第11話 サレ妻、破棄する。
教会の扉がゆっくりと開き、父であるバデル公爵にエスコートされた花嫁が姿を現した。教会の内部は広く、高い天井に取り付けられたステンドグラスから差し込む陽の光は柔らかく美しい。荘厳な場にふさわしい毅然とした足取りでバージンロードを歩いていく花嫁の姿に誰もがうっとりとため息をついた。
ウエストから裾にかけてAライン状に広がるスカート。胸元から首元、腕も手首までを細かく繊細に編み込まれたレースで隠す露出の少ない伝統的なデザイン。そんなクラシックスタイルのドレスでハナは現れると誰もが思っていただろう。
しかし、アデレードがハナのために用意したのはマーメイドラインのドレス。胸元から膝までは体のラインにそってフィットさせ、裾は人魚の尾ひれのように長く広がっている。
体のラインがはっきりとわかる上に肌の露出が多いこの流行のスタイルは着る人によっては下品に見える。でも、すらりとした体付きのハナが背筋を伸ばして、淑女らしく優雅に、しかし、凛として歩けば印象は全く変わる。
参列者たちも、祭壇の前でハナを待つ新郎のレオまでもが純白のドレスに身を包み、一歩、また一歩とバージンロードを歩いてくるハナの姿に見惚れた。
祭壇の前までやってきた花嫁を新郎に託し、父であるバデル公爵は親族席についた。
「ずいぶん気合が入ってるね。そのドレス、すごく綺麗だ。ハナらしくはないけどね」
レオが差し出した手を一瞥、ハナは顔をあげた。レオが満足げに笑っているのはハナのウェディングドレス姿も、この結婚式も、自分のためのものだと信じて疑っていないからだろう。
いつもならすぐに目を伏せるハナが挑むように見返すのがベール越しにでもわかったのだろう。
「……っ」
レオは息を呑んだ。
レオが差し出した手に触れることなく、しかし、それらしく見えるように手を乗せてハナは祭壇の前に立つ牧師に向き直る。不満げに顔をしかめながらレオも牧師に向き直った。
牧師は穏やかに微笑んでお決まりの前置きを述べた後――。
「新郎レオ・トンプソン。あなたはハナ・バデルを妻とし、病めるときも健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを創国の王キウェテルとその血脈たる国王の名のもとに誓いますか?」
レオに向かって尋ねた。
「誓います」
レオは迷いなく、胸を張って答えた。
牧師は満足げにうなずくと続いてハナに向かって尋ねた。
「新婦ハナ・バデル。あなたはレオ・トンプソンを夫とし、病めるときも健やかなるときも、愛をもって互いに支えあうことを創国の王キウェテルとその血脈たる国王の名のもとに誓いますか?」
深呼吸を一つ。
ハナもまた、迷いなく、胸を張って答えた。
「誓いません」
ハナの言葉の意味を理解したのだろう。一瞬の静寂のあと、教会内にざわめきが広がった。笑みを浮かべてハナの言葉を受け止めているのはアデレードだけだ。
そして――。
「ハナ、何、間の抜けた言い間違いしてるんだよ。まだ体調が悪くて頭がまわってないの? 体調管理くらいしっかりしてよ、正室さん」
言い間違えただけだと――ハナが自分に逆らうわけがないと少しも信じて疑っていない様子のレオが声をひそめて言った。ハナはウェディングベールをあげ、そんなレオを真っ直ぐに目を見つめ――。
「わたくしは、あなたを夫とし、病めるときも健やかなるときも、愛をもって支えあうことなんて出来ないですし、したくもないですし、誓いたくもありません。トンプソン男爵家との婚約は破棄させていただき、あなたとの結婚生活は拒否させていただきます」
もう一度、ゆっくり、はっきりと告げた。
今までに見たことのないハナの表情に気圧されてレオが凍り付く。代わりに口を開いたのは親族席に座っていたレオの父、トンプソン男爵家現当主だ。
「バデル公爵、並びにハナ嬢。これはどういうことでしょう。今回の婚約が破談になればバデル公爵家の領地と領民がどうなるかわからないほどに愚かではないと思っていたのですが」
「その……こ、これは……ハナ、どういうことなんだい?」
青い顔で見上げる父・バデル公爵とにらみつけるように見つめるレオの父・トンプソン男爵の視線を受け止めてハナは背筋を伸ばして言った。
「婚約を破棄させていただきたい理由を今からお話させていただきます」
ハナの計画はこうだ。
結婚式という大勢の目がある場で婚約破棄を宣言する。
婚約破棄の理由は、新郎であるレオがやるべき書類作成や手紙の返事すべてをハナに押し付けていたこと。結婚前から側室を――しかも、二人の側室を迎えようとしていたこと。側室二人に対して二股がバレないよう、図々しくもハナに協力を求めたこと。
これらはレオがハナに宛てて書いた手紙にすべて書いてあることだ。読んでもらえれば事実だということはわかるだろう。
政略結婚であることを考えれば婚約を破棄する理由としては弱いけれど、公爵家の娘に対して家格の低い男爵家の息子がしたことであると考えれば社交界では十分に問題視される。
レオからの手紙はモーリンに預けてある。
だから――。
「モーリン!」
ハナは三つ年上の、実の姉のように慕う侍女の名前を呼んだ。モーリンの姿は参列席の右手にある扉の横にあった。名前を呼ばれたモーリンはハナを一瞥。
「……」
黙ったまま。ハナがいる祭壇とは反対側へと顔を向けた。まるでハナの声を無視するかのように。
「……モーリン?」
もう一度、名前を呼んでみたけれどモーリンはハナを見ようとしない。ハナの声が震えていることに気が付いたのだろう。
「どうした、ハナ。もしかして当てが外れたんじゃないか?」
凍り付いていたレオがにやりと笑った。
「バデル公爵家令嬢。もう一度、お聞きする。創国の王キウェテルとその血脈たる国王の名のもとにトンプソン男爵家に嫁ぐことを誓うか?」
トンプソン男爵の低く、怒りを押し殺した声が響く。これは個人と個人の婚約や結婚ではない。家と家の問題、領地と領民に関わる問題だと暗に言っているのだ。
「ハナ……」
父であるバデル公爵は心配そうな顔で壇上のハナを見上げている。
「今ならまだ後戻りできる。ここは穏便に済ませようよ」
こちらを見ようとしないモーリンと耳元で囁くレオの言葉、父の青ざめた顔とトンプソン男爵の鋭い視線に後ずさりそうになったハナだったが――。
「……っ」
ドレスの裾が足に触れて踏みとどまった。
参列席に座るアデレードはこの騒ぎの中でも艶然と、社交界の華と
背筋を伸ばすとトンプソン男爵の鋭い視線を真正面から受け止めた。
「いいえ、それでもわたくしは誓いません」
震えながらもきっぱりと答えるハナにトンプソン男爵もレオも目をつりあげた。
と――。
「そうか、誓わぬか」
バージンロードの始まりである教会の扉が重々しい音を立てて再び開き、それと同時に低く威厳に満ちた声が響いた。ざわめきながら振り返った参列者たちがピタリと口をつぐむ。
どうしたのだろうかと顔をあげたハナはバージンロードを歩いて来る人物を見てぎょっとした。
「創国の王と我が名のもとに誓い合った者たちの仲を割くのはさすがに気が引けるからな。それは何よりだ」
そこにいたのは立派なヒゲを生やした五十代だろう男性と十代後半だろう少年だ。身分を隠して王都の街中にある教会まで来るために簡素な服を選んだのだろうけれど十人もの騎士たちを引き連れているために隠しきれていない。
「へ、陛下がどうして、このような場所に?」
「バデル公爵家は創国の王キウェテルの血を引く家。遠縁とは言え余にとっては親戚。結婚式に参列してもおかしくはなかろう」
ハナの父、バデル公爵の顔色は青を通り越し、血の気を失って白くなり始めている。手で落ち着けと示してドルシア国現国王はにこりと微笑んだ。
「というのはもちろん建前だ。ハナ・バデル嬢……彼女に大切な知らせがあって余自ら足を運んだ。詳細については我が息子に任せるとしよう」
目を伏せて微笑む国王を見て、その場にいる全員の視線が国王の後ろに控えている王位継承第一位のリアム・ミューア・ドルシア王子へと向けられた。
でも――。
「それでは、俺……じゃなかった私からお話させていただきます」
声がしたのは国王とリアム王子が立つバージンロードとは反対側。祭壇に立つハナとレオよりも、牧師よりもさらにその後ろ。
「ルイ、さん?」
「……」
「ワフッ」
そこに立っていたのは左右にラーミとコカを従えたルイだった。
ハナが呆然とルイを見上げた理由の一つはその格好だ。
いつものルイはしわだらけのシャツにインク染みが目立たない濃い色のオーバーオールを着ていて、庭師のようにラフな格好をしている。髪の毛だってボサッとしている。人の好さそうな笑顔には合っているけれど貴族や、まして王族だと言われても信じないだろう。
それが今日のルイはリアム王子と並んでも遜色ない威厳に満ちた格好をしている。白を基調とし、黒の布や糸をアクセントに使った礼装をまとっているのだ。きっと白いラーミと黒いコカのイメージに合わせてデザインしたのだろう。
「……デザイン?」
そこまで考えてハナは手で口元を押さえた。
――この一週間は徹夜でその方の服を作っていたんですよ。
――ハナ様のための、その方の服を。
不意に思い出した言葉にアデレードを見ると案の定、イタズラが成功した子供のような顔でウィンクしている。さらにその先には安堵ですっかり気が抜けた表情になっているモーリンが見えた。二人はルイが来ることを――ルイが陛下を連れてくることを知らされていたらしい。
「遅くなってしまいもうしわけありません、ハナさん。馬車が渋滞にハマったと聞いて迎えに行っていたらこんな時間に……」
国王とリアム王子の話だろうか。首をかしげるハナの疑問を見透かした上でルイはニッコリと微笑むだけ。
そして、笑顔のまま言ったのだ。
「俺の質問にいくつか答えたあとは、ハナさんはのんびり眺めていてください。〝貴族たちの暴露小説を書いては破滅に追い込む鬼畜〟ことルイ・ミューア・ドルシアがあとは良しなにいたしますので」
と――。
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