第213話 男2人、週末の博物館探訪

 静流は気楽さを感じていた。というのも久しぶりに雫と羽海抜きでの博物館探訪だからである。本人たちが行きたいと言うものの、やはり気を遣うし、自転車で一緒に走る人数は少ない方が目が行き届く。


 今日の相方は悠紀だけである。いつもの外環の集合場所で朝早く、悠紀と待ち合わせる。


「2人だけって新鮮ですね」


「なにせ今日は都心を通らないとならないからね。しかも環七を通る。20キロ未満の行程だけど、用心して用心しすぎることはないよ。少人数の方が安心だ」


「了解いたしました」


 悠紀は敬礼して応えた。


 うむ。やはり気楽である。


 国道14号を進み、小岩で柴又街道に入り、また新柴又で亀戸方面に曲がるのだが、柴又に寄り道する。


「まずはフーテンの寅さん像」


 柴又駅前に立派な銅像がある。かなり精悍な顔つきだ。


「柴又といったら寅さんですね。銅像があったんだ!」


「映画、見たことある?」


「ありません」


「僕は1回だけ見たんだけど、もういいかなと思った」


「昭和の価値観ってことでしょうか」


「鋭いね。展開が笑えなくてねえ」


「名シリーズっていっても時代の流れには勝てないのかもしれませんね」


「いや、本当にそう思う。もし悠紀くんが見る機会があったのなら、是非、感想を聞かせて貰いたいね」


「含みますね!」


「やっぱりさ、そうだと思うよ。僕が見たのは沖縄返還の頃のお話だったから、日本が沖縄ブームだったんだけど、その辺は面白かった。でもやっぱり基本、アウトサイダーの物語だからその辺と今の日本人の寛容な心が薄れて乖離してきているって言うか……」


「このくらいにしましょうよ」


「だね」


 そして元のルートに戻り、今度は亀有に向かう。亀有の環七沿いに大きなショッピングモールがあるのだが、実は静流はわざわざこのショッピングモールに来たことがある。残念ながら、まだ開店時間前なので寄れないのだが。


「亀有と言えば?」


「今度は両さん!」


「僕はマンガ派」


「僕はアニメですね」


「このショッピングモールのゲームセンターの中に派出所が再現されてる。両さんの机の引き出しとかオモチャばっかりで楽しい」


「それは楽しそうですね」


「入場無料だから是非いって貰いたい」


「子どもだけでこんなところまで自転車で来たら怒られますよ」


「それはそうだな。亀有はまた今度、来ることにしよう」


「雫さんや先生にこんなところを見て回ったって言ったら怒られそうですしね」


「いや、全く。最初は立ち寄るなんて考えていなかったしね」


「そういえば亀有駅前に両さんの銅像があった気がします」


「それはまた今度探そう」


 雫と羽海と来たときの楽しみにしたい。しかしこの距離なら余裕で他の小学生を連れてきてもいい距離だ。美月パパなどこち亀はドストライク世代だろうし。


 そして亀有からは環七をひたすら北上する。車が多いので要注意だ。年末でトラックが多いので通り過ぎた後の空気が薄いところに吸い込まれないよう注意が必要だ。そして環状線なので方位が西に変わり、国道4号線をまたいだ辺りで普通の市街地を通る道路を通り、程なく目的地につく。


 毛長川という都市河川があって、その北側はもう埼玉県という場所だ。

 少し緩いカーブを描いた道路を走っていくとお寺さんが多くあるエリアに入る。


「古い道なんでしょうね。こんなにお寺がある」


「僕もそう思ったんだけど、実はこのお寺さんの大半が、関東大震災のときに焼け野原になった浅草上野から移ってきたらしい」


「それはリアルに歴史を感じさせますね」


 そしてようやく目的地に着く。北側は神社、南側は公園という場所だ。


「伊興遺跡公園、ですか」


 公園の中には竪穴式住居の復元されたものがある。その向こうにある建物が今日の目的地、伊興遺跡公園展示館である。さっそく駐輪スペースにクロスバイクを停めて、中を見学することにする。


 まずは竪穴式住居からだ。ガラス張りになっていて中には入れないが、様子を確認することができる。中にはみずらで貫頭衣をまとった男性やかまどの様子を窺っている貫頭衣をまとった女性のマネキンがある。


「古墳時代だからやっぱり四角ですね」


「松戸の縄文時代の再現住居は丸い穴に竪穴式住居が作られていたね」


「どうして丸から四角になったんでしょうね?」


「作り方はそんなに変わらないみたいだから、当時の日本人が断絶したわけでもないみたいなんだよね。四角い方が効率よく使えるからかな。あと竈を設置するのに丸より四角い方が使いやすそうだし。説明書きにも炉から竈になった時期って書いてあるからね」


「確かに」


「試行錯誤した気がする。韓半島から来た人たちの流行もあるだろうけど」


「これは永遠の謎な気がします」


 そして中央部にこんもりと土が盛られていた。


「方形周溝墓だ」


 方形周溝墓は、弥生時代から作られ始めた古墳のもとになったと考えられるお墓だ。


 説明書きにはこうある。




『伊興遺跡で見つかったものは出土した遺物から、古墳時代前期に構築されたことが分かっています。』




「古墳時代になっても作られていたんだ」


「そう簡単に葬儀の習慣は変わらないらしいからね」


「この区画に一族が葬られているんですよね」


「家族というか一族の概念が生まれていたんだろうな。縄文時代にはみんな一緒に埋められてた遺跡が見つかっているし。差が生まれていたんだ」


「遺跡から分かることはいっぱいありますね」


 さて、外は見終えたのでいよいよ展示館の中に入ることにする。


 展示館の中にはこの伊興で発掘された土器や勾玉が展示されている。土器は壺が多いが、高坏土器もある。高坏土器は机はもちろん座卓を用いて食事をとる習慣がなかった時代、食事を盛り付けた食器だ。床から皿を手に取るのではなく、高い台を器の下に作り付けて、食べるようになっているのだ。


「これはいかにも古墳時代な感じ」


「高坏土器は知ってましたけど、机っていつから日本にあるんでしょうね」


「正倉院には机があった気がするなあ。今度、調べてみよう」


「それも面白そうですね」


 さて、ちょっと回り込んでみると発掘現場の様子がそのまま再現されている。多くの土器が散乱した状態で発見されていたようだ。


「ここまで砕かれて発見されたのは、儀式に使われたんだろうな。だから片付けられなかったんだ」


「どういうことです?」


「砕いたのは神様に捧げられたもので、2度と使われないように砕かれたかもなんて説があるから。たぶん、中身の食べ物か何かと一緒に捧げられたものだって考えなんだろうね」


「その辺は勉強不足ですねえ。もっと本を読もう」


「いい心がけだね」


 そして定番とも言えるジオラマもあった。


「毛長川のほとりにあった遺跡の中でも、伊興遺跡はもっとも栄えた場所です。毛長川を利用した船による水上交通が発達し、流通の足場となる大切な場所としての役割を果たしていました。その証として、西日本から運ばれてきた須恵器や鉄製品などが土中から見つかっています」


 と思わず静流は解説文を読み上げてしまう。


 ジオラマ自体は川の畔にある港(津)と竪穴式住居、高床式の建物が建てられているエリアと対岸の湿地帯で葦なのか、緑が広がるエリアを再現している。川には船も浮かんでいる。


「東海地方から三浦半島に、そして館山を経由して木更津行って、今の江戸川区の北小岩の辺りまで海だったわけで、それが古代の東海道。その先は喫水が浅くて、別の船に乗せ替えたんじゃないかな。北小岩にやっぱり津と思われる遺跡が出ているし、そこから経由してここまで来て、更に奥へ物資を移送した。また逆に北から南にも物資を送っていたんだろうね。高床式の建物は倉庫かも」


「繋がってるんですね」


「そりゃそうだよ。縄文時代から交易ルートがあったんだもの。古墳時代なら更に発達してるさ」


「これより北って言うと埼玉だから、さきたま古墳群の辺りまで行ってたのかな」


「もしかしたら高崎の方まで行っていたかもしれない」


 どちらも大きな古墳群がある場所だ。特にさきたま古墳群は『稲荷山古墳出土鉄剣』で知られる。金象嵌きんぞうがんで115文字もの文章が記され、空白の4世紀を知る大きな手がかりになったものだ。それは大王、つまりヤマト王権に仕えていたと思われる武人であることを示し、当時の関東平野にまでヤマト王権の力が及んでいた証拠とされている。つまり、近畿から間違いなく埼玉までは流通とまで言わなくとも、通行手段が確立されていたわけだ。この伊興遺跡はその重要な中継基地だったに違いない。


「夢が広がりますね」


 1階を見終わったので2階へ行こうと階段を上っている途中で、1階の展示物の上に実は等身大のジオラマがあることに気づいた。2人の巫女らしき女性が神に祈りを捧げている祭祀の場面と、それを見守っているのかあぐらを掻いて座っている武人4人のジオラマだ。


「ああ、やっぱり祭祀遺跡だと思われているんだ」


「沖ノ島みたいに航海の無事を祈ったんでしょうか」


「そうだろうね。神々に祈りを捧げるのが必須条件だった時代だろうからね。きっと毎年、何度も何度もお祭りをしたんだろうね」


 そして2階に行くと資料の棚が置かれていた。伊興遺跡の発掘報告書に目を通し、まだまだこの周辺に遺跡が広がっているであろうことを知り、静流はロマンを感じた。


「また発掘されて新しい発見があるのかもね」


「東京23区内なのに、こんな凄い遺跡があったんですね」


「いや、今まで行かなかったのはもったいなかった」


 そして展示館を後にして、向かいの氷川神社に向かう。そして例によってまずは説明書きを読む。




『当社は足立区内最古の氷川社で、往古、淵江領の総鎮守であった。江戸期に村々の開発がすすむと共に、各地にも鎮守が祀られ、この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治5年からは伊興村の村社となった。

 奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この附近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮の氷川神社から分霊を勧請したものと考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が生じたものであろう。

 付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・勾玉・管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居趾、井戸跡など生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡といわれる埋蔵文化財包蔵地を形成している。

 昭和57年12月足立区登録記念物(史跡)とした。』(足立区教育委員会掲示より)




「待て待て。ってことはこの神社、伊興遺跡の時代からあるかもしれないってこと?」


「ロマンですねえ。そうとしか言えない。弥生土器も出ているんなら、本当に昔っからここで祭祀が行われていたんですね」


 悠紀のいうとおり、境内には立派な木々が生い茂っていて、ある種、聖域であることをひっそりと主張している。


 1500年もの歴史に思いを馳せる。神社としてのカタチ、つまり拝殿があって主殿があってというのはもっと後の話だ。しかしここが聖域として水の神様の祭祀に延々と使われていたことは間違いないようだ。


 お参りを済ませ、氷川神社を後にする。


「今日は予想外にいいところに来たなあ」


「クリスマスイブなのに。静流さん、雫さんにちゃんとプレゼント買ったんでしょうね」


「それはもちろん。澪さんにも羽海ちゃんにもね」


「僕も家族の分を買いましたよ」


 急に現実に引き戻されてしまったが、帰ったらクリスマスの晩餐だ。静流にとってはほぼ初体験になる。少し楽しみではある。


 最後にこの近くに残っている古墳を見に行った。白旗塚といって公園の中に残されており、いかにも公園の中にあるようなお堀に囲まれていた。古墳自体は直径12メートルの割と大きいものだ。もっと昔はこの辺に数があったようだが、消滅してしまったらしい。また、公園の中には埴輪のモニュメントがあったが、本当にこの古墳から出土したのかは怪しいなあ、と静流は思った。


「じゃあ、ここでお弁当を食べて、それから気を付けて帰ろう」


「はい!」


 悠紀は笑顔だ。誰に気兼ねもせず、歴史好きの2人で実施した歴史探訪は、気楽で

楽しかった。雫や羽海がいても別の意味で楽しいが、やはり男2人は気楽だ。


 ふと、すなふきんさんもこんな気持ちだったのかなと思う。家族から逃れての週末野宿生活だ。そんな想像ができるようになった自分は、もう大人になったんだな。


 そう思いつつ、悠紀と2人、ひなたぼっこしながらお弁当を食べたのだった。

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