第8話 サレ妻、見舞われる。

「辞退って……」


 ハナの侍女のモーリンが足早に馬車へと戻って行くのを見送りながらルイは呆然とつぶやいた。

 かと思うと勢いよく振り返り――。


「ラーミは言ったよね、彼女がいずれもう一人の〝聖獣の側室〟に――俺たちの家族になるって!」


 ゆっくりとした歩調で中庭から玄関ホールへと出て来たラーミを見上げた。


「だったら今、あの侍女を追いかけて合格だと……今日からハナさんは〝聖獣の側室〟だと伝えてもいいだろ? このままじゃ、ハナさんはまたあの男のお飾り妻にされてしまう!」


 にらむようなルイの表情を見下ろしてラーミは白い尻尾をゆらりと揺らすだけ。そんなラーミの態度にルイはさらに目をつりあげた。


「あの男や不倫相手に都合の良いように使われて、ささやかな幸せや大切なものを奪われて、過労と心労で倒れて……死んでしまうかもしれない。前世と同じように。だから、ラーミ。今すぐ合格だってハナさんに……ぶふっ!」


「ワフ、ワフッ!」


 ルイの言葉を止めたのはコカの尻尾攻撃だった。黒くてふさふさの尻尾でルイの顔面をはたき――。


「ワフッ!」


 いいかげんにしなさい、と言わんばかりにひと吠え。コカはじろりとルイをにらみつけた。

 コカににらまれ、ラーミに静かに見つめられ――。


「……そう、だよね。ハナさんに言われて目が覚めたと思っていたのに……人間、なかなか変われないものだな」


 ルイは吐き捨てるように言って力なくうなだれた。


「俺の後悔と願望を小説に書いてるだけじゃ意味がないのに。今度こそ行動して、勇気を出して、無理矢理にでも彼女の手を掴んで止めなくちゃ……前世と同じことの繰り返しになってしまう」


 ぎゅっと握りしめた拳を胸に抱きしめてルイはゆっくりと顔をあげた。


「俺が、行動しなきゃ」


「ワフッ!」


 その通りだと言わんばかりにひと吠えしてコカはバッサバッサと尻尾を振った。コカに応えるようにルイは深くうなずくと玄関のドアを勢いよく開けた。


「ハナさんに会いに行ってきます!」


「ワフ?」


「モーリンさんを追いかけて馬車に乗せてもらいます!」


「ワフ」


 モーリンが乗る馬車の位置を確認したのだろう。黒い鼻をひくつかせてつぶやくように吠えるコカにルイは慌てふためいた。


「え、もう追いつける距離じゃない? それじゃあ……うちに馬はいないし、馬車を頼むには街まで出ないとだし、街に出るには馬か馬車が必要だし!」


「……ワフ」


「そうだよ、この屋敷に来てから自ら出かけようなんて一度もしなかった引きこもりだよ! 実家や小説関係の用事があっても迎えが来てたし、食料も日用品も手紙といっしょに届けてもらってたし……どーしよぉぉぉーーー!」


 コカの指摘と現状に頭を抱えてしゃがみ込みかけたルイだったけど――。


「とか言ってる場合じゃない! とにかくハナさんに会いに行かないと!」


「ワフ!?」


 すぐさま気を取り直して走り出し始めた。へろへろとしたルイの走りを見てラーミはふー……とため息をつくとゆらりと尻尾を揺らす。


「ワフッ!?」


「……」


 ルイを追いかけて玄関を飛び出して行こうとするコカの顔をラーミはふさふさの尻尾ではたいた。金色の目でじっと見つめられ――。


「……ワフ」


 コカは渋々といった様子ながらもうなずくと一歩下がってラーミに道を譲った。ゆらり。コカの鼻先を真っ白な尻尾の先で撫でてラーミは玄関を飛び出す。

 へろへろと走っているルイにあっという間に追い付いたラーミは襟首をくわえ、ぽーんと宙に放り投げると背中でキャッチ。一気に速度をあげて走り出した。


「うぎゃ! ……ラ、ラーミ!?」


「……」


 ラーミの背中にまたがったあと、しばらく目を白黒させていたルイだったけれど状況が飲み込めたらしい。


「ありがとう、ラーミ」


 顔を引き締めるとラーミの白いふさふさの毛に覆われた首にしがみついたのだった。


 ***


「結婚式前の準備で忙しいこの時期に熱出して倒れるとか前世から全然、学習してないよね、ハナは」


 ベッドに上半身を起こした、まだ顔色の悪いハナを見下ろしてレオはやれやれとため息をついた。


「結婚式の準備以外にもあちこち出歩いていたらしいじゃない。何をやってたわけ? そんなことをしてる暇があるなら体調管理くらいしっかりやってよ、正妻さん」


 高熱を出して倒れたという話がトンプソン男爵家にも伝わったのだろう。政略結婚とは言え両家は友好な関係を望んでいる。レオもそれがわかっているから親や周囲の空気を読んでハナの見舞いにやってきたのだろう。

 ただ――。


「はぁ、今日はレナちゃんと結婚式会場の下見をしに行くつもりだったのに。あ、レナちゃんとの結婚式、ハナも参加ね。この世界……ていうか、この国では正式な側室として認められるには正室のサインが必要なんだって。というわけでよろしく、正室さん」


 形ばかりでハナを見舞う気持ちは少しもないらしい。レオが持ってきたお見舞いの花を活けるために侍女が部屋を出ていき、二人きりになるなりこれだ。ソファにふんぞり返って身勝手なことばかり言う。


「カレンさんとも結婚式を挙げるつもりなんですよね。アデレード様のお店にレナとカレンさんを連れてドレスの注文をしに行ったと|噂を耳に・・・・しました」


「そうそう、話が早くて助かるよ。カレンとの結婚式もレナちゃんとの結婚式も日取りが決まったら招待状送るから。参加とサイン、よろしくね」


 のんきにペンでサインをする仕草をしてみせるレオにハナは額を押さえた。


「アレ? 頭痛い? まだ熱あるの? それなら俺はそろそろ帰るよ。体調が悪いときは寝てるのが一番。それに新郎の俺までかかっても困るでしょ?」


 最後の一言が本音だろう。相変わらず軽んじられているなと内心でため息をつきながらハナはゆるゆると首を横に振った。


「レナとカレンさんの件、バレないように協力しろと言うのならもう少しそちらも慎重に動いてくれませんか。隠すにも限度がありますし、まして王都は貴族の目も多いんです。せめて……」


「田舎の店で用意したドレスを着て、田舎の教会で結婚式を挙げろって? 自分は王都の人気店で用意したドレスを着て、王都で一番由緒のある教会で結婚式をあげるのに? カレンやレナちゃんがかわいそうだと思わないの?」


 前世の花奈は怜央と結婚式も挙げなければ新婚旅行にも行かなかった。代わりに怜央と結婚式を挙げていたのは加恋だったし、新婚旅行に行っていたのは玲奈だった。かわいそうなんて思うわけがない。

 でも、今さら前世のことにあれこれ言うつもりも微塵もない。


「そちらの軽率な行動でレナとカレンさんの存在が周囲にバレたり、二股がバレたりしてもわたくしにはどうすることもできませんよ、と言っているんです」


「そこをなんとかするのが正妻でしょ。金はなくても権威と人脈はある公爵家のご令嬢なんだからさ」


 大真面目な顔でそんなことを言うレオにハナは呆れ顔でため息をつくしかなかった。

 王家の遠縁で血筋が良いだけのバデル公爵家が持っている権威と人脈は国や人のため、正しい行いのためにしか使えない。私事の汚点を隠すために使えば権威は失墜し、人脈からは切り捨てられてしまう。血筋が高貴というだけのバデル公爵家の地位をレオは正確に把握できていないのだ。


「それじゃあ、お大事に。あ、結婚式の準備はしっかりやっといてよ」


 と、言い残し。ついでに本来は新郎が対応するべき結婚に関する書類や手紙も残してレオは部屋を出て行った。

 みじめな気持ちにはなっても寂しいとは感じない。むしろ、さっさと帰ってくれてほっとしていた。今、帰ってくれればレオを毛嫌いしているモーリンと鉢合わせることもない。

 付きっきりでハナの看病をしてくれていたモーリンは今、出かけている。ルイとラーミ、コカが暮らす屋敷に〝聖獣の側室〟の試験の辞退を言伝に行ってもらっているのだ。


「侍女に言伝を頼んで一方的に辞退するなんてマナー違反ね」


 うつむいて自嘲気味につぶやいたあと、ハナはベッドから起き上がって書き物机へと向かった。熱のせいで三日ほど手紙の返事どころか確認も出来ていない。レオが置いていった手紙や書類もある。モーリンが帰ってきてベッドに引きずり戻される前に少しでも進めておかなければ。


 〝聖獣の側室〟になることは諦めた。婚約破棄は家族や領民のことを考えればするわけにはいかない。選択するなら〝白い結婚〟だろう。


 夫婦の営みがない書類上だけの結婚。

 それが〝白い結婚〟。


 〝白い結婚〟にすると決めて妻としての役目を放棄してしまえばレオとも、カレンやレナとも関わり合う機会はぐっと減る。減るだけで全くないわけではないし、お飾り妻という意味では前世と同じになってしまう。

 でも――。


「きっと……最初からこうするべきだったのね」


 大きな体を縮こまらせ、耳をペタンと寝かせるコカの姿を思い出してハナは唇を噛んだ。ハナに怯えるコカの姿が怜央に怯えるノエルの姿と重なって見えた。その瞬間、バッサバッサと音がするほどに黒い尻尾を振って歓迎してくれたコカや金色の目で静かにハナたちを見守っていたラーミ、ニコニコと優しい笑顔で出迎えてくれたルイに合わせる顔がなくなってしまった。


「……」


 〝白い結婚〟にするにしてもしないにしても結婚式の準備は滞りなく進めなくてはならない。ハナは迷いを振り払うようにかぶりを振ると手紙の確認をしようとペーパーナイフに手を伸ばしかけ――。


「こんばんは、ハナさん。熱を出して寝込んでいたとうかがいましてお見舞いにきました」


 突然、吹き込んできた風と窓からするりと滑り込んだルイの姿にハナは目を見開いた。

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