狼と夏藤ー紫月の忍たちー
上衣ルイ
章ノ一 ニトウとケン
其ノ一
◆
今は昔。
日の本が天下統一されず、武士同士がクニを巡って争い合っていた時代のこと。
かつては地を統べる神や「あやかし」と呼ばれる超常の存在が、山にムラをつくり、穏やかにひっそりと暮らしていた。
だが、人間という生き物たちにより、度重なる戦で山は焼かれ、川には鉄と血が流れ、彼らは住む場所を奪われ、やがて姿を消した。
代わりに人間がわが物顔で山や平地に暮らし、山を刈り川を埋め、少しずつ増えていった。
そして時は流れ、西暦1500年代。
後の世で「戦国時代」と呼ばれる修羅の世が、この物語の舞台である。
──
西の果てに、スクナ村という、山々と川に囲まれた小さな村があった。
とにかく土地は痩せていて、魚の数も少ないし、何もかもが少ない土地であったから、この村に暮らしていた人たちは「何もかも少ないムラだけど、互いに助け合っていこう」と笑っていた。
そんなスクナ村の近くには「山人」──ヒトならざる者たちが暮らす、「オオヤマ村」なる、もうひとつのムラがあった。
このムラを統べるは、「狼旦那」と呼ばれる大あやかし。大きな耳に大きな牙、その身は毛深く、獣の姿を持つ異形であった。スクナ村の人達は、狼旦那と山人達をおそれ、なるべく関わることなく生きてきた。
ある雨の多い年のこと、一頭の龍が、スクナ村のある山に住み着いた。
かの龍の名は「
おそれた村人たちは、泣く泣く、可愛い我が子を差し出していた。龍はこの山とムラという餌を気に入り、そうして百年もの間、この山に居座ることとなった。
いつしか毎年、若い女や子を失う悲しみをはらうように、ムラでは贄を捧げる祭りが行われるようになっていった。
──
龍が山に居座って百年たった。今のスクナ村を治める村長は、かつて京の都に住んでいた商人の一族であった。
彼らは元々高名な武士の一族であり、持っていた名字にあやかり「高橋」と呼ばれていた。戦や干ばつでムラに危機が訪れるたび、高橋家は奇策を用いてムラを守り、他の村人たちに慕われるようになった次第である。
高橋が村長になってから十年、村は驚くほど豊かになり、人の数も大変に増えた。
そんな村長には子供が沢山いた。
長子の名は「ニトウ」という名であった。美しい黒髪に、前髪は彼岸花色の鮮やかな差し色が浮かんでいた。
長子であるがゆえに、周りから甘やかされて育ったので、ニトウは大変にわがままで傲慢な子供になっていた。
ニトウには七人の妹と二人の弟がいた。妹は上からアオイ、スモモ、ケイ、オミナ、ツツジ、ネム、ミズキといい、弟たちはツヅミ、アララギといった。
皆、父から作法や字の書き方、そろばんまで一通りを習った。その中でも特別、ニトウは自分が賢くてえらいと信じていた。
「おはようございます、父上!ほらケン、朝の散歩だ、ついてこい」
「はい、ニトウ様」
ニトウには、同い年の男の子の奴隷がいた。
「ケン」という名前が与えられたが、周りはもっぱら「犬ころ」と呼んでいた。
というのも、ケンは「山人」の子供であり、忌み子でありながら生かされていたためであった。
ケンは狼のような、ぴかぴかの金色の目をしていた。体はいつも薄汚れて、白混じりの黒髪は伸び放題、爪は鋭く、手足にいつも枷をつけていた。
「おいケン、また俺の草履の緒が切れてる!すぐ直せ!」
「はい、ニトウ様」
「この握り飯お前が作ったのか!塩辛くてかなわんわ!」
「申し訳ありません、ニトウ様」
「庭の草むしりがまだだろ、休むんじゃない犬っころ!」
「ただいま、ニトウ様」
ニトウは毎日、朝から晩までケンを連れまわしたり、あれこれ雑用を命じていた。
ケンが少しでも失敗したり、口答えをすると、人前で罵ったり、蹴飛ばしたり、鞭で叩いたりした。
ケンはいつもビクビクと背を丸めながら、「はい、ごしゅじんさま」「ごめんなさい、ごしゅじんさま」とめそめそ泣いて、頭を下げていた。
けれど、いつもその瞳には、ぎらぎらとした憎しみのきらめきがあった。ニトウは知ってか知らずか、それでもかまわず、毎日横柄な態度を取り続けていた。
「アオイ、アオイ。あの犬っころはどこだ」
「ケンならば、また「首塚」に行くところを見ましたわ」
「またか。あやつめ、何度「行くな」と言ってもきかないんだから。しょうがない、探しにいこう」
「だめよ、首塚になんていったら、お父様に叱られるわよ」
「ばれなきゃいいだろう。黙ってろよ、アオイ。告げ口したらぶつからな」
ニトウにいじめられ、家にすらあげてもらえない時、決まってケンは村の外れにある首塚の元で眠った。
この首塚は、山奥のはずれにある崖の上にあった。かつて村を襲った山人たちの首を埋めた場所とされ、近寄るものは殆どいない。
そんな場所で眠る不気味さゆえか、ケンを庇ったり、可愛がるものなど誰一人いなかった。だがニトウは寧ろ、そんな不気味なところで平然と寝ていられる、ケンの肝っ玉を買っているところがあった。
誰もがへいこら頭を下げるけど、ケンだけはいつも、「いつかお前の首を掻っ切ってやる」といわんばかりの生意気な目つきを向けるので、それを足裏で踏みつぶしてやると気分がすっきりした。
「おい、犬ころ。火叢のところに行くぞ、着いてこい」
「……はい、ニトウ様」
ニトウは父と同じくらい、刀鍛冶の
体はいかつく、赤髪に彫の深い顔なので、村の人からは「鬼の孫じゃないか」と噂され、村八分にされていた。
けれどニトウはまったく気にせず、足外くかよった。元は武家の血ということもあり、刀に惹かれるものがあったのである。
暇さえあれば鍛冶師の火叢の家に向かい、とんてんかん、と刀を叩くさまをじっと見ていた。
火叢はそんなニトウを可愛く思ってか、作業場に椅子を置いて、ニトウとケンを歓迎した。
「やれ、ニトウ様も変わっておられる。玉鋼を打つさまを見るだけで時間を潰しておいでだ」
「だって、きれいなんだもん。火花がぱちぱち輝いて、お星さまみたいだ。なあ、犬ころ、お前もそう思うだろう」
「はい、ニトウ様」
ケンはつまらなそうに返した。
この時だけは、ニトウに対してどれだけぞんざいな返事をしても、「おしおき」されないことを知っていた。
「しかしねえニトウ様、こんな所に出入りしているなんて知れたら、御父上はきっと呆れて叱りますよ」といっても、ニトウはどこ吹く風だったし、ケンも止めようとはしなかった。
「ねえ火叢、俺も刀というものがどんなものか、触ってみたい!」
「ニトウ様には不要かと思われますが……いえ、良いでしょう。何事も、触れて知ることで得られるものもございましょうや」
火叢は仕事の手隙に、刀の使い方を二人に教えた。火叢は武士でこそないが、刀の扱いをよく心得ていたのである。
真剣こそ持たせてもらえなかったが、子供たちにとって、武士の真似事は楽しい遊びだった。ニトウは面白がって、よくケンに棒切れを握らせ、「ちゃんばら」をして遊んだ。
ニトウにとってケンは、よき稽古相手となった。不思議なことに、誰に教わるでもなく、ケンには戦いの才があったのである。
「くう、また負けた!ケンのくせに!」
「ニトウ様、脇がよく開いているせいです。それに腕の力をこめるからよくない。体全体の力を使うのです」
「説教たれるな、犬っころ!そこまで言うならもう一本付き合え!」
「はい、ニトウ様」
棒切れを叩き合っている時だけは、二人は「村長の子ども」と「奴隷」ではなく、互いに武の才を競い合う好敵手であった。
そうして、日の出から夕暮れまで、とにかく二人は一緒の時間を過ごした。
◆
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