第9話 サレ妻、頼る。
「こんばんは、ハナさん。熱を出して寝込んでいたとうかがいましてお見舞いにきました」
そう言いながらするりと窓から滑り込んできたルイにハナは目を見開いて固まった。なにせハナの部屋は五階にある。屋根から降りてきたようだけど、それにしてもどうやって屋根にのぼったのか。
「ラーミに連れてきてもらいました。コカも来たがったんですがさすがに聖獣二頭で王都を走り回るのは目立ちますから」
ハナが考えていることをルイもラーミもお見通しらしい。にっこりと微笑むルイの背後、窓の外で白いふさふさの尻尾がゆらりと揺れ、すぐまた屋根の上へと引っ込んだ。
「先触れもなければ手土産もないお見舞いですみません。完全にマナー違反ですね。
しかも女性の部屋に窓から侵入するなんて……マナー違反を通り越して犯罪……!」
今さらのように青ざめるルイにハナは苦笑いする。
「お気になさらないでください。それに……先に失礼なことをしたのはわたくしですから」
へら……と気の抜けた微笑みを浮かべるハナを見てルイの眉間にしわが寄った。
「失礼なことというのはコカを怒鳴ったことですか。それとも突然、〝聖獣の側室〟の試験は辞退すると言い出したことですか」
「……どちらも、です」
「なら、コカのことは気に病まなくていいです」
「……っ」
〝ですが……〟と口にしようとしていたハナの唇をルイが人差し指でふさぐ。
「ハナさんが倒れる前にラーミが何か言っていたのを覚えていますか。あれは〝コカはお前の大声にビックリしたわけじゃない。過保護を反省しているだけだ。だから、気にするな〟って言っていたんです」
「そう……だったんですか」
こくりとうなずいてルイは微笑んだ。
「〝聖獣の側室〟という制度を作ったのは創国の王キウェテルが死んだ後に即位した第四代国王だそうです」
身分の高い者はたくさんの側室を持つもの、という人間側の偏見から作られた制度。それが〝聖獣の側室〟だ。
「でも、聖獣は……ラーミとコカは雌雄一対の存在。長い時間を共に生き、どちらかが死ねばもう一方も追いかけるように死ぬ。そして季節が一巡りすると揃って再びこの世に生まれてくるんです」
不思議な話だ。でも、人間にとっては不思議なだけでラーミとコカにとってはごく当たり前のことなのだろう。
「ラーミとコカが欲しいのは側室ではなく家族です。コカは特に母親気分で甘やかしたがるんです。かつて大勢いた〝聖獣の側室〟たちもコカが甘やかすものだからサボってると勘違いされたり、ダメ人間になったりで辞めさせられて、それで今みたいな状態になっちゃったんだそうです」
苦笑いするルイにハナはそろそろと胸を押さえた。コカの誘惑に負けてまんまと熟睡していたのだ。ダメ人間になる心当たりがあり過ぎて耳が痛い。
「試験の合格者数がグッと減ったのもラーミの未来視でダメ人間になりそうかを確認して不合格にしていたからなんです」
「それでは、ラーミ様の試験というのは……?」
「いえ、ラーミの試験はまた別です」
あっさりと否定してルイは話を続ける。
「とにかく。今回もハナさんを休ませよう、寝かせようと張り切った結果、ハナさんを怒らせちゃったものだからまた過保護が過ぎてしまったとコカは落ち込んでいただけなんです。コカに悪いと思っているのなら、なおのこと試験を辞退する必要なんてないんです」
そう言ってルイはなぐさめるように、励ますようにハナに微笑みかけた。ルイの言う通りなら〝聖獣の側室〟の試験を辞退するべきではないのだろう。
「でも……」
もし、〝聖獣の側室〟の試験をこのまま続けさせてもらえたとして。
もし、合格できてレオやレナ、カレンと関わらずにひっそりと生きていける人生を手に入れたとして。
もし、〝聖獣の側室〟という名のラーミやコカ、ルイの〝家族〟になれたとして。
「前世で大切な家族を守れずに手放した
転生して今世の家族に愛されて、前世では持てなかった自己肯定感を持つことができた。だから、レオの要求を――レオとレナ、カレンにとっての都合の良いお飾り妻になることをイヤだと思えた。回避するために行動しようと思えたのだ。
でも――。
「
ハナに怯えるコカの姿が怜央に怯えるノエルの姿と重なって見えたときに思ったのだ。
「罰を受けても……仕方がないのではないでしょうか」
レオとの再びの愛のない結婚が罰なのではないか、と。
「ですから、やはり……」
〝聖獣の側室〟の試験は辞退する。そう口にするよりも早く――。
「仕方がないわけないでしょう!」
「……っ」
ハナはルイに抱きしめられていた。突然のことに目を白黒させる。男性にしては細身のルイの、思いのほか強い力とやはり男性なのだと思わせる体の感触に声も出せずにうつむいた。
でも――。
「罰と言うなら十分過ぎるくらい受けてます。ノエルと離れ離れになった。それ以上の罰がありますか? 必要ですか?」
肩に押し付けられたルイの頬がぬれていることに気が付いて――それがハナのための涙だと気が付いて心が温かくなるのを感じた。まるでノエルに頬をぺろりとなめられたときのような安心感が胸に広がった。
「それにノエルが――あなたの大切な家族があなたの不幸を願うと本気で思っているんですか?」
ルイの腕の中でハナはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ……いいえ」
ルイの言うとおりだ。涙がこぼれそうになって、ハナは抱きしめられているのをいいことに涙がこぼれないようにときつく目をつむった。
「花奈さんと別れたあと、ノエルがどうなったかお話ししましょう」
「コカ様の過去視、ですか?」
コカの過去視は前世も見通すことができるのだろうか。尋ねるハナにくすりと笑ってルイはそうだとも違うとも答えずに話し始めた。
「ノエルは十八才で亡くなりました。老衰です」
大型犬の平均寿命が十才から十二才だと考えれば大往生だろう。
「最後の二年ほどは介護が必要な状態でしたが花奈さんがノエルを託した〝若先生〟は仕事が忙しくて付きっきりで世話をすることはできませんでした。独り身だったから手伝ってくれる家族もいない。でも、ノエルの世話をしてくれる存在はいました」
「……誰、ですか?」
「尚人くんと恵梨香ちゃんですよ。花奈さんが育てた血の繋がらない子供たち」
ルイの口から出た育ての子の名前にハナはうつむいたまま目を見開いた。
「あなたのお通夜に〝若先生〟はノエルを連れて行ったんです。ノエルには尚人くんと恵梨香ちゃんが大切な家族だと……花奈さんが迷いながらも大切に育てた子供たちだとわかったんでしょう。二人に駆け寄って頬をなめたんです」
うつむく尚人と恵梨香の頬をぺろりとなめて真っ白な尻尾を振るノエルを思い浮かべて花奈はくすりと微笑んだ。また涙が溢れそうになる。学校やバイトで落ち込む花奈の頬もノエルはぺろりとなめて元気づけてくれた。
「それから二人は〝若先生〟の自宅兼職場である動物病院にやってくるようになりました。いろいろとあって家に帰りたくなかったのもあるでしょうけど……二人とも、よくノエルのお世話をしてくれました。ママの大切な家族だからって」
自分が死んだあとも子供たちは自分のことを〝ママ〟と呼んでくれていた。
ノエルも、二人の子供たちも、互いを大切な家族だと思って過ごしてくれていた。
そのことがうれしくてハナの目から涙が溢れて落ちた。
「ノエルは二人が学校から帰ってくるのを待って逝きました。恵梨香ちゃんは獣医学部、尚人くんは花奈さんと同じ動物看護学部がある大学を選んで、生涯独身で跡取りのいなかった〝若先生〟の動物病院を立派に継いでくれました」
「そう、なんですね」
「えぇ、そうなんです。花奈さんと離れ離れになって寂しかったとは思います。でも、ノエルの一生は不幸なまま終わったわけじゃない。……これでもまだ罰が必要だと思いますか」
細い肩を掴んでルイはそっとハナを引きはがした。
「このままでいいと思いますか」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のままハナはルイを見上げて首を横に振った。
「それなら、ハナさん。今世のハナさんはどんな人生を送りたいですか」
ルイに尋ねられてハナは少し考え――すぐに答えに辿り着いた。
「今世ではレオとも、レナとも、カレンさんとも関わらず、振り回されない人生を送りたい。……それから」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃのハナの顔を自身の袖でぬぐいながらルイがにこりと微笑む。温かなまなざしにうながされるように――。
「それから……幸せに、なりたい。〝聖獣の側室〟になって……ラーミ様やコカ様、ルイさんの家族になりたい。穏やかな家庭を築きたい、です!」
ハナの口から願いが溢れ出した。
瞬間――。
ワォォォー……。
屋根の上で響いた遠吠えにハナは天井を見上げて目を丸くしたのだった。
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