第217話 コミケに行って来たよ!
コミケ会場からの帰りが意外と遅くなったので、玄関で澪に出迎えられた雫と静流だった。最寄り駅に着いた連絡は入れたから、時間を見計らって待っていてくれたらしい。
「大変だったね。コミケなんか行くもんじゃないでしょう?」
確かに。雫と静流はげっそりと疲れ果てていた。
疲労は主に行きと帰りの交通機関と現場で歩きまくったせいである。雫は靴を脱ぎ、長い間、ローファーの中に押し込められた足を開放してあげる。するとそれだけで血流がよくなり、足が喜ぶのが分かった。雫はそのまま玄関に座り込み、動く気になれなかった。全身に疲労が回っている。静流は雫の分の荷物も持ってリビングに行く。
「ほら、雫。動きなさい!」
「少し休む~~」
「少し座らせておいてあげてください。雫ちゃんは本当に頑張ったんですから」
キッチンから静流の声がして、しばらくするとカップを持ってきて雫に手渡した。カップの中身は甘酒だった。甘い匂いが玄関に漂う。雫を見守っていた澪が呆れたように言う。
「静流くんは雫に甘いなあ」
「持ってきたのが甘酒だけに」
「だれがダジャレを言えと」
「甘酒温まる~~ 頭が喜んでる~~」
静流が作ってくれた温かい甘酒は、雫の身体に元気を取り戻してくれた。
「それはなにより」
笑顔の静流に空のカップを手渡し、雫はどうにかこうにか起き上がる。明日は羽海とみんなで館山行きだ。体力を回復させないと、ヤバい。本当にどうにかこうにか雫は立ち上がる。
「はい」
静流が手を差し伸べてくれる。雫はその手をぎゅっと握りしめてリビングのコタツに行く。コタツの魔力に囚われ、また、雫はしばらく動けない。その間に静流はミラーレス1眼のデータを抜き出し、大型液晶TVに映し出し、澪に報告する。
「おお、東京ビッグサイトだ」
「テンション上がって撮ってしまいました」
「混雑した電車、最悪だった」
思い出すだけでも気分が悪くなりそうなくらいの混雑具合だと雫は思う。静流も反省口調だ。
「もう、ピークは過ぎた時間を狙ったんですが、甘かったですね」
新木場駅からりんかい線に乗り換えたのだが、もう京葉線に乗った段階からひどかった。こんなに混雑するんだと嘆く余裕も無かった。着替えるための移動時間や着替えの時間を省略しようと、衣装を着て出かけたこと自体が間違いだった。カタチが崩れないよう、気を付けて踏ん張って混雑電車に耐えるしか無かった。
今回は全員がまとまって電車移動をした。現地で合流できる保証がない。だから、混雑した電車でも全員で行けばはぐれずに済むと考えたのだ。
しかしそれも甘かった。乗り換え、駅から降りてからも、大人数のために全員で移動するのは結構な困難事だった。
しかし桃華ちゃんのお父さんだけは慣れたもんだという涼しい顔で、一行を引率していた。コミケ歴2回のつむぎより遙かに猛者であった。桃華ちゃんのお父さんがいなかったらと思うとぞっとする。
桃華ちゃんのお父さんの案内で入場、コミケでのコスプレのパス手続きも難なく終わり、コスプレの聖地とも言える屋上コスプレエリアに向かう。混雑する時間を避けて行ったので、もうコスプレーヤーが大勢いて、カメラマンがそれぞれ囲みを作っていた。
「みんなの着替え~~」
「と、言ってもコートを脱ぐだけだけどね」
「架空とはいえ制服コスの楽なところだ」
液晶画面にみんながコートを脱ぐ画像が映し出される。桃華だけはおもちちゃんの着ぐるみを着ている。澪が不思議がる。
「更衣室は行かなかったんでしょ? コートはどこに置いたの?」
雫が答える。
「叔父さんがスーツケースに入れてくれた」
「そっか。つむぎちゃんのお父さんも今回、参戦したんだっけ。そりゃ館山に行く気にならんわな」
叔父はコミケの過酷さを理解していたので、受験を理由に館山行きを断念したのだろう。今ならそれが分かる。
ちなみに静流も下半身はもう黒子の衣装を履いていたので、すぐに黒子になれた。
「なんで黒子が4人?」
画像の黒子は4人。雫が撮った画像だ。静流が面白そうに澪に答える。
「付き添いはみんな黒子になりました」
「黒子もコスに入るなら500円取られるだろ?」
「それでみんなを守れるなら500円程度はどうという出費ではありませぬ!」
静流の心強い発言のとおり、平均年齢37歳の黒子隊はいい仕事をした。当初の予定通りおもちちゃんを持ち上げる仕事の他、騎馬戦の騎馬のようにもなって、空中姿勢の再現までした。
「うわあ、すごい」
澪が真面目に驚いていた。静流は得意げだ。
「おっさんのクソ力ですよ!」
画像には黒子隊の騎馬に乗る、雫扮する晶が、魔法の杖を掲げて呪文を唱えているところが収められていた。
「これが大受けで」
「分かるわ。エレメンタルコレクターのコスより黒子隊の方が受けたんじゃない?」
「さすがにそれはないですが」
「静流、ウチらの写真も出してくれ」
「あいよ」
次の画像はゆうき扮する小虎くんと晶の絡みだ。原作再現で小虎に晶が突っかかっているシーンで、我ながらよくできていると思う。静流が澪に言う。
「原作が濃いとコスプレでもこういうシーンが映えますね」
「覇権を取った作品だから、それは分かる。私も直撃世代だ」
澪が幾度も頷く。次は美月扮するエリカが「可愛いですわ!」と晶に抱きつくシーン。澪がびっくりする。
「あらやだ、美月ちゃんが雫に抱きつくなんて、いつものことなのに、コスだけで何故かアニメの1シーンに」
「これがコスプレの凄いところですね」
静流が頷く。
「最初に見せて貰ったコスより精悍に見えるのは、直しを入れたから?」
「うん。ウチも頑張ったよ」
「市販品でも手を加えると大分違うんだね」
「おもちちゃんの着ぐるみが勝ちだった」
静流は少し悔しそうだった。それもそのはず、次は他のエレメンタルコレクターのコスプレイヤーに合わせを請われる桃華の画像だ。エレメンタルコレクターは今も根強い人気があり、海外からもこのコスプレをするために来日する人がいるくらいだった。実際、桃華が合わせをお願いされたコスプレイヤーはインドネシアからこのために来たという人で、魔法少女形態の晶のコスをしていた。こうなるとおもちちゃんと黒子隊が大活躍で、おもちちゃんを持ち上げて空を飛ばせながら、魔法少女の晶と原作再現をした。これには合わせをお願いしてきたコスプレイヤーさんも大喜びだった。
もちろん、制服姿の晶である雫も彼女と合わせて撮影した。雫が感慨を込めて母にいう。
「これは感動だった」
「いい国際交流だったね」
「桃華ちゃんも超喜んでた」
静流は大はしゃぎして握手してぶんぶん手を振る桃華を思い出しているのだろう。あれは魔法少女形態の晶のコスをしていた人も、戸惑いながらも喜んでいた。雫は思い返し、気持ちを言葉にする。
「とってもいい経験になったと思うよ。彼女の衣装の完成度、すごかったし、そういう意味でもいろいろ勉強になった」
そのほか、今期覇権のコスプレも大勢いたので、静流は撮影させて貰っていた。それらの画像も映し出す。
「すごいねえ、みんな」
「この日を楽しみにしてきてますものね」
「つむぎちゃんもみーちゃんもこの人たちの予備軍だ」
そして次に映し出されるのがつむぎ扮する龍太郎で、晶がほにゃにゃにゃーんと恋する乙女の顔で見上げるシーンだ。
「よくできました」
「お母さんに褒められた!」
「つむぎちゃんは様になってましたよ。学ランキャラだから、あんまり差はつかないと思っていたけど、髪型とメガネだけでちゃんと龍太郎になってた」
静流が感心する。
「これは愛だね。コスプレへの愛」
雫と静流は澪の言葉に大きく頷いた。次に澪が当然の質問をする。
「お父さんズはどうだったの?」
「叔父さんと桃華ちゃんのお父さんは結構仲良くなってた」
「桃華ちゃんのお父さんはコミュ強キャラだもんね」
静流も大いに頷く。
4人の黒子が各々よく分からないポーズを撮った写真はそこはかとなく可笑しかった。
「これは誰が撮ったの?」
「ウチ」
「うん。面白く撮れてる。構図が記念写真より報道写真っぽい。記念写真だと真ん中にお被写体を収めがちだけど、きちんと遠景も入れているし、コミケの雰囲気をきちんと入れてある」
「お母さんにべた褒めされた」
「褒めたから写真もやってみなさい。奥深いけど」
「奥深い趣味を持つのもいいんだよね、静流?」
「特に写真は大勢、趣味の人がいるから楽しいんじゃないかな」
静流は頷いた。
「そろそろ僕は寝る準備をします。ああ、ご飯食べて風呂入らないと。明日の朝、早いし」
「静流は本当にクロスバイクで行くのか?」
「うん。悠紀くんと美月ちゃんのパパさんと約束したからね」
「正気とは思えないな。体力、回復するか?」
「だいたい北風だから。それほど疲れないと思うよ。途中から横風になるから辛いんだけどね」
「うーん。雫の言うとおり、電車で行けば?」
澪もそう言うくらい、静流の顔には疲労の色が見える。
「仕方ない、私がうーめんを用意して進ぜよう。静流くんは休んでいたまえ」
そう言って澪が立ち上がったので、静流はそのままコタツにうつ伏せる。
「ハードな年末だ」
「無茶なスケジュールだったことは百も承知じゃ無かったのか」
「人酔いするし。あんまり人混みは好きじゃないし」
「知ってる」
「雫ちゃんも早く風呂入って寝な?」
「ウチはもう明日の準備はできてるからな。静流もできているんだろ」
静流はうつ伏せたまま手を挙げた。どうやら準備はできているらしい。
澪がうーめんを作ってコタツまで持ってきてくれ、静流はようやく頭を上げた。
「ああ、美味しい」
「コタツで温かい麺類、いいよね」
2人はうーめんをすすり、そのあと、各々入浴した。
静流は早々に床につき、雫もロフトベッドに上った。しかし雫はコミケの余韻なのか、興奮してなかなか寝付けなかった。あれほど疲れ切っていたのに、不思議だ。
コミケには魔力を感じた。好きなものを好きだと主張できる場所で、それを楽しみにしている人が大勢集まるからだろう。それは宗教ではないが、ある意味、同じような
好きを解放できることは、日常生活から離れて、魂を自由にすること。
うん。面白かった。
いろいろな人と話をして、一緒に写真を撮った。それも楽しかった。自分の好きの1つにコスプレがあることを自覚し、雫はようやく眠りにつけたのだった。
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