第10話 サレ妻、受かる。

 ワォォォー……。


 屋根の上で響いた遠吠えにハナは天井を見上げた。同じく天井を見上げたルイはほっとしたように微笑んだあと、ハナに顔を向けた。


「ラーミの試験は合格だそうです。コカも合格だと言っていたので〝聖獣の側室〟の試験は無事通過ですね」


 きょとんと目を丸くするハナの頬を手の甲で撫でてルイは目を細めた。


「コカは甘やかしたがりですがラーミも頼られたがりなんです。頼り下手のハナさんには難しい試験だったでしょう?」


「……頼る」


「誰かを頼るのは悪いことではないです。ノエルもクゥークゥーと鼻を鳴らして上手に人を頼ってました」


 白い尻尾をふりふり、上目遣いで見つめるノエルを思い出してハナはくすりと笑った。確かに。ノエルはとても上手に人を頼っていた。


「大切な家族や友人、愛する人に頼られるのはうれしいものです。だから、ハナさん。これからはラーミやコカ、俺のことを頼ってください」


「……頼られるのはうれしいもの」


 ルイの言葉をつぶやいて、飲み込んで――ハナはゆっくりと目を見開いた。


 ――せめて私たち使用人やご家族をもう少し頼ってください。


 子供に言い聞かせる母親のようなモーリンの顔が浮かんだ。


 ――でもね、ハナ様。

 ――ハナ様が望むのでしたらわたくしは黙らないつもりです。


 きっぱりと言って真っ直ぐにハナを見つめるアデレードの顔が浮かんだ。

 それから――。


 ――困ったことがあったら連絡してください。

 ――これ、僕の連絡先ですから。


 若先生の心配そうな顔も。


「たくさんの人が手を差し伸べてくれたのに……甘えて、頼って良かったのに……は一人で抱え込んで勝手に苦しい方に進んでしまっていたんですね」


 苦笑いを漏らしてうつむいた拍子に書き物机に広げた手紙が目に入った。ほとんどが一週間後に迫ったレオとの結婚式に関する手紙だ。

 〝聖獣の側室〟の試験に合格したのだからトンプソン男爵家に婚約破棄を伝え、結婚式も中止にするべきだろう。


「……でも」


 あのレオのことだ。

 内々で話を進めれば婚約破棄の原因はすべてハナとバデル公爵家にあると社交界で言ってまわることだろう。そうなれば両親や兄、嫁いで家庭のある姉にも迷惑をかけることになる。

 領民たちを盾にアデレードを嘲笑ったのも許せない。

 それに新たに家族となるラーミやコカ、ルイにまで何かあったら。


「大切な家族を……前世のように傷付けられたり、失うことになったら……」


 目を閉じ、考え――。


「ルイさん。わたくし、一週間後の結婚式を予定通り挙げようと思うんです」


 ゆっくりと顔をあげて言った。


「け、結婚? 予定通りにって……あの男とですか!?」


 一瞬、ぎょっとしたルイだったが真剣な表情でうなずくハナを見て深呼吸を一つ。


「わかりました。何かを考えがあるんですよね。……計画を教えてもらえますか」


 困ったように微笑んでそう言ったのだった。


 ***


 結婚式当日――。


「一週間でこんなに素晴らしいドレスを作ってくださるなんて……」


 教会の敷地内に用意された控え室でウェディングドレスに着替え、姿見の前に立ったハナはうっとりとため息をついた。ハナの隣に立つアデレードが艶然と微笑む。


「あら、ハナ様。わたくしがハナ様のここ一番の大舞台に急ごしらえのウェディングドレスを着せると思いまして?」


「え、でも……」


 アデレードの言葉にハナは目を丸くした。アデレードにウェディングドレスのデザイン変更を頼んだのは一週間前のことだ。

 〝聖獣の側室〟の試験に合格し、でも、レオとの結婚式は予定通り行うと決めた、その夜のこと。先触れも出さずにグレイヴス侯爵邸を訪れた夜のことだった。


 ***


「わたくしのことを心配して、店の不利益になることを承知の上で差し伸べてくださった手を無下にしたばかりなのに……虫がいいことはわかっています。でも……助けていただけませんか、アデレード様」

 

 外套がいとうのフードを目深に被ったハナがうつむき、胸の前で両手をにぎりしめ、唇を噛んで言うのをアデレードは驚きの表情で見つめた。

 でも、それも一瞬のこと。


「もちろんです。ハナ様が望むのであればわたくしはいくらでも、淑女と戦友の矜持きょうじに懸けて証言いたしましょう」


 凛と微笑むアデレードにほっと息をついたハナだったけれど、すぐに手と首を横に振った。


「いいえ、いいえ。証言をしていただきたいのではないのです。アデレード様に助けていただきたいのは――……」


 ***


「わたくしが思う、ハナ様に最も似合うウェディングドレスで背中を押してほしい。……実にわたくしにピッタリな助け方ですわ」


「いえ、ですが……式の一週間前になってそんな無茶苦茶なお願いをしてしまって……あとになってものすごく反省しました」


 なにせ元々、着る予定だったドレスは三か月以上も前から準備してもらっていたのだ。思い出して、また青ざめるハナにアデレードはコロコロと笑い声をあげた。


「間に合う算段がついていたからお請けしたのです。わたくし、ドレスのデザインを考えるのも好きですが作るのも好きなんです。このドレスはハナ様に似合うだろうとずっと趣味で作っていたもの。ほら、思っていた通り。ハナ様によく似合う」


 鏡越しにアデレードの誇らしげな微笑みを見てハナは目を細めた。でも、その顔に隠し切れない疲労のあとが見えることに気が付いて再び表情を曇らせた。


「お化粧で上手く隠したつもりでしたが……やはりわかりますか」


 ハナの顔色が変わったことに気が付いてアデレードは苦笑いする。


「本当はお肌ツルツル、髪ツヤツヤの最高のコンディションでハナ様の大舞台に臨むつもりだったのですが。実は一週間前、ハナ様が帰られた後にもう一人、お客様がいらしたんです。この一週間は徹夜でその方の服を作っていたんですよ。ハナ様のための、その方の服を」


「わたくしのための……その方の、服?」


「わたくしからのもう一つの〝応援〟、楽しみにしていてくださいね」


 首をかしげるハナの疑問には答えずにアデレードはウィンクを一つ。ハナの肩を掴んでくるりと控え室のドアへと向き直らせた。ドアの隣ではモーリンが待っている。歩み寄るとモーリンがベールを下ろしてくれた。


「お嬢様、とても綺麗です。ドレスも、お嬢様自身もとても」


「モーリンや屋敷のみんなに今日に向けての準備を手伝ってもらったおかげよ。この一週間、ベッドでしっかり休めたもの」


「主役はお肌ツルツル、髪ツヤツヤの最高のコンディションでないといけませんものね」


「はい、今日のお嬢様はお肌ツルツル、髪ツヤツヤの最高のコンディションです」


 意気投合するアデレードとモーリンにハナは破顔した。


「さ、背筋を伸ばして。いってらっしゃい、ハナ様」


「応援しております、お嬢様」


 アデレードに背中を押され、モーリンが開いてくれたドアの向こうを真っ直ぐに見つめ、ハナは深呼吸を一つ。


「ありがとうございます。いってまいります」


 ハナは背筋を伸ばすと歩き出した。

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