儚先輩を見て、なんだか少し笑ったような気がする。あとで言い訳をしようと思う。ボクは、一番奥のテーブル席に進んだ。


 ──そういえば、紗儚先輩と二人で話すのは始めてだ。

 なにぶん立場的に生徒会長と凡百の徒、という立場のことが多かったので、こうして純粋に先輩と後輩として面と向かうのは初めてだ。

 いや、違うか。

 先輩後輩の話をするのに、わざわざ呼び出しはしないだろう。となれば、ポケギガの話である可能性が高い。

 ゲームの話となれば、盟主同士だ。対等な立場だ。ここだけは引けない。ボクは気合いをいれた。


「良い雰囲気の喫茶店ね」

「そうですよね。学校の奴らもあんまり来ないし、混んでるわけでもないので重宝しています」

「輝君はセンスがいいね」


 ボクはあまり誉められ慣れていない。

 しかも先輩からそんなことを言われて。正直、どう返事をするのが正解か、わからない。しかたないので、そのまま伝えた。


「──紗儚先輩にそういってもらえるのは、光栄です」


 紗儚先輩は少し笑って、そうして紅茶に口をつけた。

 ボクもそれにならって、カップを口に持っていく。

 顔をあげると、紗儚先輩がこちらを見ていた。思わず視線をそらして、外を見た。

 紗儚先輩は、微笑みながらこちらを見ているだけで、話しかけては来なかった。少し気まずくなり、適当な話題を振る。でも、どれも短い会話で終わってしまう。紗儚先輩は、ずっと微笑んで、こちらを見ていた。

 ボクは辛くなり、こちらから本題を振った。


「紗儚先輩。話って、なんですか」

「うん。気を使わせて、ごめんね。輝君はどんな人なのかなって、ずっと考えていて」

「別に、普通ですよ。でも、ゲームは好きです」

「そうね。私も。ゲームは好き」


 紗儚先輩は、急に「いいことを思い付いた」と、いたずらげに言ってきた。


「輝君は、将棋はできる?」

「そこそこできますね。将棋アプリで四段あります」

「それじゃあ、指しましょう」

「ここで、ですか? 盤も駒も無いですし。スマホで、ですか?」

「盤も駒も、あるじゃない。私たちのココに」


 そういって、紗儚先輩は、人差し指で頭を指差した。

 目隠し将棋。

 お互いの頭のなかで、盤と駒を想像して、動かして、指す将棋。

 キーボードのブラインドタッチと同じ。何千と繰り返した動きは、目をつむってでもできるようになる。


「良いですけど、ボクで相手になりますか?」


 ボクは警戒していた。目隠し将棋をしよう! なんて人に、普通の人はいない。よっぽど強い人か、もしくは変態に決まっている。


「輝君には強制しない。アプリを使ってくれても構わない。自分の実力を出せる方を選んで良いよ」


 ボクはため息をついた。なんでゲームの強い人って、こう、好戦的なのだろう。そう思ってから、すぐに答えが出た。

 ──好きで、楽しいから、だ。

 勝利も敗北も何百何千と繰り返してきた。結果になんか飽きている。砂糖のように一瞬で消えるものよりも、刺激的なゲームを、コミュニケーションを楽しみたいのだろう。


「いいですよ。始めましょう。先手、貰って良いですか」

「ええ。どうぞ」

「7六歩」

「8四歩」


 こうして、言葉だけで、対局は進んでいった。

 戦形はボクの四間飛車と紗儚先輩の棒銀になった。

 将棋にはその人の本質が出ると思う。

 ボクの四間飛車は、将棋初心者にも覚えやすい戦形として紹介されることが多い。玉を堅く囲える分、受けの展開になりやすい。自分の力でなく、相手の攻撃をうまく利用しながら切り込んでいき、勝負する戦形だ。

 対する紗儚先輩の棒銀は、四間飛車側が一番最初に対策を覚える戦形だった。相手が防御に手数をかける分、棒銀側は攻撃の方に手をかける。そのまま、銀の力を使って、押し潰し、なにもさせずに勝つ。そんな戦法だ。でも互いに、定跡という最善手での応手を間違えずに進めれば、結果的には五分五分の勝負になる。あとはお互いの実力勝負になりやすい。

 互角の中盤戦を終えて、終盤戦に入った。

 お互いに斬り合った。肉を切らせて骨を断つ、なんてものじゃなかった。骨を切らせて、骨を断つ。あとはどちらが先に、立てなくなっているか。そんな勝負だった。

 最終盤。紗儚先輩は、一度だけ力を溜めた。それは、確実にボクの玉将を捕らえるだけの、厳しい指し手だということはわかった。

 ボクの選択肢は2つ。

 紗儚先輩の王将を詰ましに行くか。

 攻防の一手を放つか。

 紗儚先輩の王将は、最善を組み合わせれば捕まえられそうに感じた。問題は、最善を指し続けられるかどうか。

 視界のない、完全な暗闇のなかで、引かれた直線の上を踏み外すことなく歩き続ける。そんな感覚だ。一歩や二歩じゃない。どこまで続くか分からない道だ。それを、ミスなくやれるか。

 ボクは、無理だと判断して、攻防手の方を差した。

 結果的に、それが敗着になった。

 紗儚先輩が鮮やかに、ボクの玉将を討ち取った。


「──負けました」

「ありがとうございました」


 そのあと、対局を振り返って検討した。

 結局、ボクに巡ってきていたチャンスは、あの一回だけだった。

 感想戦も終わり、全部終わったあとでも、悔しさに眉根をしかめているボクに、紗儚先輩は言った。


「終盤。どうして、詰ましに来なかったの?」

「攻防手が先に見えていて。あとは詰みがないか読んだんですけど、読みきれなかったので。なんでですか?」

「答え合わせ。輝君はたぶん、詰ましに来ないと思ったから。その理由の答え合わせ」


 見透かされた、と。

 それくらい実力に差があったんだろう。敗者は黙って、その実力差を受け入れるしかない。でも、ちょっとだけ言い返す。


「──先輩は、人を見て指すタイプなんですね」


 将棋指しには2タイプいる。

 最善手を追い求め、盤面を見るタイプと。

 対局相手の見ているところを、見ているタイプだ。

 相手の目線から、どこを見ているかを把握し、そこから相手の手を読む。ボクの苦手な、トリッキーなタイプだ。


「ええ。私はたぶん。人にしか興味がないの。私の向かい側に立ってくれる人にしか、ね」


 向かい側?

 どういう意味だろう。


「──対戦相手、ってことですか?」

「そう。対戦相手」


 紗儚先輩は、嬉しそうに目を細めた。


「輝君は、味方と敵、どっちが欲しい?」

「珍しい質問ですね。たぶん、普通の人は、味方って言うと思いますよ」

「そうね、私もそう思うわ。でも、私は敵が欲しい。たぶん、人に恵まれたから。

 私の周りにはずっと、味方しかいなかった。だから、私は敵が欲しいの。だから、楽しいことは好きだし、辛いことは大好きなんだと思う」


 紗儚先輩は、ボクを見ながら、独り言みたいに言っていた。たぶんきっと、聞いて欲しいとか、理解して欲しいとかではなくて、言いたいから言っているだけなんだろう。


「でも。輝君には、味方でいて欲しい」

「……? そのつもり、ですけど」

「良かった」


 紗儚先輩はそういって笑うと、いつもの表情に戻した。


「たぶん次の戦いで、覇国天武をトウカン地方から追い出す。追い出しさえすれば、関所をを破るのは無理。あとは、チュウキ地方を一掃して。そこまで来れば、覇国天武は降伏する」


 紗儚先輩は、手を組んで肘をついている。その口許は、手で隠れている。

 

「史上2つ目の、全国統一同盟になる。長年の夢が叶う」


 紗儚先輩はの口許は隠れている。でもきっと、その口許は弧を描いて笑っているのだろう。


「でも、もっと楽しみなことがあるの。クリスマスのプレゼントを待ち焦がれる子供みたいに。胸を焼かれていることが。──輝君が居てくれたから」


 紗儚先輩はそういうと、今度は本当に、嬉しそうに笑って見せた。

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