56 雄一は川越藩に知られた

 この府中周辺を武蔵野の国と呼ばれ、この辺を取り仕切るのは川越藩であった。川越藩城主は酒井忠利で当時は河越と呼ばれていたが、ここでは川越と呼ぶことにする。この当時の川越藩は三万七千石の大名である。

 駿河の国、田中藩から国替えを命じられて、酒井忠利はこの城の城主となった。

後の参勤交代、いわゆる幕府に忠誠を誓う事である。参勤交代は莫大な費用が掛かる。更に奥方や家族を江戸城近くの屋敷に強制的に住まわされる。つまり人質である。金は使わされるし人質は取られるし謀反を企む余裕がない。これが徳川家三百年栄えた秘訣であった。ただその制度はもう少し先の家光の時代となる。


 やがて木綿屋の評判が川越藩に知れる事となったのは、それから間もなくの事だった。評判を聞いた川越藩の役人、秋山半兵衛が揚げパンと玉子焼きを沢山買って、家老職を務める本田良成に手土産として献上した。

「ご家老、これは府中の街道で買って来た揚げパンと玉子焼きという物です。これが評判でして、是非にお召し上がりください」

「ほほう、揚げパンとな。異人が食べるというパンなるものか。どれ食してみるか」

「ご家老……いかがですか? お味の方は」

「まてまて、これは玉子を焼いたものか。普通玉子は似るものと決まっているが、うむ玉子を焼くとは考えたものじゃ」

本田良成は揚げパンと玉子焼きを交互に食べ始めた。


「むむっ、これはなかなか美味じゃ。是非とも殿に召し上がって戴かなくてはな」

「それがご家老、この揚げパンと玉子焼きなる物を考え出したのは、異人のような大男で、不思議な鉄の動くクルマなるものに乗っているとか」

「なに? 不思議な動くクルマとな。一体それはなんだ」

「それが馬よりも早く、疲れを知らない鉄の乗り物らしいです」

「なんと、そのような物があるのか? 異人ではないのか、いや異人でもそんな物は作ってないぞ」

「はぁ詳しいことは分りませんが日本の言葉を使うようです。そのような噂で御座います」

「ふむ、これは是非とも殿に召し上がって貰い、ついでに偉人のような大男の話もして見よう」


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