其ノ四



人里に下りると、ミタケとフジはさっそく仕事を探した。

十を過ぎたばかりではあったが、ミタケは仕事を選ばなかったので、さっそく麴売りの商人の元に仕事を紹介された。

麴売りの主人は、とても意地悪そうな婆さんだった。銭を数え、味のいい麹をとにかく売りさばくことだけが生き甲斐であった。


「親を戦で失って、妹が腹を空かせてるんです。なんでもいいので働かせてください」

「フン、まあ樽や壺を担ぐだけの腕力があるなら働かせてやる。ただし、給金は安いし、まかないも出さないよ」

「承知の上です。俺の働きぶりをみて決めてください」


その日一日、ミタケは文句ひとつ言わず働いた。

いつもなら老女ひとりでは持ち運ぶのも一苦労な荷物を、両肩に担いでどんどん運ぶので、女主人はミタケを雇う事に決めた。

──口うるさいばばあだが、気前は悪くなさそうだ。


「……で、俺はさっそく奉公先を決めてきたっていうのに、お前は一日目でくびか」

「うるさいなッ!働くことなんざ、なにひとつしたことないんだよ、こっちは!」

「甘やかされて育ったことは承知だが、こりゃあひどい。握り飯ですらまともに握れないんだもんな、当然か」

「うるさいうるさい、ばかにするなッ!」


一方でフジは、同じく商人の家に奉公しようと、売り込みにいった。

だが力も弱く、すぐにばてるので、役立たずだと追い払われたようであった。飯の作り方はおろか、掃除の仕方も、洗濯も、何をやらせてもすぐ根を上げるのだから、目も当てられない。


「仕方ない、まともに世間を知る前に、女仕事を一通り覚えてもらうとするか」

「はあ!?」

「これから心を鬼にして、お前に家のいろはから叩き込んでやる。いいな」


致し方ないので、ミタケは自分の世話をフジにさせることにした。

小さな長屋を借りて暮らし、ミタケは毎日フジをこき使うことにしたのである。朝餉の支度、洗濯、裁縫、掃除、内職、はては食べられる虫や草の種類まで、教えられることは全て叩き込んだ。


「やいフジ、飯がまずいぞ。魚が炭のようじゃないか」

「申し訳ありません、兄さま」

「フジ、お前はこんな狭い長屋もきれいにはらう(掃除)ことも出来ないのか。愚図だな」

「申し訳ありません兄さま、今すぐに」

「おいフジ、服が臭うぞ。こまめに洗えと言ってるだろう」

「はい兄さま、すぐやります」


そんな具合に、フジはどうにか雑用というものを覚えていった。

毎日あくせく働くということをしたことがなかったので、フジの手や足の裏は、すぐあかぎれや傷だらけになっていった。

手足がじくじく痛むし、安い給金では満足にご飯も食べられない。

おまけに物覚えが悪かったり、泣き言を言うと、ミタケに身ぐるみを剝がされてされることもあった。

夜ごとに、フジは部屋の隅で小さくなって、格子窓から月を見上げて、故郷を思ってこっそり泣いた。


「くうう……お父さま、お母さま……家に帰りたい……あったかいご飯が食べたいよお……お母さまの作ってくれたお団子が食べたい……」

「……(昼も夜も煩い奴……)」


ミタケは何も言わなかったが、フジの夜泣きが大きい日は、決まって夜に森へ向かい、あかぎれや切り傷に効く薬草を取ってきた。

そうして、泣き疲れて眠ったフジの手や足にこっそり塗り込んでから、眠りにつくのだった。

翌朝、少し痛みがましになった手足を不思議がるも、ついぞフジは、それがミタケのお陰だと知ることはなかった。



故郷を出て働きだし、半年ほどたった頃、ミタケが帰ってくるなり、ぶすくれた顔で飯をねだった。

いつにもまして不機嫌だ。何事だろうと思いつつ、夕餉の支度をしていると、ミタケが不承不承という雰囲気を醸しながら、フジに切り出した。


「おいフジ、字と金勘定を教えろ」

「ええ?なんでまた急に。奉公先じゃ必要ないだ……でしょう、そんなもの」


ミタケの仕事は主に、力仕事と接客だ。言葉遣いだけはまともなので、店番をするときは、女主人の代わりに接客することもある。

だが基本的に金勘定は、女主人か、住み込みで働く甥の仕事だ。ミタケの出番はない。


「俺の勘だが、あのけちな女主人が俺の給金をごまかしてやがるんだ。

でも俺は勘定の数え方が分からんから、減っているのか増えているのか見当がつかん。それに、書いている字が分からんから、文書を見ても何がなにやらだ」

「分かっ……りました。そういうことなら、今日から暇を見つけて教えましょう」


ミタケはフジの分まで働いている。

その給金が減らされるとなると、フジにとっても死活問題だ。仕事をしていない時は、フジがミタケに字の書き方や読み方、それに金の数え方などを教えた。

ミタケはみるみる字を覚え、金勘定が出来るようになると、麹売りの女主人で重宝されるようになった。


「あのけちばばあ、俺がそろばんを打てると分かるや、色々仕事を教えてくれるようになってさ。単に樽だの壺を運んだり、掃除やるよりもお給金が入りそうだ」

「そうですか。良かったじゃないですか」

「それに、お前のことを話したら、人が足りないから雇いたいと言ってくれたぞ」

「本当?」

「俺に感謝しろよ。甘ったれだから、吐くほどしごいてやってくれって頼んでやったからな」


やっぱりこいつ、性格は最悪だ。とはいえ、働き口があることは、フジにとっても幸いだ。

案の定、麹売りの店ではひどくこき使われたが、暮らしは少しだけ楽になった。

後から知った話だが、麹売りのけちな女主人とやらは、身寄りもない自分たちの身の上をミタケから聞き、「どこでも働けないのは可哀想だし、ミタケの妹ならよく働くだろう」と雇ってくれたのだと知った。


「あんたの兄貴も泣かせる奴だよ。

朝いちばんに来て、一番遅くの日暮れまで仕事してるんだからさ。

「あいつは体が弱いから、まともに飯を食ってもらうためにも、俺が稼がにゃならんのです」って、今まで文句の一つもいわずに言う事聞くんだから。

前は生意気な小僧だからとしたこともあったがね、あんだけ真面目で家族思いな子供をむげにできるほど、あたしも冷酷にゃあなれないよ。

あんたね、ここで働くからには、そんな兄貴の想いは無下にしちゃならんよ。いいね」

「は、はい!」


勝手なこと言いやがって。第一、誰が病弱だ。自分が人一倍飯を食うからって、あんな嘘までつくなんて──。

という言葉は、信用のためにも飲み込んだ。ミタケのほらには呆れざるをえなかったが、この麹売りの婆さんはひどく人情的な話には弱いと見えて、可愛がってくれるようになった。

しまいには「お前たちが年頃になったら、里の中でも良い嫁と旦那を紹介してやるからね」と不要な世話まで焼きたがる始末。


「なんだか騙してるみたいで、気が引けるや」

「生活のためには必要なことだろ」

「でも……ムラの連中は、誰も俺たちのこと、探してなんかいないじゃないか」

「「私」だ、また口調が崩れてんぞ」 


ミタケはぴしゃりとたしなめる。

何月経っても、ミタケは人を心から信用せず、ムラから下ってくるかも分からない、追手たちのことを警戒し続けていた。

しかし、フジはもう、故郷の人間は誰もが自分たちのことを忘れているのではと考えていた。山から、二人の暮らす里までは距離があるし、第一もう死んだと思われているだろう。


「お前は楽観的すぎる。いつどこで、脱走した俺たちを連れ戻すか分からん。「うわばみ」は執念深いんだ、逃した餌は必ず追いかけてくるぞ」

「うわばみぃ?まさか九頭龍様のこと?よしな、曲がりなりにも神様だよ。そんな風に呼んじゃばちがあたるぞ」

「ふん、龍も蛇も大差ないさ。どっちも蒲焼にするくらいしか旨味がないや」

「龍を食ったことがあるみたいな口ぶりだね」

「首塚の親父様が教えてくれた。藻と酒の臭いで食えたもんじゃなかったって」

「ふうん。お前の親父様、何者なんだよ」

「お前に教えてやる義理はないね」


冗談なのか本気で言っているかは分からなかったが、蛇はともかく龍なぞ食べる気は起きないことは確かだった。

少しずつ、ぎこちないながらも、二人は偽物の兄妹として過ごしていった。

いつしかフジの中で、ミタケに対する恨みや恐怖のようなものは、少しずつ消えていき、故郷に対しても未練が薄れていったのだった。



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狼と夏藤ー紫月の忍たちー 上衣ルイ @legyak0810

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