其ノ二


ニトウとケンが十つになる、夏の始め。

村長は人知れず、山へと登った。山の頂には大きな祠があり、九頭龍を祀っていた。

村では毎年、空に天の川がかかるころ、山に住む九頭龍に、生贄を捧げることになっている。

もし生贄がなければ、かの川の神は怒り狂い、嵐を呼んで川を壊してしまうのだ。

さて、今年はいったい誰が神様の贄となるのだろうと、ひそかにびくびく怯えていた。川の神は、村長にこう告げた。


「若い娘を一人、差し出せ。さもなくば、お前の村は川水と土砂崩れに沈むだろう」


村長は悩んだ。

川の神は女の肉を欲しがる。けれど、村の女たちの大半は、誰かの妻だ。

こうも毎年、お前の妻を差し出せと言われたら、村人たちは怒って暴れ出すかもしれない。

悩んだ末、村長は川の神にこう返した。


「川の神よ、差出せる女はもういません」

「ならば、美味い子供を二人差し出せ。年は十ほどがよい」

「では、私の子と、奴隷の子をお召し上がりください」

「よかろう。では、次の新月の夜、贄を差し出せ」


村長の目に、迷いはなかった。

さっそく、神託を受けたというていで、村長をはじめとした村人たちが集まり、祭りの日取りや準備が進められた。

贄に選ばれた者の名を聞いた時、他の村人たちは驚いて村長に問うた。


「良いのですか。村長の子を贄になどと」

「構わん」と村長は言った。 

「出来の良い子は他に八人もいる。「奴」はどうせ、不出来の子だ」


それ以上村人は何も言わなかった。だが、村長の冷徹さに震え上がったのは、いうまでもない。



その日も、ニトウとケンは日暮れまでちゃんばら稽古をして、汗だくになりながら戻った。

家につくと、村長である父親が、ニトウに「おいで」と声をかけ、珍しく湯で身を洗ってくれた。

ニトウだけでなく、ケンもざぶざぶと、水で丁寧に洗われた。

これは一体、どうしたことだろうと二人が顔を見合わせていると、豪華な夕ご飯まで出てきた。


「なあ、こりゃあ一体どうしたことだ?俺にだけじゃなく、ケンにも魚や肉を食わせるなんて」


いよいよもって、これは只事ではないぞ。

二人は不思議に思いながらも、夕ご飯を全て平らげると、村長は笑みを浮かべてこういった。


「よくお聞き、二人とも。お前たちは今年の祭りのハナに選ばれたのだよ。

きれいなおべべを着て、輿に乗って、神様の元に向かうんだ。いいね」


それを聞いて、ニトウもケンも顔から血の気が失せた。

村長の言葉を噛み砕くならば、つまりは自分たちは生贄に選ばれたのだ、と宣告されたも同然だった。

ニトウはケンの前だというのに、みっともなくめそめそ泣いた。


「あんまりです、お父様!可愛い息子を、あんな蛇の化け物に食わせてやるというのですか!ムラの跡目は誰が引き継ぐのですか!文字が読めて、そろばんが打てる子は、わたしだけだというのに!

お願いです、神様の元になんて行きたくないです。後生ですから助けてください」


全身で伏して、ニトウは命乞いした。齢十の子からすれば、矜持より命である。

けれどケンは、村長の凍てつくような目を見上げ、「ああこれは、何を言ってもだめだな」と悟った。

冷えきった目は、我が子に向けるものなどではなかった。


「なんと親不孝なんだ、お前は。名誉ある役目を喜ぶどころか、そんな風にみっともなく喚いて犬のように媚びるとは。

わがままばかりで、ろくにムラの手伝いもせず、卑しい鍛冶師かぬちの元に居座るような恥は、私の子にはいらん!

いつも役立たずなのだから、最後くらいムラのために、その命で報いたらどうだ!」

「ぎゃっ!?」


村長は我が子の頬を強く叩くと、見向きもせずに二人の元から立ち去った。

「逃げぬよう、座敷牢にでも放り込んでおけ」と村長が言うと、入れ替わりに使用人たちが数人、二人の前に現れる。男たちは二人を押さえつけると、屋敷の蔵へと放り込んだ。


「やだやだやだ!出してくれぇ!死にたくない、やだやだやだ!お父様ぁ!」


祭りの日まで、自由は許されなかった。脱走しようとすれば、使用人に気取られて、顔やら腹を殴られた。ニトウは毎日ぎゃあぎゃあ泣いて、ここから出して、と扉を叩き、ケンに八つ当たりをし、また泣いた。


「なんで、なんで俺なんだ、いつもお父様の言う通りにして過ごしていただけなのに。なんにも悪い事をしてないのに!」


一方でケンは、ずうっと押し黙ったまま、膝を抱えて丸くなっていた。

べそべそ泣き喚くニトウを、いっそ死にかけの哀れな土蜂でも見るような目で見ていた。

祭りの日まで、三食の飯が与えられたが、とても食べる気になどなれなかった。



そうして、祭りの日。

真っ白な服を着せられて、二人は立派な輿に乗せられた。

逃げられぬよう、二人の足には枷がはめられた。輿の中でもニトウは泣いていて、ケンは貝のように黙りこんだままだった。


「やれほいさ、ここのつあたまのかわかみさまは、ふじみのからだにつきぬとみ、かわのながれにきんのすな……」


川の神が祀られる神社の前まで辿り着くと、村人たちは祭りを始めた。

一年もの間ためこんだ、米や麦、魚や野菜、酒を供えて、川の神をたたえる歌や踊りを舞った。

九頭龍の姿はない。かの神は山にその身を深くうずめているため、巨大すぎて見えないのだ。

そうして夕暮れになると、二人だけを残して、村人たちはそそくさと去っていった。

川の神が食事をなさるところは、誰も見てはいけないという決まりなのだ。

静かになると、さらさらと小雨が降る音ばかりが響く。

やっと、ケンが口を開いた。


「おい、いつまでやかましく泣いてるんだ。みっともないやつ。さっさと逃げるぞ」

「うるさい、犬のくせに。逃げられるもんか。おれたち、これから死ぬんだ」

「あんな奴らの言いなりになるのか。捨てられたんだぞ」

「でも、おれたちが食われないと、川の神が怒って村を沈めちゃう」

「そんなこと、川の神はしないさ。食うものがなくなって困るのは、川の神のほうだろう。毎年たらふく食ってるんだ、一年くらい空きっ腹になって痩せればいい」

「ぎゃっ!やめろ、ばか!髪をひっぱるな!いたい、いたいってば!」


好き放題罵ると、ケンはニトウを引きずって外に出た。枷がついているにも関わらず、ケンは器用に山道を走る。

ままならぬニトウは、なかば引きずられるようにして、ケンと共に山道を走った。

途中、山の頂から、地が揺れるほどの低く這うような音が轟いた。

川の神が怒っているんだ。ニトウは恐ろしくてたまらなかった。


「お、おまえ、どうやって走ってるんだ」

「こちとら物心がついたときから、鎖をつけて歩いてたんだ。これくらいわけないさ」


途中、ケンは固い岩を見つけると、エイエイと枷をぶつけて、力任せに壊した。

そうしてニトウの枷も外すと、無理くりにひっぱる。いつもとは真逆の立場だった。

ドウドウと川が吼えている。腹が減った、と喚いていた。

暗い暗い、月もない山道を、二人はがむしゃらに走る。


「走れ、九頭龍のやつ、俺たちが逃げたって気づいたんだ」

「まって、もう、走れない」

「黙れ、つべこべ言わず足を動かせ!風が東に吹くうちに!」


見つかる前に、追いつかれる前に。

ニトウは奇妙な気持ちに陥っていた。ケンに引っ張られて走っていると、まるで足の感覚がなくなって、風になったようだ。

それに、一寸先すらも見えない夜の暗さだというのに、ケンにはまるで森の中のすべてが見えているみたいに走った。


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