第40話 玉子焼

 七個の玉子で作った玉子焼きには、砂糖と醤油を少し加えてある 。残り三個の玉子は夕食か朝食に使おうと思っている。宗右衛門達はどんな顔をして食べるのだろうか楽しみだ。タイムスリップして初めてワクワクする気持ちになった。

 プラスチックの容器に入れて、更にキャンプなどに使う保温容器に入れて冷めないようした。さっそくオートバスに跨り走った。八キロの道のりも慣れてくると二十分程度で着ける。舗装した道なら十分も掛からないが、歩くなら急いでも二時間以上は掛かる道だ。改めて文明の素晴らしさを噛締めた。この世界に少しでも二十一世紀の文明を取り入れたら、どんなに素晴らしいだろう。


 木綿屋の表通りは甲州街道(当時は甲州海道)だが裏のあぜ道を回った。

 出来るだけ目立たないように、その裏庭にバイクを乗りつけた。

安心はして居られない。今の処この時代で遭遇している人物は木綿屋の一部の人だけだ。見つかったら大騒ぎになり、また侍が出て来て大騒動になる。

しかし音に驚いたのか、味噌作りの職人や使用人が出てきた。

「これは佐伯さま。お待ちしていました」

一番先に出て来たのが若旦那の松三だった。十人くらいだろうか周りに群がって来た。動揺している彼等を取り締まったのは、昨日一緒に大八車で食料を届けてくれた手代の二人だった。


「ああ~心配ない。これは遠い未来の国から来た動くクルマと云う物だ。心配ない。静かに!静かに!」

まるで得意になっている交通整理の警備員のようだった。

「おう若旦那、ご主人はいるかい。是非食べて欲しいものがあるんだ。若旦那も試食してください」

 雄一を気に入った若旦那こと松三は母屋の方に案内した。

 昨日と同じ部屋だ。二十畳の畳が敷いてある。流石は大店だこれだけの大きな部屋はそうあるものではない。


だがテーブルとかはない。そんな習慣はまだなかったようだ。この時代の畳のサイズは京間(百九十一cm)に比べ江戸間(百七十六cm)と小さかった。この畳の寸法に合わせて六畳間とか八畳間とか基準が決まり家の建築も、畳のサイズに合わせるようになった。だがそれはまだ先、明治初期のことになる。

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